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薬師如来に憧れて

私は、薬師如来像の姿に大変感銘を受けています。

薬師如来像は、左手に薬壷(あるいは宝珠)をもち、右手は施無畏の印を結んでいます。

この右手の印は、「恐れなくて良い」というサインを示し、左手の薬壷にはその人が望むものが入っているとされています。

どんな苦しみも、苦難も、それを光に変えるための「薬」は人それぞれ異なります。

それは、実際に薬かもしれないし、「大丈夫」という他者からの言葉かもしれない、或いは、ただただ自然を眺めて泣く時間かもしれません。

自分自身の感覚から遠のいてしまうと、今何を自分が求めているのかわからなくて、自然のありのままの姿を見ただけで涙が溢れることもありますね。

そんな状態に、イエスと言ってあげたいし

無理をして頑張って過ごされてきたことも、大きな声でイエスと言いたいです。

たとえ、それが自分の体を崩すきっかけだったとしても、その時自分の体の声に背を背けなければならない理由を大切にしていただきたい。

法律や一般的なマナーなど、人が集団で生活をしていく上での良い、ダメは存在しても、その人の「生き方」「考え方」にマル・バツをつけられる人は存在しません。

本来マルやバツをつけられないことに、マルバツつけているのは、突き詰めていくと自分自身だったりもします。

本当の不調の始まりはなんだったのか・・・

なんのために、その不調は現れているのか・・・

東洋医学の思想は、「その時」「一部分」だけではなく全体性で見ていく必要があります。
「関係ない話をしてすみません・・・」などと気になさらずに、なんでもお話ししていただきたいです。

そこから、一緒に答えを探り、上がったり下がったりする小さな変化を共に見つめていける場所を作りたかったのです。

薬師如来が左手に持つ薬壷のように、本当に、本来の意味でその方の心身が求めているものをお出しできるようになりたいです。そのためにも、学びだけでなく人生の深みから逃げずに向き合っていかなければと思います。


薬師如来の真言です。

オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ


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