こころの漂白、半1人直感旅 in京都
3月14日に、京都に行ってきた。
仕事ならホイホイどこへでも行くけれど、プライベートのフットワークは漬物石のように重い。超インドア派である。
だが、来年度、大きく活動が変わることに伴う、ストレスが漬物石よりも重く、「ああ、なんか旅に行きたい」という画期的衝動をもたらした。
とはいえ、どこに行っていいかもわからない。
そこへ、ふとカレンダーを観ていて目に飛び込んできた、連れの京都での仕事の予定。「そうだ、京都に行こう」と思い立ったのである。
こころの声が「キョウトへイキナサイ」と響いてきたのである。ホンマカイナ。
自分は仕事だというのに、旅感満載の妻に嫌そうな顔もせず、同行を許してくれる連れ合いには感謝しかない。しかもランチもおごってくれた。ありがとう、そして、ゴメンね、連れ。
旅の目的地もプランもなく、とにかく直感にまかせた行き当たりばったりの旅が始まった。
連れの研修会場(彼は講師をしているのだ)の近くというご縁だけで、京都御苑をフラフラを歩く。紅白の梅が満開であった。
連れも言っていたが、京都の空気はなんだかまろやかだ。平日のせいもあるのかもしれない。ストレスフルな身にはやさしくてここちよかった。
梅は美しかったが、案外惹かれるのは、葉がまったくない木々だった。なんと潔く、美しいことか。無駄なものがいっさいない立ち姿に下手なカメラを向ける。
京都御所内には、下々の者は簡単に入れないのだろうという偏見を見事に裏切って、軽い荷物チェックだけで、撮影もOKということだった。やはりこのクラスの御方々はこころがお広くてらっしゃるのである。
にぎやかな中国や南米の観光客の皆さんとともに、順路にしたがって練り歩いた。
白壁が美しい建物、朱色の柱が立ち並ぶエリア、コバルトブルーを背景にする襖絵、渋いところもあるけれど、御所内はビビッドな色があふれていた。
古の中国あたりにタイムスリップした感がある。よう知らんけど。
アトラクション的に御所内を堪能して出たときには、おやつの時間を過ぎたあたりであった。
雲がほとんどなく、蒼天が広がる。4月並みという暖かさだったが、風はとても強く、ヒューヒューとときどきうなる。日傘が何度も反対向きになった。
16時半すぎという待ち合わせに間に合わせるべく、白い砂利が敷き詰められた広い道を、連れが仕事をしている会場へ戻っていく。風の音が頬をなで、カラスや他の鳥たちの声が天高く響く。
その下で、バッハの通奏低音のように砂利を踏む音がひたすら鳴っている。音たちに集中すると、わたしのこころでわたしが消える。ただただ、音音おと。
ストレスでダメージを受けていた心身が、この境地を求めていたのだろう。何も考えないことは、リカバリーする力を与えるのだ。
そして、妙に楽しかった。1人は自由で本当に楽しい。
直感に導かれた半1人旅は、やさしい楽しさとともに終了した。
その楽しさを連れに話していると、「ああ、1人もいいけど、他に誰かがいるのもいいもんだ」と感じられた。
これに味をしめて、また近々に半1人旅を決行する予定である。
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