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長野県へ引っ越すことにしました。

2020年3月末、わたしたち家族は長野県へ引っ越した。

聞いてはいたけれど、ほんっとうに寒かった3月の長野。ここから我が家の長野での生活が始まった。


「学校をつくりたい」

2019年夏、学校のワークショップに参加した長男が帰るなり「僕ここの学校へ行きたい、学校を作りたい」と言い出した。2020年に開校する学校に行きたいというのだ。わたしも夫も、長男が興味を持つだろうなと思ってワークショップに参加してみたけれど、本気で行きたいと言ったのには驚いた。

しかし、長野県の軽井沢町だ。

通うためには引っ越さなければならない。

住むところや仕事、それに次男の保育園のこと(保活激戦区に住んでいて、次男は第一希望の園に入園できてやっと園の生活に慣れてきたところだった)色々と現実的な問題が湧き上がり、何度も何度も家族会議を開いては話し合う日々。


でも、長男はぶれなかった。今まで彼がこれほど強い気持ちで何かに挑戦をしたいと言ったことはなかったかもしれない。


「…じゃあもし受からなかったら?」


それでも彼は長野へは行くというのだ。驚きだ。意志が固い。


じゃあ、とりあえずやってみよう。

それが家族で出した結論だった。


まずはわたしの運転免許取得。「え?免許ないんですか?」と、今まで何回聞かれたかわからない。電車もたくさん通っているし、車の維持費はかかるし、必要なかったのだ。というのは表向き(まぁ嘘ではない)の理由で、本当は運転するのが怖かった。自分が車を運転する姿が想像できない。だから今まで取らなかった。でもここは腹を括ってやるしかない。33歳の秋、わたしは教習所に入校した。


同時進行でマンションを査定に出し、売りに出す準備を始めた。そして引っ越し先の検討に入った。軽井沢の町のことを調べると、湿気が多く場所によっては定住に向かないところもあるということがわかった。(軽井沢移住に関しては櫻井さんのブログがとてもとても参考になります。)


観光地としてしか軽井沢を訪れたことがなかったわたしたちは、軽井沢で「暮らす」というイメージがなかなか掴めなかった。そこでいつも泊まっていたクラスベッソ西軽井沢で、ハウジングツーリストの方に相談をしてみた。クラスベッソ西軽井沢は住宅展示場と宿泊施設が一体化した貸別荘スタイルの滞在ができる場所で、軽井沢の隣、御代田町というところにある。

初めて御代田町を訪れた時は「みよたまち」と読めなかった。(失礼)晴れていると浅間山がどーんと見えて、とても自然が豊か。軽井沢町へも佐久市へも近く、なんというかちょうどよい御代田町。



ハウジングツーリストの方やSNSで相談に乗ってくれた方、知人で長野に移住した方、長野移住イベントの担当者の方、様々な方に長野(中でも軽井沢周辺地域)での暮らしを聞き、我が家の引っ越し先は軽井沢町ならこの辺り、御代田町ならこの辺り、佐久市ならこの辺り、と、徐々に絞られていった。

長野での暮らしについてポジティブなことだけでなく、ネガティブなことも含めて様々な方からたくさんのお話を伺えたことで、ネガティブなこととどう折り合いをつけて暮らしていくのかのイメージが持てた。実際に足を運び、ネガティブな部分と向き合うことで、長野で暮らすことがグッと身近になってきた。


その頃、学校の募集が始まった。一次は書類審査で、保護者が子供のことや学校についてのレポートを提出する。子供たちの顔を思い浮かべながら「大きくなったなー」「長男はこんなことが好きだよね」「次男は常に全力疾走だよね」などと夫と話しながら、日々夜中まで作業をした。それはとても良い時間だった。そしてやっとの思いで二人の意見をまとめ、レポートを提出した。


一次の結果発表の日。大雨だった。

わたしはこわくて結果を見れずにいた。

そして夫から「子供たち、ダメだった」と一言、連絡がきた。

「…ごめん、学校ダメだった。」そう長男に伝えると彼は静かに泣いていた。

わたしたち保護者が書いたレポートで不合格になってしまった。わたしはとても責任を感じた。

「本当にごめんね。お父さんとお母さんの言葉では、君の思いを伝えきれなかった。」とわたしは謝った。

「僕が試験を受けたりして不合格ならわかるけど、まだ自分で何も挑戦していないし、何も伝えていない。僕の何がダメだったんだろう。」

そう言って泣く長男に

「やっぱり長野へ行くの、やめようか。」と言うと、

彼は「長野には行く。」と答えた。やっぱり意志が固い。わたしは申し訳なさでいっぱいだった。彼は一言もわたしたちを責めなかった。それが余計に辛かった。


それから家族でまた何度も何度も話し合い、わたしたちは地域の小学校と保育園にシフトした。

そこからは早かった。ここだ!という土地が見つかり、不動産屋さんのおかげで土地を確保できた。そしてマンションを買ってくれる方も見つかった。(長男が買主さんにとても気に入られ、彼のおかげで売れたと言っていい。ミラクル。)わたしも順調に(教官に叱られ、検定に落ちて泣き、高速教習で吐きそうになりながら)教習所通いを続け、無事に運転免許を取得した。



最初のきっかけとは違った形の引っ越しになってしまったけれど、わたしたち家族は今、長野で元気に暮らしている。

新型コロナウイルスの影響で引っ越してすぐに学校が休校になったり、保育園を登園自粛したり、わたしの仕事が始まらなかったり、色々あったけれど、とりあえずみんな元気に過ごしている。(車の運転はまだまだ全く慣れないけれど)


思えば、子供たちがいたからこそできたことがたくさんある。自分ひとりではきっと挑戦しようとも思わなかったことが、突然目の前に現れるのだ。2010年のわたしはまさか2020年に長野にいるなんて思ってもみなかっただろう。子供たちのおかげで、毎日大変だし忙しいしイライラするし面白い。時にはしんどくて泣きたくなることもあるけれど、そんな時は一度立ち止まって、考えて、みんなで話し合って、とりあえずやってみよう。

子供たち、わたしの人生をゆたかにしてくれてありがとう。君たちの人生がもっともっとゆたかになりますように。






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