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荀子 巻第十五解蔽論篇第二十一 5 #1

昔、賓孟ひんもうの蔽われし者は乱家是れなり。墨子は用に蔽われて文を知らず、宋氏は欲に蔽われて得を知らず、慎子は法に蔽われて賢を知らず、申子は埶(勢)に蔽われて知を知らず、恵子は辞に蔽われて実を知らず、荘子は天に蔽われて人を知らず。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

賓孟→(注より抜粋)「孟」は「萌」と同じ、『呂氏春秋』に「賓萌とは客民なり」とあり、戦国時に諸侯の国に往来した遊士の呼称であろう。
乱家→(注より抜粋)「墨子」は塁翟のこと、「宋子」は宋銒のこと、「慎子」は法思想家の慎到のこと、「恵子」は詭弁家の恵施のことで、ともに非十二子篇第六に既出。「申子」は君主の臣下制禦術を説いた韓の申不害のことで、ほぼB.C.350年ごろの思想家。法思想の大成者である韓非子は、商鞅の法治と申不害の術治とを折衷統合した。「荘子」はB.C.300年ごろの荘周のことで、その思想を伝えるものに『荘子』の書がある。老子と並ぶ道家の代表的思想家である。
用→能力。働き。効き目。作用。
得→える。うる。手に入れる。自分の所有とする。もうけ。もうける。利益をえる。
埶→いきおい。
辞→ことば。言語。ふみ。文章。
実→まこと。本当。偽りのない。
拙訳です。
『昔の諸子百家の中で、心が蔽われている学派には秩序がない論客の一派が該当する。墨子は効用に蔽われて飾りを理解せず、宋子は欲望に蔽われて利益を得ることを理解せず、慎子は法に蔽われて賢者を知らず使えず、申子は勢いに蔽われて知力を理解せず、恵子は表面の言葉に蔽われてまことを理解せず、荘子は天(自然)に蔽われて人を理解しない。』

故に用に由りてこれを道とせば利を尽し、欲に由りてこれを道と謂せば嗛(慊)あきたることを尽し、法に由りてこれを道と謂せば数(術)を尽し、埶に由りてこれを道と謂せば便を尽し、辞に由りてこれを道と謂せば論を尽し、天に由りてこれを道と謂せばいん[循]じゅんを尽す。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

由→よる。もとづく。従う。由来する。のっとる。
道→みち。ことわり。人が守り行うべき決まり。道理。
尽→つきる。つくす。つかす。すべて出しきる。すべて費やす。すっかり無くなる。
嗛→あきたりる。満足する。
数→⑬てだて。手段。方法。④きまり。のり。規則。
便→都合がよい。便利がよい。
因→①よる。(エ)したがう。(カ)うけつぐ。従い用いる。
因循→①古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしないこと。また、そのさま。
拙訳です。
『効用に基づいてれこを道理とすれば利益をすべて使い果たし、欲望に基づいてこれを道理とすれば満足をすべて使い果たし、法に基づいてこれを道理とすれば規則をすべて使い果たし、勢いに基づいてこれを道理とすれば都合の良いことをすべて使い果たし、言葉に基づいてこれを道理とすれば議論をすべて使い果たし、天(自然)に基づいてこれを道理とすれば従うことにすべて使い果たされる。』

難しいです。
墨子・宋子・慎子・申子・恵子・荘子、各家の思想を理解できていないため、荀子の反論についていけていません。一所懸命辞書を引いたりして言葉の意味を追いかけていますが、元々の土台がないため理解が届きません。
金谷先生は、例えば僕が『法に基づいてこれを道理とすれば規則をすべて使い果たし、』としたところを、「法律主義によってそれを道とする[慎子の立場]は客観的技術主義を尽したことになり、」とされています。まったくついていけません。
難しいから、分からないから、コツコツ勉強しているんだと開き直っています(苦笑)。

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