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私の視た漢方の世界(序章)


漢方の世界観との出逢い

漢方家の先生から生薬学を学ぶ


漢方の世界に初めて足を踏み入れたのは、記憶の中では大学に居た頃です。

生薬とは何か、どんな効果があるか・・・とかそういう話の前に

「漢方という見方」のある世界で生きていらっしゃる先生との触れ合いは、これまでにない概念ばかりで本当に面白く、「生きる」上で大変勉強になることばかりでした。

生薬学を教えてくれた教授は、座学よりも感覚重視での講義が主体だったように覚えています。(座学の時は、生徒よりも教授の方がよっぽと楽しくなさそうな顔つきでした)

薬草園を回る時は、教授はずっと大興奮で
「これ!これこれこれこれこれこれ!!!見て!こんなふうに生えるの!」
という具合で・・・

生徒の中には生薬に興味のない人もいましたし、大学生ということで、しらけた様子の学生もやはり中にはいるわけで・・・(恥ずかしさもありますしね)

そういう姿が目に入ると

「人生何が楽しい?!俺の講義に興味なくても良いから、なんか楽しいもの見つけんだぞ!笑 自然はね、何も決まったことはないんだよ。疲れたら教室行って寝てていいよ。」

という具合でした。

私はといえば、

そんな先生にみんなの前で当てられたり絡まれるのがとにかく恥ずかしくて、先生とは距離を置いていたのは人生における失敗だったと・・・今は思います。


勤務先の移動で、漢方の専門薬局へ


新入社員として勤めて1年ほどで、すぐに様々な店舗を回されるようになりました。

急に上司から
「みんなが行きたくない薬局行ってみる?」

え〜・・・・・・・・

興味ある!!!笑

という感じでその翌日から行くことになった先の薬局

そここそが漢方専門調剤を行っている現場でした。

管理をしている薬剤師は女性の方で、お会いするなり、表情もなく
「投薬(患者様にお薬をお渡しすること)は一切しなくて良いです。業務中は基本的に調剤室から出ないでください。」

第一声は、よろしくお願いします♡と言われることを期待していた私は

この人、、、  なるほどな・・・

と、皆んなが嫌がるわけを勝手に納得していたわけです。

ただ、業務が開始されて半日ほどでしょうか

「調剤室から出ないで下さい」と言われて出ないというよりも
「休憩?いいえ、まだ出たくありません」と自ら籠城した状態になっていました。


「煎じ薬」作りは天職かも・・・


結論から言うと、煎じ薬作りがとにかく楽しい!!!!

それまでいた薬局は、よくある調剤薬局だったので、調剤専門で過ごす日は化学合成された錠剤や粉薬、水剤とひたすら向き合うわけです。
1錠あたりの重さも、形も、香りも色も、ほぼ一律のものをずっと扱うので、こちらがしっかり量りの目盛りや用量を確認さえすればズレもなく、計算通りどんどん調合できるんです。

でも、煎じ作りはそうは行きません。

※煎じ薬とは、そのままの生薬(細粒化やエキス化されていないもの)をじっくりと水で加熱しながら有効成分を取り出して飲む薬です。

処方に応じた生薬を、煎じ袋に1回分ずつ量を量って詰めていきます。

例えば根っこが刻まれた生薬。
一つ一つ形も重さも違いますし、よくよく意識してみると生薬を取り出すLOT毎に香りも若干違います。

「生命」を感じる生薬の現物に、興奮しっぱなしでした。
(この木の皮!知ってるやつだ!とか、あの先生のにおいだ!とか・・・)

ただ、最初は何種類もの生薬を所定の日数分ずつ袋に入れるために

見た目も注意しながら、同じ分量になるように分けることさえかなりの時間を要しました。

理由は不慣れだけではありません。
おそらく最大の要因は・・・

「右にならえ」「一律」ということにしか慣れていなかったためです。

頭も腕もガッチガッチ(腕は筋肉ないので緊張で・・・・)

なんなら心もガチガチで、本当に本当に・・・目の前のことにしか見えていませんでした。

ようやく見えた、「創る」意味


1ヶ月経った頃

ようやく薬局にいらっしゃる患者様の姿を遠目で見る余裕が出始めました。
(遅すぎる・・・お断りしておきますが、私は色々と不器用です)

入店時、目が泳ぎ、肩が上がり、緊張からか息遣いも荒そうで、待合の椅子でもソワソワと落ち着きがありません。

「調剤お願い!!!」

管理の薬剤師さん、ぼーっと待合室を見ていた私にイラッとしたのかな・・・
とその時は感じていましたが、私にそう言った直後

待合室に向かう顔つきの変化は、同一人物とは思えないほどでした。(失礼)

調剤の最中、もう一度待合室に目をやると

声は全く聞こえないものの、すごく親身に、細やかな気遣いで対応されている様子が感じられました。

患者様は、話し始めるや否や入店時の雰囲気とは打って変わり、全てが緩み、前向きなエネルギーがこちらにも伝わってくるようでした。

この管理の薬剤師の方は、お一人で長いことこの薬局を守ってきた方です。
(ここの店舗では、その薬剤師でなければ薬はもらわない、とおっしゃる患者様が多くいらっしゃるために、人事異動も新しい薬剤師を入れることもできずにいました)

具合が悪くても、調子がすぐれなくても、誰かに変わることのできないプレッシャーの中、偏りのない「中庸」を保つための


一貫した態度。


それはなんのためかといえば

患者様のため、患者様の心身を守るため。

こっそりと薬歴(病院でいうカルテのようなものです)の記録をみると、本当に細かく経過や心身の状態が書かれていて、患者様への想いで溢れていました。

それを感じてから、煎じ薬を作るときの私の想いは大きく変わります。

「気持ちが楽になりますように・・・」

「また笑顔になれますように」

「これはきっと、こうなるために・・・ああなるために・・・」

生薬一つ一つが、患者様の我慢していた気持ち一つ一つであるように

目の前の面白さだけ から、

「何のために作るのか」「何のための仕事なのか」
全体像が見えるようになったのだと思います。

そこから私は、単純作業だった「薬を作る」意識が

「薬を創る」に変わりました。

つづく。。。。(多分)



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