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荀子 巻第六富国篇第十 6 その2

前回は、2つの姦道について読みました。
続きです。

故にいにしえの人のこれをすことは然らず。民をして夏には宛暍うんえつせず冬には凍寒せず、急にするときも力をそこなわず緩にするときも時に後れざらしむれば、事は成り功は立ち上下は倶に富みて百姓は皆な其の上を愛す。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

宛暍→暑気にあたる。
凍寒→凍りつくような、厳しい寒さ。
拙訳です。
『だから古代の人はこのようなことをしなかった。民衆が夏に暑気に当たらないようにし、冬には厳しい寒さに凍えることがないように、急を要することへの対処でも民力を損なわず、緩やかに対処する時でも時宜に遅れないようにしたので、事業は成り功績も立ち、官民ともに富み民衆はみな上位者を愛するのである。』

人のこれに帰することは流水の如く、これに親しみ歓ぶことは父母の如く、これが為めに出死断亡して愉(怠)らざるものは、它(他)の故なし。忠信調和均辨(平)の至りなればなり、故に国に君として民に長たる者、[民をして]時に趨き功をげしめんと欲すれば、則ち和調累解せば急疾するよりも速やかに、忠信均辨なれば賞慶するよりもよろこび、必ず先ず其の我れに存るものを脩正して然る後におもむろに其の人に存るものを責むれば刑罰するよりもおそる。

(同)

帰→②あるべき所におさまる。行きつく。おちつく。
出死→死力を出してつとめる。
断亡→たえほろぶ。
忠信→忠と信。まごころをこめ、うそいつわりのないこと。
調和→全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。
均平→ひとしいこと。ひとしくすること。また、そのさま。平等。公平。
趨→②おもむく。目的に向かって行く。
累解→(注より)楊注或説にいう、嬰類解釈なりと。即ち折衷の意で上の「調和」の義とひとしい。
急疾→①はやいこと。 また、せいていらだつこと。気短。②急病。
拙訳です。
『人々は流水のようにあるべき所・君主の下に収まり、君主に親しみ喜ぶこと父母に接するようであり、君主の為に死力を振り絞って務めるのに他の理由は無い。噓偽りなくまとまり平等を極めているからであり、だから国の君として民の上にある者は、時に目的に向かって功績を成し遂げようとする時、まとまりを理解すればいらだつ前にもっと速く、噓偽り無く平等であれば恩賞を与えるよりも喜ばれ、必ず君主自身を先に修正しその後に徐々に民衆を責めるようにすれば、刑罰に処するよりも畏れられる。』

[この]三徳のもの上に誠なれば則ち下のこれに応ずることは影嚮の如し。明達すること無からんと欲すと雖も得んや。書に、乃わち大いにこと(事)を明かにすればれ民は其れ力懋つと(勉)めやわらぎてはやきこと有り、と曰えるは此れを謂うなり。

(同)

嚮→④ひびく。また、ひびき。
明達→聡明で道理をわきまえていること。また、そのさま。
拙訳です。
『君主が三徳(忠信・調和・均辨)を本当に実行すれば民衆は影や響きのよう応じ、必ず聡明で道理をわきまえることになる。書経に「君主が事業を大いに明らかにすれば、民はこれに和し速やかに勉める。」というのはこのことを言うのである。』

前回は、名誉を得るため殖産興業を怠るのは非、民意を無視して殖産興業に専心するのも非、としていました。
今回、忠信・調和・均辨を実行するのが正という説明です。言い替えると、嘘偽りなく・まとまりをもって・平等に対応することが正です。
最後にまとめを書こうと思ったのですが、挙げられた三徳が当たり前すぎて、どうまとめようかと悩みましたが、実は当たり前すぎるこの3つが必ずしも実行できていないことに気づきました。
今の政治を見ても、質問に対して忠信をもって答えているとは言いづらく「ごはん論法」などという言葉までできていますし、調和や平等からかけ離れた「格差社会」のニュースも非常に多くなっています。
まずは自分から、嘘偽りなく、調和を図りつつ、誰彼と不当な差別をしないようにしたいと思います。

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