宇宙犬

インターネットに文字を投げつけている犬。

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最近の記事

パソコン音楽クラブはいいぞ。

パソコン音楽クラブはいいぞ。 という一言で実際終わってしまうのだけど、これで終わってしまっては記事にする意味がないのでちゃんと書くぞ!(キーボードを叩きたいだけ) パソコン音楽クラブって何? 90sに活動をしていたテクノポップユニットで知る人ぞ知るそのハイセンスな音楽センスと活動内容は当時のインターネットギーク達に愛されカルト的な人気を博した。実は阿部寛と同じぐらい生きる化石サイトでもある。 という記載がネットの海に落ちていた…。 ごめん、嘘ついちゃった✨。 あまり

    • 楽しく、意味なく、文字を打つ

       文字を打ちたいだけ、実際そうやってこの文章を書いている。書くべきことは何もないのだけどなぜかキーボードの手が動いている。  キーボードを打つことはどこか原始的な快楽につながっていて、触って「しゅこ」「かちっ」「すん」といった音とショックがあり、そしてその結果が画面に反映される。人間というものは自分のやったことに対してわかりやすくフィードバックがあると嬉しい生き物なので、キーボードを触ることはその快楽を簡単に満たしてくれるのだ。  そして副次的に自分の気持ちを形にすること

      • どんなに世界的な事でも個人的な事にはかなわないんだ。 - VA-11 HALL-Aと私 -

         自分の周りの世界が死であふれていて、辛さにあえぐ人々がいて、そして一向に改善の兆しが見えない、むしろ悪化すらしているような状況であっても私たちは昨日遊んだ友人のことや、過去の恥ずかしい経験やトラウマ、恋人との関係などの個人的な事ばかり気が向いてしまう。今日のタイトルのもとになった発言をしてくれたゲームの開発者は「世界レベルでどんなに大問題が起きていても、人間は自分の中の個人的な問題を大きく感じてしまう」と インタビューで述べた。今日紹介するこれはゲームだけれでもどこかどうし

        • 私はネットが怖い。

           私はネットが怖い。現実と地続きになっているネットが怖い。  今のネット世界は不可逆的に現実とつながっている。しかも意図したときに切断できるパソコンのようなものではなく、常時接続でネットワークにつながれている。そしてそのネットワークは人間関係に直結している。  私たちのありとあらゆる会話は基本的に保存され利用される。正直これを企業が使う分には大した問題ではない。広告や行動変化に使われるぐらいであれば、私たちに直接嫌なことは起こらないからだ。しかし、これが個人の間で行われる

        パソコン音楽クラブはいいぞ。

          移ろいゆくことのありがたさについて。

          物事が移ろいゆくことの真理を仏教では無常という。一般に無常ははかなさや、幸せも流されていくことの悲しみを言う。だが、移ろいゆくことはありがたいことだと私は思う。水は流れ続けなればあっという間によどみ汚れてしまうけど、流れてさえいれば常に清くあるように、常ならぬことで世の中はよどまずにいられるのだから。 この常ならぬ事実があるからこそ、私たちは自身の人生に絶望せずに済んでいる。現に幸せはなれてしまうけど、つらいことは残りやすいのは人間の性だ。 仮に全て予見できたらどうしよう

          移ろいゆくことのありがたさについて。

          繋がり過ぎだったんだ

          私は「繋がり」という言葉が嫌いだ。 よくあの人とこの人を繋げるだとか、もしくは繋がったとかそんな用途で使われている。 言葉の奥を除けばドロドロとした束縛めいたものがあるし、実際に縛るくせして自分はその行動の責任は取ろうとしない、自分の意思ではなく「みんな」の気持ちがその関係性を作ったと言わんばかり。なんて不誠実だろうか。そんなことばで私を縛らないで。 繋がりという言葉 パンデミックや大地震などの災害が起こるたびに「絆」だの何だの騒がれる。普段はそんなことを一切言わないよう

          繋がり過ぎだったんだ

          感想文あさりという趣味

          個人的な密かな趣味として感想文あさりというものがあります。 何を知りたくてそんなことをするの?登場人物?関係性?設定なのでしょうか? 実際に作品を語るに大切な上記の要素を満たしていてる作品の内容だけ伝えるような感想文というものはどれほど緻密にその作品を語ろうともちっとも面白くありません。当然自分が大好きな作品ですらその有様です。 じゃあ何が良いの?という話ですけど、そう感想を書いている筆者の感情が溢れているものが良いのです。励まされるのです。 最近は随分と減ってしまい

          感想文あさりという趣味

          Highway

          それに乗りながら見る風景の移ろいは何処か感傷的な気持ちにさせる。 オレンジの単色光が景色を明暗だけに変えてしまうからだろうか、夜のナトリウム灯の灯りとテールランプの連なりはここだけが異界のように感じさせる。 そんな隔絶した環境の中でちらほら見えるカラフルなホテルの光が不思議な暖かさがあった。

          ゴハンに愛を

          今日はゴハンと日常の話 食事を軽く扱いすぎで悲しい。もっと大切にして欲しい。日常を大切にして?食事に愛を、ゴハンに愛を。 みなさん食べること食べ物は好きですか?わたしはどうかしちゃうぐらい好きです。こんだけ好き。 料理写真をInstagramに上げないたくない。食事における風景も背景も何もかも独り占めしたい。料理画像で満足するなんて食事対する冒涜では?? ただ、こんな事言うと十中八九引かれます。 でもわかります。そんな反応になるのは食べるという事が、ただそれだけの行

          ゴハンに愛を

          "わたし"の 在り処

          世の中には色々な私がいます。人と楽しそうに話す私、人と会話することを拒否する私、アウトドアが好きな私、家に引きこもって本を読むことが好きな私。 どれもこれも話し口調も違うし、振る舞い方も考え方すらも違っています。でもどんな私だって周りの人はそれを”わたし”だと認めている。 これはいささかこの体の持ち主である私にとっては不思議なことでした。どこに”わたし”を見ているのでしょう? 考えてみるいくつか共通点がありました。私達(様々な振る舞いをする私の事)はどんなときでも唯一だ

          "わたし"の 在り処