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弱さの強さ

結構自分のつぶやきは自虐的であると言われる。あるいは弱音を吐くよねと言われる。いつか新橋の居酒屋で昔の上司に言われた。

確かにあまりにネガティブな発言は読む人にとっても不愉快だし、そういうことを言う自分も自分のネガティブな言葉に縛られて、そのうち自己成就してしまうかもしれない。

しかし、自分は別に「弱音」を吐いてるつもりは本当はあんまりない。

僕の中では「弱音」というのは、自信がないから「どうせだめだ」と予防線を張っておいて、実際に失敗した際に傷つくことを最小限に押さえようとする行為である。

しかし僕のは単に事実を述べているだけなのです。ネガティブなのではなくて。

「どうせ俺なんて一生そんなことはできないのさ」とは言っていない。今、できないという事実は改善の道のりのスタートラインであって、制約条件ではない。その現実は変えられるのである。

だから自分は弱音ではなく、むしろ自分にハッパをかけているのである。

弱みを公言することにはいくつかの効用があると思う。

まず、もう皆に弱いところを言ってしまったのだから、以後いろいろ格好つけたり、弱みを隠して生きる必要がなくなる。「ああそうさ、おれは弱いさ。今はね」と堂々としていられる。

また、いろいろアドバイスや具体的なサポートをいただける。弱みをカバーできるような方法や実際の支援をもらえれば、弱みがそもそも弱みでなくなり解消されてしまうことがある。

最後に、弱みに関する情報は、このファイティングポーズが横行する東京砂漠などでは、できるだけ個々人は隠そうとしているので、希少価値を持つ。

しかも、実際には皆弱みだらけだから、こんな弱いのは自分だけではないと思いたい。ニーズの強い希少なものには人は集まって来てくれる。つまり、弱みをさらせば、同じ弱みを持つ人と出会える可能性が高くなるのである。

弱い人達も集まれば強くなる。アルコール中毒患者の方々も断酒会などのコミュニティを作ってお互いに元気づけながら、ノウハウを共有しながら中毒を克服していくという。

このように弱みをさらす勇気さえ持てば、実はそこには効能だらけなのである。

そもそも人間は弱いもの。「性弱説」と誰かが言っていた。

別に弱いことは恥ずかしいことなんかではない。

弱さは武器。弱さは強いのである。

さらけだすことさえできれば・・・

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