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中学受験の保護者に感じること(家庭教師目線) ~偏差値編~

大学1年の夏ごろから家庭教師のアルバイトをしている。今まで合計で10人ほどの生徒さんを見てきたが、その中の何人かは中学受験に向けた勉強を担当した。(ちなみに現在も2人ほど受験直前期である)

いろいろなご家庭があるわけだが、保護者の中で偏差値にこだわりが強い方もいらっしゃる。模擬試験の偏差値で一喜一憂しているのだ。もちろん、偏差値が上がったことを喜ぶのは悪いことではないし、それで生徒さんのモチベーションが上がるのならば良いことだろう。

しかし、私自身は、偏差値にこだわりすぎるのは逆効果だと感じている。今回は、(それほど多いわけではないが)家庭教師をしてきた身として、その理由を言語化してみたいと思う。

※受験論に関しては好評であれば引き続き書いていくつもりなので、よろしければスキや拡散をよろしくお願いします。

偏差値をきちんと理解すべし (落ち込む必要はない)

まず、偏差値にこだわる人ほどあまり偏差値の意味を理解していない場合があるので、偏差値について簡単に説明してみたい。

偏差値は、その模試を受けた人の中で、どの位置に属するかを表す数値である。当然ながら、その模試を受けた人のレベルが高ければ、同じ点数でも偏差値が低めに出るし、レベルが低ければ偏差値が高めに出ることになる。だから、どういう人たちが受ける模試かによって偏差値は大きく異なってくる。

さて、中学受験は必須ではない。中学校は義務教育機関であり、受験をせずとも入学は可能だ。それでもなお中学受験をするということは、同年代の中でそれなりに恵まれた教育環境にあり、よく勉強ができる人と競う場だということを忘れてはいけない。

つまり、偏差値がたとえ50を下回っているとしても、全国の小学生全員がその模試を受けていれば、多くの場合偏差値は50を超えているだろう。偏差値が50を下回ったから、自分の子供はレベルが低いなどと思う必要はない。

偏差値も点数も変動する

偏差値や点数が簡単に変動するということも考えるべきだろう。例えば、その模試に偶然最近習ったところが出題されたとか、生徒さんが得意な分野が出たといったことがある場合、点数が良くなって偏差値が高くなることがあるだろう。しかしその場合、以前の模試と同じような問題が出た場合には、結局偏差値は変わっていないという可能性がある。

また、少し難しい問題が多めの模試と基本問題が多めの模試では、偏差値が大きく変わってくるかもしれない。それは、先ほど述べた受験者層のレベルが違うことが原因かもしれないし、生徒さんが応用問題にチャレンジできるが基礎的な問題で取りこぼしがち、とか、逆に基本問題はミスなく解けるが応用問題には手が付けられない、という特性であることによって生じるものかもしれない。

点数が5点ほど変わったら、偏差値が1ぐらい変わることはよくある。5点くらい、1、2問正解したか間違えたかですぐ変わり得る。その程度の変動は本番の受験にもたらす意味はほとんどない。ここをしっかり認識しておく必要がある。

偏差値で一喜一憂することが子供に与える影響

中学受験をする生徒さんは、当然小学生である。小学生が自発的にこの中学に行きたい!と熱望することはあまりない。中学の情報も親御さんが集めて、言われるがままに受験するというのがほとんどだ。

小学生は、勉強よりも遊びたいと思うのが自然である。仮に勉強が好きでも、受験勉強が好きだなんていう子供は普通いない。もちろん、早くから塾に入れられて、その競争社会の中で強者に君臨する一部の子供はそうかもしれないが、大多数はどちらかといえば勉強嫌いだ。

そう考えると、子供は、基本的には親の要望に応えて勉強しているといえるだろう。もちろん、勉強すれば褒めてもらえたり、ゲームをさせてもらえたり、おやつをもらえたりするから、というのもそれに含まれる。

この状況で、偏差値が1上がったり下がったりしたから、褒められるとか、逆に不機嫌になるとかされたら子供はたまったものではない。そういう子供がバレバレのカンニングをしているなどという証言も塾講師のアルバイトをしている同期から聞いたことが複数回ある。

子供からしたら模試の結果はあまりコントロールできないものである。自分が勉強したから模試の成績が上がったと思える結果の場合はまだいいが、多くの場合そんなに単純に反映されるものではない。日々の努力が長期的に、徐々に偏差値の上昇に結び付いていく、というのが普通だ。努力と無関係に結果で評価されてしまうというのは、子供にとって好ましくない心理的反応を引き起こしがちなのは当然だろう。

何をもって評価すればよいのか

では結局のところ、どういった目線で子供の成長を見守ることができる保護者であるべきなのだろうか。

もちろん、普段からの子供との関係性が一番重要なのは言うまでもないだろう。干渉しすぎず、かといって無関心になりすぎず、子供の心情に寄り添える保護者が一番だ。受験はたかが受験。子供の生活の1パートに過ぎず、もっと全人的にかかわっていること、信頼していることが大切だろう。

そのうえで、受験に関することで言えば、「できなかった問題ができるようになった」、「自発的に勉強に取り組む姿勢を見せていた」ときに褒めればよいのではないだろうか。あとはもちろん、子供が話をしてきたら否定せずに聞いてあげればよい。悩みがあるのであれば親身に聞いてあげればよい。

大人はどうしても大人の目線で受験をとらえるから、焦ってしまうのも当然かもしれない。しかし焦った大人を前にした子供が冷静に集中できるだろうか。それは無理というものだ。

精神的に成熟した大人だからこそ、どっしり構えておく。これが一番肝要だと思う。親がどっしりしていれば、子供も自由に動ける。結局、受験で受かるかどうかは親が思っているほど重要ではない。仮に望ましい結果が出なかったとしても、その挫折経験から、高校受験や大学受験で素晴らしい結果を残す人もいる。

つまり、受験は結果がすべてでありながら、人生の上ではそうではなく、その過程で、問題解決能力や主体性をはぐくめるかどうかの方が重要だ。そして1回1回の模試の偏差値は、その点で全然重要な指標ではない、ということだ。

その観点で、先ほど述べた、『「できなかった問題ができるようになった」、「自発的に勉強に取り組む姿勢を見せていた」ときに褒める』ということが大切なのだと思う。


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