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怒りのススメ!何が「楽しいか」よりも「怒りを感じるか」の方が個性がわかる。

怒りのあとは、あきらめとなり、やがて達観へと感情は推移する。

怒りに感情を支配され、みさかいがなくなるといった状況は望ましくはないし、いつ思い出しても収まらない怒りというものもあるのだが、正しく怒るということは大切なことだと思う。

あきらめには、断念するという意味だけでなく断ち切るという意味がある。カッとして腸(はら)が絞られように縮み上がる感覚、頭に血が上り顔が真っ赤になる状態、ジリジリと胸をつく込み上げてくるやるせなさ、それらを一旦断ち切って怒りの原因を客観視する。

そこには、とうてい納得できない考え方や、事実でない情報もあれば、誤解や習慣の違いもある。受け入れられるものも、そうでないものも俯瞰をして捉えてみると真理のようなものが見えてくる。そういったことをくりかえすことで人としての厚みも出てくるのだろう。

怒りのメカニズムを理解する


そもそも怒りとは、何かがおかしい、または期待に反することが起こると、脳はその情報を「警告サイン」として認識する。そうすると、脳はアドレナリンのようなストレスホルモンを放出し、怒りという感情を引き起こす。このとき戦闘モードとなる反応が怒りの正体である。

このとき、何らかの行動をとるように動機付けられて、問題を解決しようとするために議論や、時には物理的な対立に至る、怒りの表現はさまざなものになる。

これらのステップは、環境に迅速に反応し、自分自身や大切なものを守るためにとても重要なことだ。ただし、怒りの感情は時として過剰になり、問題を悪化させたり、人間関係に影響を与えたりすることもあるので適切に管理する方法を学ぶことは、心身の健康にとって非常に重要でもある。

自分の怒りの体験を整理してみる

自分の過去を振り返り、どんなことに怒りを覚え、その感情にどう折り合いをつけてきたのかをを振り返ると自分が見えてくる。

怒りとはその人の持つ問題意識の表れであるからだ。同じ状況でも、怒りを感じる人とそうでない人がいる。怒りとは個性そのものだ。

だから、不条理の世の中に飼い慣らされ問題意識を持たないよりは、大いに怒りというシグナルを発信することの方が重要だと思う。

怒りっぽいと言われる人が、実はいろいろなことを考え、深みのある人物であることは多い。おっかない人ほど面白い、怒りに心を支配されないかぎり、その感情は人を成長させる糧ともいえよう。

自分はどういった時に怒りを感じるだろうか?

大事なものを傷つけられた時に感じた怒り!
不条理な現実に対時したときに感じた怒り!
仲間に裏切られた時に感じた怒り!
軽んじられた時に感じた怒り!
誰かの苦しみに共鳴した怒り!
嘘をつかれた時に感じつ怒り!

怒りを感じる時に、その矢印はどこに向けられていることが多いのか、相手なのか、自分なのか、社会なのか、一定のルールがあるはずだ。そこから学んだものは何か、それをその後の人生でどう活かしたのか、実に個性的なのがわかる。

例えば自分は人に裏切られたことより、軽んじられた時に感じる怒りの方が大きい。裏切りは、人はそういうものだと割きれるが、軽んじられた時は、こいつ何様のつもりだと強く感じる、そして最終的には怒りの矛先はそう扱われた自分に向かう。

人から話を聞くときも、楽しかった話を聞くよりも、怒りを感じた事の体験談を聴く方が、その人の本質がわかるような気がする。

執念深い人なのか、許す人なのか、物事をいい意味でも悪い意味でも深く考える人なのか否か、人間性が浮き彫りになる。

怒ることはいけないことだ、避けたいことだと言われるが、世の中に関心を持って、大いに、怒れが良い。そしてマイナス感情は断ち切って、そこから何かを学べば良い、あなたは、どんな時に怒りをおぼえますか。

正しく怒りましょう!
好々爺になんかなるもんか💢


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