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荀子 巻第五儒王制篇第九 12

類を以て雑に行い一を以て万に行い、始まれば則ち終り終れば則ち始まりて環の端なきがごとし。是[の術]をつれば則ち天下は以て衰えん。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

意味調べです。
雑→②まとまりのない。とりとめのない。
調べた意味を踏まえて拙訳です。
『似たことを元にまとまりのないものに対応し、それは一つのことから万にに対応することである。始まれば終わり終われば始まるのは端のない輪のようなものである。この方法を捨てれば世の中は衰えてしまうだろう。』
輪のようにずっと続くのだから、新しいことには類推し対応していかなければ衰えてしまうぞっということですね。

天地なる者は生の始めなり。礼義なる者は治の始めなり。君子なる者は礼義の始めなり。これをおさめこれをなら(習)い、これを積み重ねこれをきわめて好む者は君子の始めなり。故に天地は君子を生み、君子は天地をおさむ。

(同)

好む→多くのものの中から特にそれを好きだと感じる。気に入って味わい楽しむ。
拙訳です。
『天地というものは生命の始めである。礼義というものは統治の始めである。君子というものは礼義の始めである。礼義を習い修め、積重ね極めた上で礼義を味わい楽しむことが君子の始めとなる。だから天地は君子を生み、君子は天地を治めるのである。』

君子なる者は天地の参なり、万物の総なり、民の父母なり。君子なければ則ち天地もおさまらず礼義も統なく、上に君師[の道]なく下に父子[の道]もなし。夫れ是れを至乱と謂う。君臣・父子・兄弟・夫婦[の道]、始まれば則ち終り終れば則ち始まり、天地とともおさまり万世とともに久し。夫れ是れを大本と謂う。

(同)

参→ならぶ。ならんで三つとなる。
総→②すべる。全体を治める。とりしまる。
統→①すべる。おさめる。一つにまとめる。
万世→限りなく何代も続く永い世。万代。永遠。よろずよ。
拙訳です。
『君子という者は天地と並ぶものであり、万物を取り締まるものであり、民衆の父母である。君子が居なければ世の中は治まらず礼義も一つにまとまらず、外には上下関係が機能せず内には親子関係も不正となり、このようなことを至乱と言う。(君子が居ることで)上下関係・親子・兄弟・夫婦の関係が整い、始まれば終わり終われば始まり、天地と共に世の中と共に久しく続く。このようなことを大本と言う。』
君子が居なければ礼義がなく至乱となり、君子があれば礼義があり大本となる、ということですね。

故に喪祭と朝聘と師旅とも一なり。貴賤と殺生と与奪とも一なり。君の君たり臣の臣たると父の父たり子の子たると兄の兄たり弟の弟たるとも一なり。農の農たると士の士たると工の工たると商の商たるとも一なり。

(同)

喪祭→に服することと祭祀さいしを執り行うこと。
朝聘→① 諸侯の朝覲ちょうきんと大夫の聘問。 また、諸侯が朝見して、天子に物を献ずること。
師旅→古代中国の軍制で、500人を旅、5旅を師としたところから》軍隊。また、戦争。
一→③ひとつにする。すべて。全部。ひとしい。
拙訳です。
『だから、喪祭と朝聘と師旅はひとしく同じである。貴賤と殺生と与奪は同じである。君が君であり臣が臣であることと父が父であり子が子であることと兄が兄であり弟が弟であることも同じである。農夫が農夫であることと兵士が兵士であることと工人が工人であることと商人が商人であることも同じである。』
と、訳してはみたものの最後のところ意味を理解できていません。金谷先生は訳された後に次の一文を補われています。

[みな形はそれぞれに違っても大本を得てこそ治まるのである。]

(同)

君子がいて礼義が整って「大本」でした。「大本」であれば君子がいて礼義が行われているので、喪祭と朝聘と師旅は同じこと、すべて礼義に基づく点では同じだ、ということでしょうか。
冒頭に返ると「類を以て雑に行い一を以て万に行い、」とありました。一を以て万を行う一が「礼義」ならば、「礼義」をもって万に臨むのであり、喪祭にも朝聘にも師旅にも礼義をもって対応するのですから、その点でこれらは同じとなります。
礼義を元に類推し対応することについては、すべて一であるという理解になりました。

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