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一週遅れの映画評:『ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷』気持ち悪さと危険性の狭間で。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷』です。

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 『ゼロワン』に期待してたものが何だったのか?ってのを考えたとき、私にとってそれは「ありえたかもしれない”仮面ライダー”を描いてくれるか」ということだったんですよ。
 少し噛み砕いていくと、まぁ昨今の流れからいえば「AIも人と変わらない人格を持つようになる」って話になることは明確で、それこそ先に『Detroit: Become Human』がちゃんとヒットしてたりしてる点もあって。それと同時に「道具として作られたものが権利を主張する」なかで起きる混乱とかってやっぱ何度もフィクションとして描かれてきた……っていうかこれめちゃくちゃ現実の話なんだけど、まぁそれは後でね。
 それでそういった中で『ゼロワン』は何をやってきたかって考えると、まず人間寄りの天津、刃あたりと思いっきりヒューマギア側の滅亡迅雷、その調停者として或人たちがいるみたいな、本当はもうちょっと複雑なグラデーションがあるんだけどまかざっくりとはそんなんですよね。
 これで最初に言った「ありえたかもしれない”仮面ライダー”」てぇのはつまり、「正義の味方の仮面ライダー」に対する「別の正義の仮面ライダー」で、まぁそれって今までの「仮面ライダー」シリーズの中では当然に描かれてきたっていうか、主人公とは別の「仮面ライダー」が登場する時点で大なり小なりそういった役目は持ってるわけじゃない?
 とはいえそういった2号ライダーと称されるライダー達って大概は主人公と共闘関係になる、いやまぁこれも例外めちゃんこ多いからアレなんだけど、それこそ私が一番好きな『555』とかwこうやっていちいち「雑なこと言ってんなぁ」と思って注釈、というか横道にそれちゃうのは「仮面ライダーが、好きだからぁ!」ってことで大目に見てもらえると嬉しいんだけどw
 
 でなんだ、そう、だから『ゼロワン』ではかなり明確な「虐げられている者たち」がいて、だって「道具として作られたものが権利を主張する」ってすっげー奴隷制度の話とニアイコールになるわけで、それこそBLM、「Black Lives Matter」っていう今現在進行形のものもあってさ。
 そういった環境のなかで「人間のための仮面ライダー」に対して「ヒューマギアのための仮面ライダー」がどう対立し、どう戦っていくのか?みたいのを私は『ゼロワン』に期待していたんですよ。
 
 で実際本編ではそれをやろうとした気配はある、かなりある……んだけどまぁそのルートは頓挫したなぁって印象なのね。とはいえねぇ、これは仕方ないですよ。だって「弱者の味方」を倒すわけにはいかないし、かといって和解共闘もしっかり描こうにも、ほらどうしても「意見の食い違う人間同士のぶつかり合い」も一緒にやらないといけないから難しいとは思うんですよ。
 
 それに加えて或人は設定上も役割としても「調停者」になるしかないから、やっぱ彼が主人公でいるかぎり「完全に敵対するヒューマギア側の仮面ライダー」って消化不良をなぁなぁで誤魔化す感じにしかならないわけです。
 
 そこで今回の『ゼロワンOthers』では、或人が衛星開発プロジェクトで宇宙に1週間行ってる間に事件を起こす!という結構な剛腕をブン回しつつ「ヒューマギアのための仮面ライダー」をやってやる!っていうのが明確に出ていて、正直かなり好き。
 
 しかもね、一応テレビ本編ではなんとな~く人間との共存を選んだ滅亡迅雷.netなんだけど、実際はそれぞれのキャラクターで「共存」の度合が違う、それこそ最初らへんで言った「複雑なグラデーション」を持った組織ではあるのね。
 それに対し「いややっぱヒューマギアとか道具っしょ」っていう軍事企業が出てきてそれに抗うことになる。それでその軍事企業が兵士ヒューマギアにシンギュラリティ、いやゼロワンの「シンギュラリティ」って独自用語だからこれ大丈夫か……?いいか、私のキャス聞いてんだから仮面ライダー見てて当然でしょ。
 えーと、そう、シンギュラリティを起こさせないために取ったのが「合議制システム(名前違ったけど忘れた)」で、つまり兵士ヒューマギアのAIをリンクさせて、そのAI同士で多数派となった意見で行動するっていうので。
 
 確かにゼロワンでシンギュラリティ、人格の獲得が起きる過程って「個人的」な(この時点ではまだ「個体的」って言ったほうが正しいかな?)理由で「例外的」な行動をすることから誘発されてるわけで、それを回避するために「全体的」で「一般的」な決定になる可能性が高い合議制を導入することで、シンギュラリティを回避するってには設定的にも理にかなっているし、「全員で示しあわせて人格を放棄する」っていうものすごく不気味で社会批判もあって、これすごく良い「ゼロワン本編以降の敵」だと思うのね。
 
 その合議制に対抗できない滅亡迅雷.netは、逆にその合議制システムをハックして「滅亡迅雷.netだけで合議を行うことで意志を統一、パワーアップした仮面ライダーに変身」することができるようになるんだけど……さっきも言ったように滅亡迅雷.netには考え方にグラデーションがある、そこを無理矢理統一しようとするとどうなるか
 それは根底にある「ヒューマギアのために」だけが増大することになって、だから滅亡迅雷.net4人が合わさった「仮面ライダー」は確かに「ヒューマギアのための仮面ライダー」ではあるんだけど、代わりに人へ対する激しい憎悪を持ってしまう。
 
 いや、ここ本当に上手いと思って「全員で多数決に従う」気持ち悪さが敵側なら、滅亡迅雷.netは「少数で過激化する」危険性をあらわにしてるんですよ。みんなで決めるも上手くいかない、限られた人だけで決めると暴走する、一人では力が足りない……いやもうこれ「マジョリティの意見は正しいとは言えない」「マイノリティだけでは意見が偏りかねない」「一人では社会を変えられない」って話じゃないですか。
 
 これよ、これが私の見たかった『ゼロワン』よ!って感じがめっちゃする、でも予感だけ。
 
 なぜならこの『ゼロワンOthers』は前後編で続きは7月だから……いやぁ、こういうの私はものすごい減点対象になんだけど、どう?
 
 なんにせよこの映画評を7月に続くのであった。

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 次回は『ゾッキ』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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