8.

8月ですね

先日入ったコンビニでスピッツの渚が流れていて
夏かあ…と思いました
うだうだと過ごしてるだけの日々と
海とか青い夏の景色が自分の中で全く絡み合っていなかったから
そっか私はこういう季節の中に今いたっけかと思って…

18:30頃でも明るい空をお部屋の窓から見つつ
この時間でも空が明るい時期はもう終わっていくんだろうな…とかなしい気持ちになっていました

だんだんと涼しい風が混じって
空気が揺らいで
夏が消えていきますね

plentyのひとつ、さよならを思い出します
生ぬるい、気だるい雰囲気に混じっていく淋しさがたまらない曲だなあと思う
「愛さないことは簡単なことさ
愛しいと思うけど」

壊さないように、忘れないように
失くさないように
という思いと
香りを残しつつ消えていくことを
どう捉えて、どう進んでいけばいいんだろうね…

8月の曲といえば
あとは
ヨルシカの八月、某、月明かりと
people in the boxの八月
です
ふたつとも本当に好きな曲…

八月、某、月明かりは
初めて聴いた時衝撃を受けた曲です
暗い疾走感が印象的で

どうせ死ぬんだからと、何もかもどうでも良くなることが
苦しさから解放される手段には多分なり得ないんだけど、でも
全部最低でどうでも良くて
それでも愛おしい
そういう感情がきれいで苦しくて、たまらなくいいなあと思います

八月は
メロディーがまずすごくきれいな曲…
朝に口ずさみたくなる曲です

痛みさえ感じるひまもないくらいの気持ち
人の渦に削られて最終的になくなってしまいたい気持ち
走る車をぎりぎりでかわす気持ち
突然誰かと話をしたくなる気持ち
どれも想像できて

痛みや希死念慮を抱えながら
それでも何もかも関係なく、ジョークみたいな世界で生きていく

うまく言えないけど
死ぬことと生きることがうまく折り重なったような、不思議できれいな曲だなあと思います


あとは夏の曲は
スピッツのヒビスクスと漣
Galileo Galileiのバナナフィッシュの浜辺と黒い虹
とかかな…
あげだしたらキリがないけど

ヒビスクスはライブで聴きました
私のイメージする曲の色は
全体的な灰色の空気に
皮肉なくらいはっきりした空の青と島の緑だったんですけど
ステージのライトは赤くて熱っぽくて
それがすごく印象に残っています

漣は
寝れない夜に目を閉じて聴くと
自分が暗い海を横目に砂浜を歩いている気分になれる


夏の記憶で思い出すことをふたつ書いておこうと思います

ひとつめは高校時代の夏合宿、
夜のシューティングで
GReeeeNのオレンジを聴きながらいいねって嬉しそうなお友達の笑顔です

当時は、大人になってもずっと仲良しでいようとか
みんなで近くに暮らしたら楽しそうだよねとか
そういうことを本気で信じていた

蒸し風呂の体育館の中で走ったことも
朝ランがきつくてその後の朝ごはんを食べるのがしんどかったことも
夕飯に用意された色とりどりのフルーツも
休憩時間にみんなでふざけたことも
みんなでしりとりをしながら銭湯に行ったことも
全部断片的で
何にも意味を持たない、今と繋がらない記憶になってしまった気もしてしまう

ふたつめは去年の夏の終わり、
バイト後に外に出たら花火の音がしていて
花火やってる!て
みんなで花火が見えるところを走って探したことです

どこの花火か調べたら
近くの高校が文化祭か何かであげていた花火で
歳下の子たちが内輪の文化祭であげるような小さな花火でこんなに興奮して私たち馬鹿みたいだねって笑ったんですけど
私はこういうのがいいなあって思って
すごく良い記憶として残っています

バイト辞めてもうすぐ1年になってしまうな

いろいろ含めて
まちがいさがしの夏に遠回りするの
「何もかも何もかもは 今では思い出せないけれど 
それでもたしかに 夏だった」
という表現がしっくり来る気がしています


何にもしていない日々ですが
思ったより寝込んでいないです

簡単にいえば鬱病の治療を5月から始めまして、
薬が効いてるんですね…

中途覚醒も当たり前になってきたので
3時とか4時にゴミを捨てるために外に出ることも多いんですけど
だんだんとほの明るくなっていく空と
まだ眠っている街
遠慮のない虫の音
ていうのがすごく心地よく感じます


自分を形作るもの、根底にあるものは苦しさや淋しさ、せつなさだと思っていて
お薬を飲んでそういう気持ちがなくなっていくことに
自分がなくなっていくような不安を覚えた時期もあったのですが
元気になっていく自分も受け入れられるようになってきたかなとも思います

ただ鬱が良くなってきても
たまにふと甦る鬱の感覚みたいなものはまだ残る、
ずっと残り続けるのかもしれないし
それが完全になくなってほしいとは思わないけれど…

そして、治ったとしても
誰かに褒められたり認められたり
必要とされたり
そういうことでしか自分を保っていけないのは変わらないのかもしれないなあとも思います

ただ、治療前の自分は
どうせ誰も助けてくれないと思っていたんです
けど
今はそう思わなくなった…
仕事とはいえ病院の先生やカウンセリングの方、
しんどい時に楽しいことをしようと連れ出してくれたお友達
私に会うと喜んでくれるお友達
なんかね、
自分の世界には自分しかいなかったのが
自分と近くのまわりの人たち、て
思えるようになったのかな…
幼稚な進歩ですね…




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