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「信号は青ですよ」という運動を応援してください!

「信号は青ですよ」という運動をしています。

交差点で白杖を持った人や、盲導犬を連れた人を見かけたら、信号の色を教えてください。

直接声をかけなくても、独り言でも結構です。“信号は青やわ!”この一言で勇気を持って一歩を踏み出すことができます。

はじめまして、コミマと申します。

60代からの社会貢献と自分らしさをテーマに記事投稿をしています。

いきなり、お願いから始めた文章で申し訳ありません、お察しの通り目に障害があり、極度の弱視なのです。

生きる上で2つのポリシーを決めています。決意表明みたいなものですが、noteを続ける上で意識していることです。

少し生き方を変えてみようかな、特に60代からの人生を考える上で、もしかしたら共感いただけるかもしれませんので、少しだけお付き合いいただければ嬉しいです。

やばい!目が見えないぞ!


最初に自己紹介
現在59歳。温浴事業を絡めた事業を行う事業者向けの経営コンサルタントを生業としています。

3年前から角膜が濁る病気となり極度の弱視となりました、2年前に身障者手帳を取得しております。

パソコンやスマホは、画面を白黒反転して、文字を大きくすればなんとか見えますが、紙に書かれた文字や人の顔を判定したりするのはもはや困難です。

外出の際は白杖を持って、段差につまずいたり、人にぶつかったりしないよう用心しています。

仕事面も過去の経験でお役に立てることと、今まで通りにいかない部分とがあり、ちょっと困ったことになりました!

そんなわけで、還暦を前に生き方を変える決心をし、2つのポリシーを決めたのです。

ポリシー1「信号は青ですよ」


1つ目のポリシーは、冒頭でもお伝えした言葉の実行です。

少しずつ目が見えなくなる中で、一人で外出すると、人とぶつかったり、段差につまずいたり、信号の色が分からなかったり、色々と困難なことが多く起こるようになりました。

でも、白杖を持つことにはすご〜く抵抗があったのです。なんだか、見えないことを認めるようで(実際見えていないんだけどね!)、人の視線が気になったり(見えてないのにね!)

しかし、背に腹は変えられませんので持ち歩くようになりました。

すると、多くの問題は解決しました(やったね!)

しかし驚くことに白杖を持つ僕に声をかけてくる人はほとんどいないのです。

交差点で佇んでいても、声をかけてくる人は千人に一人もいません、電車で席を譲られるのは年に4〜5回程度。

席は譲っていただかなくても全然いいんですけど、信号の色が分からないのは厳しいのです。

これは正直意外でした!薄情だ!

最初は日本人の内気な気質だと思っていたのですが、見えない目で観察を続けるとどうやらそうじゃないことがわかってきました。

人は興味のないものは見えない動物

人は自分が思ったほど自分を見ていないと言いますが、どうやら目の前の白杖を持った僕が見えていないのです。

人間は興味のないもの、関心のないものは、映像として写っていても、それを自分ごととして認識しないようにできています。

だから、目の前に白杖を持った僕のことを認識していないのです。

そう、関心がないのです。

そんな人がいれば僕なら、私なら声をかけると思ったでしょう、では質問です!

この1年間、交差点で白杖を持った人に声をかけたことは何回ありますか?車椅子の人に声をかけた記憶はありますか?

視覚障害者の数は305,000人います、車椅子に乗った人は正しい統計はありませんが、この比ではないでしょう。

1年間、交差点で白杖を持った人にも車椅子に乗った人にも1度も遭遇しないということはないのではないかと思うのです。

これは愚痴ではありません。目が見えなくなって見えるようになった発見の話なのです。

関心の視力は2.0でありたい


この体験から、今後の生き方で大切にしたいことは、何事にも関心を持って生きていきたいということです。

そして、自分にできることや役にたつことがあれば可能な限りお手伝いをしようと思います。

これまでの人生を振り返ると、求めていてばかりのようだったと感じます。ここからの人生はこれではいけないと思うようになりました。

目が不自由なことを理由に、さらに何かを求め続ける人生を過ごすのは、なんだか卑屈な気がするのです。

「信号は青ですよ」、というよびかけはもちろん自分に向けてかけてほしいことばです。

しかし、僕自身も見えていないもの、つまり本当は大切なことなのに無関心であったことに関心を持って目を向けるといった意味を込めています。

誰かの背中を押す存在でありたい

“信号は青ですよ”という言葉は誰かの背中を押す言葉です。

この言葉を通じて私自身が背中を押され、交差点を渡る。同じように、誰かの背中を押せる存在になれればと思っています。

もしかしたら、目が不自由でも、還暦からでも、機嫌よくポリシーを持って生きることで、共感できる人に出会い、共感くださる人も出てくるかもしれません。

自分らしく生きることで、誰かの背中を押せることができればハッピーです。

ポリシー2「どんな時も今がクラマックス」


もう一つのポリシーです。

60代というのは、残された時間は短くはありませんが、それほど長いわけではありません。

ここまでの人生はさまざまな経験を重ねながら戦ってきたリーグ戦でした。これからは、この体験を生かしながらも、いつ終わるかわからないトーナメント戦のようなものです。

良く言われる言葉ですが、今日が人生の中で最も若い日です。

今を精一杯生きることがこれまで以上に大切です。だから、どんな時も今がクライマックス。先送りをせずに毎日を生きてゆきたいと思っています。

多くの人と繋がりたい。

なんだか、一方的な決意表明のようでしたが、ポリシーに従って発信を続けたいと考えています。

noteを通じて多くの人と繋がることができれば、人生はもっともっと豊かになれると思います。

フォローしていただければ励みになります。今後ともよろしくお願いします。

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