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荀子 巻第七王覇篇第十一 5

国は礼なければ則ち正しからず。礼の国を正す所以は、これを譬うるに猶おはかりの軽重に於けるがごとく、猶お繩墨じょうぼくの曲直に於けるがごとく、猶お規矩きくの方円に於けるがごときなり。既にこれをけばすなわち人にこれを能くあざむ(欺)くこときなり。詩に、霜雪の将将たるが如く、日月の光明の如し、これをせば則ち存し、為さざれば則ち亡ぶ、と曰えるは此れを謂うなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

たとえる→わかりやすく説明するために、ある物事を引き合いに出していう。なぞらえる。
繩墨→すみなわのこと。すみなわ→墨壺 すみつぼ についている、黒い線を引くための糸。
規矩きく→コンパスとさしがね。転じて、寸法や形。
方円→四角と丸。方形と円形。
既に→②その時点ではもうその状態になっていることを表す。もはや。とっくに。
錯→🈔①おく。⇒措
将将→(注より)この詩は今の『詩経』にない逸詩である。将明亡の韻。郝懿行いう、将将は大なり、霜雪がすべてにあまねく日月がすべてを照すように、礼は広大完備だというたとえであると。
拙訳です。
『国に礼がなければ正しく統治できない。礼が国を正しくする理由は、例えれば、はかりと軽さ重さの関係のようであり、すみなわと曲線・直線の関係のようであり、コンパスやさしがねと四角と丸の関係のようなものである。先にこれらを置き用いれば人を欺くことはできない。詩に「霜雪がすべてにあまねく、日月がすべてを照すように、礼を為せば存続でき為さなければ亡ぶ」というのはこのことを言うのである。』

国に礼が無ければ正しい統治は出来ない例として、はかりで量れば重さは確定しごまかせず、すみなわを使えば直線を引くことが出来曲直をごまかせず、コンパスを使えばキチンとした丸がかけてごかませない、ということを挙げ、同じように礼を用いればごまかすことが出来ず、正しい国なると導きます。
礼を用いれば、重さをごかませないのか、曲直をごまかせないのか、方円をごまかせないのか、何をごまかせないのか、そこがはっきりしません。
ここで詩の例が出てきます。霜雪はもれなく降り、日月はもれなく照らし、礼も同じでもれなくすべてのことに及ぶと、そうつながるんだと理解しました。


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