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経験者ってそんなにすごいのか

よく「経験してないやつにはわからない」と言われる。私もたまに言ってしまう。

また、長年人事実務しかしてこなかった私は、例えば「独立起業してないやつにはわからない」とか「営業経験のないやつにはわからない」とか散々言われた。

しかし今、独立したり経営したり営業したりしていて「なんだ、想像していた通りじゃないか」と思う。たまには意外なこともあるが、そんな大したことではない。

人間には想像力があるのだから、それを使えばよいのだ。何も全て経験しなくてもいい。経験しないとわからないとか言っていると、経験して学ぶだけで短い人生は終わってしまう。


世界は物理法則に忠実に動いている。その結果、あらゆることにある程度の確率で確からしい原理原則的なもの、定理や公式のようなものがある。それさえきちんと押さえていれば、たいていのことは理解できるし、想定できるのではないか。

むしろ、経験といっても人ひとりの経験量なんてしれている。たかだかn数は1。それを元に作り上げた持論は特定の前提条件でしか成り立たない。

実際、面接精度の研究でも、ベテラン面接官は「こういう人が優秀である」というステレオタイプが強くなりすぎて、結果、歪んだ評価をしてしまうという結果も出ている。私も気をつけないといけない。


そんな脆弱な経験などよりも、世界を支配する原理原則をきちんと踏まえ、事実からスタートして物事を考えていく方が、様々なものを正確に理解できるのではないか。

知性とは相対化できることだと思う。なんでも絶対視する人に知性を感じない。

常に自分の考えは「仮説」に過ぎないとわかっている人は、真理に対して心が開かれている人だ。絶対視している人には、目の前の現実すら目に入らない。

だから、私はなまじっかな経験に過ぎないのに過剰に増長した経験者よりも、謙虚で真理に対して誠実な未経験者に魅力を感じる。


もちろん、たくさんの経験を抽象して原理原則となる理論が生まれるわけで、経験が重要でないということではない。自分の経験に固執することがダメだということで、世界中の人の経験から得られたものに向き合うべき、ということかもしれない。

また、経験が全然ないのに理論をふりかざす人は人で、理論化までされているものなんて世界の現象のごくごく一部に過ぎず、研究されていないことばかりで世の中は成り立ち動いていることを強く認識すべきだろう。

そこではその道の経験者の力が必要というか、それに頼るしかない。うまい懇親会の進め方などを学問的に研究している人などいないから、宴会部長の経験は大事だ。


結局、「要はバランス」という平凡な結論なのだが、自然状態だと、「経験」〉「原理原則」となりがちなので、気持ちとしては経験を重要視し過ぎない方がよいのではないかと思う。

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