お母さんは躁うつ病 1

私が物心がついたときから母はすでに躁うつ病だった。弟は軽いてんかんを持っており何度も発作を起こしては入院していて、弟が入院すると看病のストレスなのか弟が退院した数カ月後に母親がおかしくなって家の中がグチャグチャになって家族全員疲弊するというサイクルを2〜3年周期で繰り返していた

母の変化と小学校

小学生だった頃は病院から弟と母が帰ってくるのが嬉しかった。その後母がおかしくなっても何が起きているのかわかっていなかった。でも、言っている事がおかしいのはなんとなく理解した。

祖父母や父は敵で私たち子どもしか味方はいないんだ、外を歩いている人は全て敵なんだ、私達には特別な力があるんだ、私が念じれば何でも叶うんだと言い出した
そして毎晩、祖父母と父と母は怒鳴り合い罵りあうようになっていった

夜中に大声で目が覚めて布団に潜りながら大人の喧嘩をじっと聞いていた。
どうやら、祖父 vs 母 で罵り合い他の2人が止めている様子だった
翌朝、家中の障子がビリビリに破れていた
父と母は何も言わない、父が出勤すると母もどこかに行ってしまった。

「お母さんがまたおかしくなったから良い子にしてなさい、お前たちがちゃんとしないともっと酷くなる」と祖父母に怒られる

仕方なく学校に行くも、小学生だった頃の私は身支度や宿題がきちんとできない子どもだった、いま思えば私もちょっと頭がおかしい子どもだった。良い子ではない
祖父に無理やり男の子みたいに短い髪型にされ、ピンクが好きだったのに青いスニーカーを履かされ見た目は男の子だった。左利きを厳しく矯正さたので文字を書くことが大嫌いでとんでもなく字が汚く先生にいつも怒られた。

左右盲というやつだったのか、右と左がわからなくて学校の視力検査は黙って指差しで答えていた。そして訳のわからない事を大声で喚き散らすおかしな母親がいる。

田舎の小さい小学校だったので、いじめってほどの事はされなかったけれど私は同級生にはなじめなかった。
同級生とそこまで仲良く遊べなかった事はやや残念ではあったけど辛くはなかった。
みんな多少は話したりしてくれたし、むしろあんなヤバイ奴をいじめなかったのはすごいと思う。

でも、同級生の保護者たちからの視線が怖かった。こっちに来るなと言いたそうな冷たい視線が怖くて怖くてたまらなかった。

母が外で騒ぐたびに周りの大人が自分へ向けてくる視線が嫌悪感に満ちているのを感じる、家に帰っても母がおかしいのは私たちのせいなんだと責められる

ただただ、早くもとに戻ってほしいと願うしかできなかった。



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