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躁うつ病と糖尿病の不妊治療...治療を辞めることにしました

お久しぶりです。躁鬱奥さんのぴーたんです。

去年の12月から不妊治療を始め、最初の1ヶ月は閉経間近の高すぎるFSHを下げるために通院のみでした。

今年の1月、痛いフェリングの注射にも耐え、1回目の採卵をしたものの、卵子を採取できず。

2月、クロミッドの服薬のみで望んだ2回目の採卵は採取できたものの、2日目に2分割で停止。

3月、足の指の骨折(ヒビ)で、プレマリンを飲みながら見送ることに。

4月、自然周期にするも排卵してしまって採卵できず。

5月、コロナで入院。後遺症で酸素濃度が低くなることがあり。

簡単にまとめると、こんな感じでした。


限界を感じた理由

①セカンドオピニオンの他院で治療はできないと断られたから

2回目の採卵後、姑の勧めで、評判の良いはらメディカルクリニックで、体外受精コーディネーターの方と無料相談をしました。

今までの木場公園クリニックでの検査結果をみせたところ、私の数値で治療をしているのは残酷のようなことを言われました。

そして、妊娠の可能性が低いこと、何年も続ければ妊娠する可能性はあるかもしれないが高額の費用がかかるし、夫婦の為にならないのではないか?

はらでは医師の判断になるけども、おそらく治療はできないとハッキリ言われました。

自分の身体の状態を改めてセカンドオピニオンで聞くことができ良かったものの、ショックでした。

コーディネーターの方の説明とは違い、私は木場の院長が可能性は低いと言いながらも治療をしていてくれる事に感謝しています。

②ゲンをかついだ縁起の良い採卵日でも分割停止になったこと

これはスピリチュアルに興味のない方には、えっそんなことで?と思われるような事かもしれませんね😅

私の実家側では年に一度の大切な日があって、ちょうど2回目の採卵日でした。365の1の確率だったので期待をしていました。

結果は残念ですが、その日だったから採卵できて顕微授精まで出来たのかなと前向きに捉えています。一方で、その日でも分割停止だったのだから、これ以上は無理かもと悟りました。

③夫が子供を欲しい気持ちにならなかった

これは大きい理由です。

元々、子供はいらない、夫婦ふたりで暮らしていきたいと言っていた夫です。

有難いことに夫実家から経済的な支援も一部ありましたし、夫は本家の一人っ子。義両親のためにも孫を抱かせてあげたかったです。でも、夫の気持ちは変わらず。

夫は姑に「ぴーたんの身に何かあったら守るけど、子供は無理」と言ったそうです💦

不妊治療前も治療中も何度も何度も話し合いました、時々ケンカもしながら。
しかし、残念だけど夫の子供はいらないという意思は変わりませんでした。

もし産まれたら夫の気持ちも変わるかな?と淡い期待をするものの、愛してもらえない可能性のある親の元に産まれる子供の立場を考えたら無理強いはできませんでした。

④コロナで分かった自分のキャパ

夫がコロナ陽性になった日から私も体調は良くなくなったものの(精神的不安もあるかも)、私が急激に体調不良になったのは1週間後でした。

その1週間、体調は良くないけど、夫の為に買い出しをしたり、いつも通り洗濯や洗い物などはできていましたが、どうしても料理ができませんでした。(我が家では夫が毎晩、夕飯を作ってくれてます)

甘えかもしれないけど、料理のことを考えるとストレスなんです。
作り方は動画を見れば作れると思います。実際、結婚当初から数年は作れていましたが、献立を考えるのがストレスで仕方なかったです。

夫は食べるのが好きで、献立を考えるのも料理も苦にならず(仕事終わりで疲れてて申し訳ないけど)、自分の好きな味付けにできるから楽しいそうで、家事分担できていました。

今回、コロナで夫が料理を作れなくなった事で、夫に「子供がいたら餓死させちゃうよ」と言われ、心にズシンときました。

子供ができれば料理も出来ると思っていたけど、自分は勿論、具合が悪い夫の為に料理を作ってあげられない。そんな自分に不甲斐なさを感じ、また現実のキャパを思い知らされました。

躁うつ病で波はあるけど、子供をめいっぱい愛してあげたい、どこかで良い母親になれると根拠の無い自信がありました。

でも、子供が生きる上で最重要な食事を与えられないなんて、産んでも可哀想かもと痛感しました。

⑤親代わりをしてきて子育てに関わらせてもらったこと

10年近く前、姉が40代で闘病の末、亡くなりました。シンママだった姉の子供ふたりと完全同居になりました。子供達は当時、高校生でした。

元々、兄弟のような存在で、産まれた時から可愛がってきました。
学校行事には仕事を休んででも全て参加し、カメラマンをしたり。
遊びや泊まりに来た時は、勉強を教えたり、一緒にゲームで遊んだり、遊びに行ったり。
長期休みには必ず何かのイベントに連れていきました。

特に姉が離婚した時は子供達はまだ保育園児だったので、私がお父さんがわりになろう!この子達を守ろう!と心に誓いました。

資金援助はできないけど、私の経験を話したり、一緒に体験することはできると。

上の子は私が叱ると分かるけど、姉の言葉だと伝わらないとお願いさた事が何度もありました。

姉が亡くなり、下の子は反抗期もありましたが、対等に向き合いました。親ではないから、どこまでやるべきかは常に迷いがありました。でも、いつも真正面から向き合ってきました。

親を亡くして寂しかったし辛かったと思いますが、母や兄、友達、友達の家族に支えられ子供達は良い子に育ちました。

今春、下の子が就職しました。2人とも希望の資格職です。やっと肩の荷がおりた気がしました。

ママ友に「子育てお疲れ様。お姉ちゃんも喜んでるよ。〇〇(下の子の名前)も伯母さん(私)には感謝していると言ってたよ」と言ってもらえました。

私ひとりで育てたわけじゃなく、私の他の家族とみんなで協力して出来たことですが、嬉しかったです。

母の日、母と私の為に、上の子は名前いりハーバリウムをプレゼントしてくれ、下の子は食事と観光に連れて行ってくれました。

自分の子供が欲しかった気持ちはこれからも残るだろうけど、親代わりとして子育てに参加できた経験は大きいし、この子達は宝物です。

だからといって、老後の面倒をみてもらおうとか頼りきる気はありません。
これは自分の子供でも同じかもしれないけど。

なるべく長く自分のことは自分で、できないことは夫を頼るとは思いますが(夫よ、いつもありがとう)、姉の子供達の負担にはならないようにしたいです。


以上、私が不妊治療をやめた理由です。
私の場合なので、イレギュラーな理由もあると思います。

正直、いくつになっても子供が欲しかった気持ちはなくならないかもと不安になります。

あと、子供ができる事は奇跡だと分かりました。

でも、二年前、卵管造影が痛くて、採卵が怖くて不妊治療を諦めた頃の自分に、いまは乗り越えて精一杯、治療したよと誇れる気がします。

短期間ではありますが、不妊治療をして色々学びや気づきがあり、やって良かったです。

これからは、子なしの人生を、自分の為に、大切な人達と楽しく暮らしていきたいです。

長くなりましたが、読んでくださり、ありがとうございます😊















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