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一週遅れの映画評:『プリズナー・オブ・ゴーストランド』紅い快楽の夜を駆けろ。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『プリズナー・オブ・ゴーストランド』です。

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 たぶん一番多い感想って「困惑」だと思うんですよ。
 映像的にもストーリー的にもそれぞれの場面も、連続性が意図的に排除されていてもの凄く見づらい。その上でいろんなセリフが上滑りしていって(特に主人公が唐突に「ヒーローだ!」と言われるあたりとか)結構しんどいんですよ……ていうか有体に言うと「わけわかんない」、もうすこし悪口を混ぜると「古いタイプの高尚サブカル」って感じで。
 
 そういうのがね、私は好きなんです。この『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』も個人的には結構な傑作、たとえば『未来世紀ブラジル』を観てる時に動いた心の部分、それと同じ場所が反応しているんです。
 
 舞台は日本ぽいんだけど色々めちゃくちゃで、いわゆる遊郭街みたいのがベースになってるんだけど、なぜかそこに西部劇っぽい街並みがシームレスに混ざり合いながら接続されていて。花魁とか遊女がいて刀を持ったサムライがウロウロしてるなかに、当然のごとく拳銃を携えた西洋人がいたり「保安官」って役職の人間がいたり。それなのに普通にスマホで写真を撮ってるっていう。で、その街を牛耳っているのがガバナーっていう初老の男、全身白スーツと帽子でキメた分かりやすいマフィアのボスって感じなんだけど。
 この時点でしっちゃかめっちゃかでものすごく混乱しそうじゃん?
 
 ただ私はこのビジュアルがめちゃくちゃ好きで、確か99年か2000年あたりに『バミリオン・プレジャー・ナイト』っていう深夜番組があってさ。たぶん一番有名なコーナーは「フーコンファミリー」、あとに『オー!マイキー』ってタイトルで単体映像化されてるやつ。それをやっていた基本映像コント番組なんだけど、それがもう映像的に死ぬほど尖ってたんですよ。もうこれが私は大好きだったの。それに通ずるものがあって、特に壁から顔出した大量の遊女が首をグルグル回しながら歌うってシーンがあんだけど、もう完全に「バミリオンじゃん!」と思って。私の中ではそれだけで映画代の元は取ったな、って感じなんですけど。
 
 それでね、その街のさらに郊外には核処理施設の事故で汚染された地域があって、そこがスラム化している。主人公はそのスラムに、街から逃げ出したガバナーの娘を探しに行くんだけど……この街とスラムの位置関係がよくわかんないの。244マイル、みたいな標識があったりするんだけど後半で子供が走ると大体10分ぐらいで着いちゃうw
 でもね、その「位置関係が崩れる」ってのが重要だと思っていて。
 
 というのもスラムでは真ん中におっきい時計塔みたいのがあって、住人はその時計の針が進まないようにロープを結んで引っ張ってるのよ。曰く「これ以上時間が進むと、大事故が起きる」らしくて。
 その一方で街のボス・ガバナーは「時間を支配している」と言われている。確かにスマホがあるのに遊郭で、しかも西部劇の時代も混じっていて、この街ではまともな時間の流れなんて存在しないと言われれば納得できる。
 だからこれ、ガバナーの娘は「支配されている場所」から逃げ出して、だけど辿り着けたのが「時間の止まった場所」であるわけですよ、そこで彼女は「私は囚人(プリズナー)」じゃない!」と叫ぶ。それって時間という檻に捕らわれた者ということで、つまりこの作品の主題って「時間というものを自分の手に取り戻す」なのね。
 
 それは主人公に仕掛けられたギミックもそうで、ガバナーから娘の捜索を依頼されたときに「3日以内に戻らなかったら爆発する」仕掛けを首と両腕と股間に付けられるのよ。時間を支配しているというガバナーの権力を視覚化/制度化するとそういった仕掛けになるのね。主人公はそこから自由になりたいけど、その命じるままに行動して爆弾が外されたとしても、それはやっぱり支配されてる側なままじゃない?だから「時間というものを自分の手に取り戻す」ためにはガバナーを倒さなければならない。
 そうやって考えるとさっき話した「子供がすぐにスラムへ着いちゃう」問題も、主人公がガバナーを倒した直後に出てくる描写で。それは本当ならもっと時間がかかるハズの行程をすっ飛ばせるようになった、つまり「時間の流れ」を自分たちの手に取り戻したぞ!って表現になるわけですよ。
 
 でね、この「時間というものを自分の手に取り戻す」って話。私のキャスを聞いてくれてる人は覚えていてくれてると嬉しいんだけど、去年やった『TENET』と同じなのよ。『TENET』では主人公の要件として「時間を好きに扱えること」がある、みたいな話が最後に出てきたけど、この『プリズナー・オブ・ゴーストランド』本質的には同じ問題系なの。
 確か数年前とかに「スマホゲームをはじめ、いまのコンテンツは”可処分時間”の取り合いだ」みたいな話があったじゃない。その中で映画ってだいぶ苦しいわけですよ、だって「Amazonプライムで隙間時間に動画を見よう」みたいな貧困極まるCMがCMとして機能してるわけじゃない?その中で「往復の移動時間と2時間少々の上映時間、プラス諸々」の時間を強要するのはやっぱかなりキツイ(だから「大ヒット映画がさらに客を呼ぶ」みたいな、面白いかどうかわかんないものに賭けるギャンブルが避けられるわけで)。
 そういった問題意識をノーランと園子温が共有してる、ってのはなかなか面白いなと思いました。
 
 でもホントにね『バミリオン・プレジャー・ナイト』でそういうシュールな映像の威力にやられた人間としては、この作品が打ち出すビジュアルは好きだし、個人的には結構好きな作品ですよ。ビザールな視覚からの刺激、あるいは奇妙な演出とかに反応してしまう人は見ても損はないと思うな。うん、配信とかに来たら見返すと思う。

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 次回は『DUNE-砂の惑星』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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