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一週遅れの映画評:『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』伝説が、壮絶に、はじまる。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』です。

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 いやぁ、もうねこれ70分ちょっとの映画なんスけど、言いたいことを全部言ったらたぶん700分必要になるんですよ。こんなんもう戦闘放棄ですわ。見てください、ドーン! おわりっ
 
 それでも一番感じたことを言うなら「あぁ、本当にこれで『アイカツ!』は終わるんだなぁ……」ってことで。いやね、『アイカツプラネット』もあったし、たぶん『スターズ』とか諸々を含めて『アイカツ!』っていう大きな枠組みは続いていくんだろうけど、それでもこの『アイカツ!』は終わるんだな、と。そして終わることで、本当に”始まる”んだね。そう思ったわけですよ。
 
 それを一番感じたシーンが鍋してるとこで。いちごたちが普通に酒飲んでるんですよ、これ見てもう座席でひっくり返りそうになるくらい驚いちゃって。
 確かにスタートから10年で、最初に『アイカツ!』に触れた女児世代だってもういい大人なわけですよ。それに劇場版だからある程度は見る人もコントロールできる、だから飲酒シーンを入れたらダメなわけじゃない。それでも、それでも一応カテゴリーとしては「女児アニメ」なわけじゃないですか。実体はどうあれ、そういうガワではある。
 そこでこうやって主人公たちの飲酒シーンを描く。それも匂わせなんかじゃなくて、かなりしっかりと描かれている。これってもう彼女たちが「女児アニメの主人公」という枠組から飛び出した、そういうことになるわけですよ。
 だからね、このお鍋やってるシーンはめちゃくちゃ面白かったんですけど、それと同時に「あっ、『アイカツ!』はこれで本当に終わるんだ」って強く感じて。なんかもう正直どういう情緒で見てればいいのか、マジで全然わかんなくなっちゃって……どうしたらいいんですかね? 私はどうしたらいいんだ?
 
 だけど終わるから「始まる」んですよ。えーと、こっからの話は割とイカレたことを言い出すと思うんですけど……私の中では下地として昔『アニクリ』に書いた『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に関する論考があって、それを読んでもらってるとイカレ部分が通じやすいんだけど。

 まぁ、なるべく伝わるように話していきます。
 
 えっとね、今回の作中で「これから先、どうなるかわからない」って話が繰り返されるわけですよ。スターライト学園を卒業して、アイドル活動は続けていく人もいれば、いったん別の道に行く人もいて。そりゃ当然、その先で努力もするし頑張るけど、その結果として上手くいかなかったり、失敗することもあるかもしれない。それどころかまったく思ってもいない出来事があるかもしれない。そういうことを何度も何度も口にする。
 いや、ここがね! 私はめちゃくちゃ好きなんですよ! ていうのも自分の思想の根っこには「人間の想像力は凄い」というのが当然にあるんですけど、そこからさらに「それでも偶然によって動く世界は、その想像を上回っていく」と思っていて。それは良いことも悪いこともそうで。
 だからなんかこうフィクションで”運命”みたいな話をされるのがあまり好きではないんですよね。人間の想像力程度で思い描けることしか未来に起きないんだったら、それは現実がもってる偶然の作用を決まりきった型に押し込めたいっていう、邪悪な願いなんじゃあねぇの? と考えていて。
 
 そこでこんなに「未来はどうなるかわからない」って言い続けるのを見たら、感動するしかないわけ。それでね、その話が出るたびに、続きとして「でもここまでの道のりは確かにあるよ」があるわけさ。
 こっからメタな話をしていくと、『アイカツ!』って作品は全173話+劇場版があって、それは当然DVDソフト化されていたり配信としてあったりするわけじゃないですか。だから例えば『アイカツ!』第1話の星宮いちごが「この先どうなっていくか?」ってもう決まってるわけですよ、173話ぶん。あるいは私が一番好きな『アイカツ!』第76話「びっくり☆フレッシュガール」で登場した大空あかりが(いやホントは、この76話自体が「決まっていないこと」が重要なテーマになっていて、ダンスや歌に失敗するという”偶然”が……って話が無限にできるんですが、今日は割愛。詳しくはこれを読んでほしい)

そこからどうなって行くかって、まぁ私は知っているわけですよね。
 だからそういった意味でも、星宮いちごたちが歩んできた「ここまでの道のり」は確かに存在している。そこに「もしも」という二次創作的な想像力が働くことは当然にあっても、それはやっぱりifの話でしかなくて。ちゃんと173話分の決まった「これはわたしのストーリー」がそこには絶対的にある。いまさり気なく「SHINING LINE*」ぽく言ったのには気づけよ?
 
 でもさっきから言ってるように『アイカツ!』はここで終わるわけさ。つまり星宮いちごたちのここから先に続く物語はもう作られることがない。それは寂しいことだけど、だからこそここで彼女たちは本当に「どうなるかわからない未来」を手にすることができるんですよ! そうでしょ!?
 つまり誰にも作られない未来、どうなるかこれっぽちも決まっていない未来。それは作品が終わって、もう続きが作られることが無くなったときに、はじめて「誰も知らない、まだ決まっていない未来」が生まれる。キャラクターの実在性みたいな話をするとき、『アイカツ!』って結構それが強いんですよ。ちょっとした髪型や服装、日常会話の取り回しとかに「あ、このキャラクターは実際に”いる”な」と思わせる部分がすごく強い。
 だけれども彼女たちが、誰かの作ったストーリーの上で描かれている以上、強い実在性を発揮していてもその部分でやっぱりフィクションのキャラクターでしかいられない。
 けれど、ここからは描かれることのない、本当に誰にもわからない「未来」を星宮いちごたちは生きていく。この瞬間、この瞬間にフィクションのキャラクターは現実の人間と変わらない実在性を持ち得るんです。それはもしかしたらどんなフィクションでも言えることかもしれないけれど……この『アイカツ!』は繰り返されるこのテーマとしての「未来はどうなるかわからない」から、そこにすごく自覚的だと思うんです。

 『アイカツ!』は終わる。星宮いちごたちの物語はもう作られることがない。だからこそこの世界のどこかで、彼女たちが「誰も知らない未来」を生きているんだと信じられる
 終わることで、本当が”はじまる”。そうすることで、私たちは『アイカツ!』をずっと失わずに「いま、ここ」にあるものとして、生きていける。これはきっとそういう作品なのだと、私は受け止めました。

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 次回は『金の国 水の国』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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