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「不適切にもほどがある」けど、自分の価値観は大切にしたいのだ!

病院の先生というのは究極の接客業だと思う。患者に寄り添い、不安を取り除く。真摯な態度で対峠する。時には患者のために厳しいことや、真実をを伝える。

この先生は、自分を救ってくれると思えば、親近感も深まる。サービス業に従事する者として、こういった存在になることを意識してきた。

担当医は工場長

高2の夏に緑内障と診断され、幾度か手術を受けながら定期的に診断に通っている。

高校は広島、大学は愛知、就職は九州からの大阪転勤で、その都度係つけの病院は変わった。大阪に住むようになって35年、この間は一人の医師に診つづけてもらっていた。

この先生は、最初は大きな総合病院の眼科医だったが、眼科部長となり、やがて緑内障の専門医として独立をされた。

緑内障に関しては権威のある先生となって、巷では名医の誉も高く、なかなか予約も取れない、常に患者が絶えない先生となられた。

毎日毎日、数十人もの患者を、昼食を摂る間もなく、忙しく診つづける訳ですからそれは大変で、頭も下がる。

しかしこの先生、とてもせっかちなタイプで、説明は一方的、その説明に質問を被せると途端に機嫌が悪くなるのがわかる。明らかにイラついた表情で、声が大きくなるのだ。

接する態度はいつも初めての患者のようで無駄話は一切ない。30年通っているのに、彼は僕が何をしている人間かは知らない。親近感はゼロ、0、ぜろ!とにかく、患者を捌(さばく)くといった雰囲気なのだ。

だから、僕は彼のことを心の中で工場長と呼んでいた。眼科医に癒しを求める訳ではないし、それはそれで、さっぱりしている。長年健常者として生活を続けることができたことに感謝もしている。

しかし、接客業を生業として来た僕にとっては、ちょっと勿体無いな・・・といつも感じていたのだ。

これって、自分の価値観を押し付けているのかもしれないのかな?コンビニの店員さんに、もっとフレンドリーにしろ!とツノを立てているようなものかもしれない。

自分の価値観をひとりよがりにしない努力

「不適切にも程がある」(宮藤官九郎作、阿部サダオ主演)が話題になっている。昭和61年から令和にタイムスリップした中年の熱血体育教師が、現代のコンプライアンスに惑いながら物語が進んでいく風刺コメディなのだが、現代の息苦しさを体現していておもしろい。

確かに、今考えるとどう考えてもおかしなことはたくさんある。

僕は、かつて飲酒運転も織り込み済み、と言われても仕方のないビジネスモデルで商売をしていた。郊外の温浴施設は、車でくるお客様も、風呂上がりのビールを楽しんでいたが、奨励はしないが黙認はしていたのだ。

3つの施設は、それぞれの市でビールの消費量は飲食部門ダントツの1位だった。飲酒運転の規制により、売上げは激減したが文句は言えない。死亡事故はかつての20%以下となった。飲酒運転撲滅の世論は当然だと思う。

現在はタブーとされている多くのことは、実は以前からおかしいと思われていたことが顕在化しただけのことである。

いま話題のスキャンダルでも、何もしていない、ただの合コンと弁明しても、結婚しているのに合コンをする必要があるのかとツッコミたくなるし、パーティ券のキックバックが収支報告書に不記載で収入とならず、納税義務がないももおかしい!

飲酒運転はバレなきゃグレーで、セーフと思っていたと臆面もなく語るようなものだ。そんなことは多分、まだまだあるのだろう。

だから、昔の価値観が良かった訳ではないのは確かである。

でもである、確かに上司の顔色を伺う飲み会は鬱陶しかったが、最終的には説教になるのだが、心をかけてもらったことに感謝の念はあった。

車やバイクにお金を使うくらいなら、若いうちから海外旅行をすべきだったとは思うが、ハンドルを握る高揚感は楽しかった。

そろそろ結婚適齢期かなと思い、付き合っていた娘と結婚したが、結婚してくれた妻には感謝している。

食事中に他の人が吸うタバコの匂いには、当時から殺意を感じていたが、放課後仲間との一服は楽しかったし、社会人になってからは、仕事の合間の一服は気持ちが落ちついたのは確かだ。もう30年以上口にしていないけどね!

おかしなものはおかしいと言える社会は歓迎すべきだとも思う。しかし、全てのことは裏表もある。

多様性を認めあう社会とは、答えは一つじゃないことを知ることじゃないのかなと思うのだ。

我が身に置き換えて考えてみる!

懸命に、患者の目を診てくれている工場長の愚痴を書き綴っても、何の得にもならない。もし僕が工場長の立場でも、あの忙しさだとそうなるのかもしれない。

でも、僕の価値観で言えば、長年サービス業をしていた者からすれば、患者とマンツーマンで対峠する医師の仕事は究極の接客業だと思っている。

どんなに忙しくても、患者の心に寄り添うことを仕事の本分と捉えなければもったいない。

技術が高くて、大病院の頂きを目指す『白い巨頭』の財前教授よりも、庶民に寄り添う『赤ひげ』の新出去定先生の方が名医だと思うのである。どらも昭和を代表する医師を題材にした映画だった。

   僕が、主治医のことを工場長と呼ぶのは、確かに自分の価値観の押し付けかもしれない。しかし、人間だもの60年近く生きていると、自分なりのルールや価値観があって当然だ!

多様な時代に古い価値観を押し付けられることの息苦しさがクローズアップされる現在。でも、新しい価値観こそが正義とばかりに押し付けようとする風潮には、少々息苦しさも感じるのだ。

自分の価値観を顧みて、ふと自分自身が忙しい時に接客が荒くなったり、部下に対してつっけんどうな態度をとっていないかを思い返す。

人のアラはわかっていても、僕も工場長と変わらないところがあったりする。

人のフリ見て我がフリ直せ、反面教師としては学ぶ気持ちを忘れない。やはり、自分の価値観は大切にしたいと思うのである!


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