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荀子 巻第十議兵篇第十五 8 その3

前回は、まず人民を教導し政令・風俗を一つにまとめて、それでもまだはみ出す人に始めて刑罰を用いる、重刑を加える根拠であり辱が最大となるということでした。
続きです。

ある(抑)いは利ありと以為おもわんか。則ち大刑のれに加わる[に何の利かあらん]。身のいやしくも狂惑こう(愚)ろうならざれば誰か是れをて改めざらんや。然る後に百姓は暁然として皆な上の法に循がい上の志にならいてこれを安楽することを知るなり。ここに於いて能く善に化し善く身を脩め行を正し礼義を積みて道徳を尊ぶもの有らば、百姓も貴び敬わざること莫く親しみ誉めざること莫し。然る後に賞はここに於いて起るなり。是れ高爵豊禄の加わる所にして栄はいずれかれより大ならん。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

苟も→①仮にも。かりそめにも。②もしも。万一。
狂惑→② とんでもなく馬鹿げていること。
戇陋→頭の働きが鈍く、頑固なこと。
暁然→明らかにさとる。
拙訳です。
『あるいは利益があると思わないか。重刑の恥辱が加えられるのに何の利益があろうか。かりそめにもその身が頑固な大バカ者でなければ誰がこの恥辱を見て改めようとしないだろうか、いや皆必ず改める。この後に民衆は明らかに悟り上の法令に従い上の意志を見習い、安心して楽しむことを知るのである。こうなった後に善に感化し、身を修め、行いを正し、礼と義を積み、道徳を尊ぶ者があれば、民衆も貴び敬わないものはなく親しんで褒めないものはない。褒賞とはこの後で起こるのである。高い爵位や豊かな俸禄が加えられるところで、栄誉より大きいものはない。』

ある(抑)いは害ありと以為おもわんか。則ち高爵豊禄以てこれを持養す[るに何の害かあらん]。生民の属はれか願わざらん。雕雕焉ちょうちょうえん(昭昭然)として貴爵重賞を其の前にけ、明刑大辱を其の後に県くれば、化すること無からんと欲すと雖も能くせんや。故に民のこれに帰するは流水の如く、とど(止)まる所の者はおさ(治)まりおさむる所の者は化し、而順、暴悍勇力の属もこれが為めに化してまことあり、旁辟ほうへき(偏僻)曲私の属もこれが為めに化して公に、矜糺きんきゅう収繚(急戻)の属もこれが為めに化して調[和]す。夫れ是れを大化至一と謂う。詩に、王の猶(謀)のまことち、徐方もことごと(尽)く来たる、と曰えるは此れを謂うなり。

(同)

属→④なかま。たぐい。やから。同類。
雕雕→文彩の明らかなさま。文彩→取り合わせた色彩。模様。色どり。あや。
県→🈩①かける。(ウ)つらねる。
暴悍→凶暴でたけだけしい。
勇力→強い力。すぐれた力。ゆうりき。
愿→つつしむ。かしこまる。すなお。まじめ。
旁辟→かたよる。一説に、こびへつらうこと。
曲私→私欲にとらわれてよこしまなこと。わたくし。
矜糺収繚→(注より)王念孫いう、四字の意義はみな同じで、それぞれに急迫乖戻かいれい(せまりもとる)の意味があると。もとる→道理にそむく。反する。
塞→③みちる。みたす。
徐→⑤みな。ともに。
拙訳です。
『あるいは害悪があると思わないか。高い爵位と豊かな俸禄によって栄誉を保ち養うことに何の害悪があろうか。国民のだれもが願う事である。はっきりと明らかに高貴な爵位や重い褒賞を前にかがけ、公明な刑罰大きな恥辱をその後にかかげれば、感化されないようにしようとしてもできるだろうか、いやできない。だから民衆は流水のようにこの国に流れ着き、国にとどまる者は治まり、治まる者は感化され、さらには、強い力を持つ凶暴な者もこれにより感化されまじめになり、私欲にとらわれ偏りがある者も感化されて公平となり、せわしく道義に反する者もこれにより感化し調和する。このようなことを「大化至一(大きく感化し一つにまとめる)」という。詩経に「王の謀が真に満ちれば、すべての方面からことごとく来るだろう。」というのはこの事を言うのである。』

前々回、「賞慶刑罰埶詐せいさは人の力を尽し人の死を致すに足らず。」と、褒賞や刑罰、謀略では本当には人を動かすこと出来ない、不足があるとしていました。
そして、刑罰の最大は恥辱であり、賞慶の最大は栄誉であるとしています。
恥辱も栄誉も自分で感じるものです。テストで0点を取って恥ずかしいと思う人もいれば、平気な人もいます。クラスで一番の成績をとり先生に褒められて栄誉に感じる人もいれば、そう思わない人もいます。
このバラバラな感覚を感化させて思いを一つにして、政令を乱すようなことは恥辱であり、道徳を尊ぶことが栄誉になるという価値観を育てる必要があるんだと考えました。価値観のベースとなるのが礼と義にあるということですね。その結果が「大化至一」となるわけです。
今日も、色々考えさせられています。

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