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臓器売買を排除するたった一つの方法は、僕らの関心を高めることだ

臓器売買は必要悪なのか

先日、臓器移植を希望する患者に、無許可で海外での移植を斡旋した疑いで起訴されていた男に実刑が降った。

この男は、過去20年間に約170人もの患者に対して、海外での移植手術を持ちかけ斡旋していたという。

斡旋を受けた患者は、法外な価格を支払ってでも、命が助かるならとこの男を頼ったが、その内容はかなりずさんで非倫理なものであったようだ。

斡旋を受け、その内容を告白する人たちの記事を読んで怒りを覚えた。

十分な設備のない病院での手術、未熟な医師による執刀、臓器売買を疑われるドナー、術後の日本の受け入れ病院の紹介不備、診断書の偽造。

事前の説明とは全く違った状況の中で、命を繋いだものもいれば、落とした人もいた。

しかし、正義感だけでこの男を非難しても、何も始まらない。彼によって救われた命があることも事実なのだ。

諦めきれない命


なぜ、この男に多くの患者が多額の金を渡し、命を預けたのか、その本質こそ重要な問題である。

例えば、人工透析を始めた患者の10年生存率は36.2%,15年は22,7%だが、国内で移植を希望しても15年待ちという現実。

余命宣告を受けたものに手立てはない、仮に15年生存できたとしても、週に数回の透析を続け、体は通常ではないダメージを受けていることだろう。

それでも透析や人工心臓など、機械臓器によって命をつなげる可能性があれば、治療を続けながら国内で待つ道もあるが、待ったなしという場合は、ドナーの少ない日本では死を意味する。

海外に活路を求めるしかなくても、正規に移植を受け入れている国は少なく、正規であっても、莫大な金額がかかってしまう。

むしろ正規であるからこそ、その金額は莫大になるとも考えられる。結果的にあってはならない非倫理的なことが行われる。

様々な問題を抱える現状の中で、藁をも掴む患者は、やむなくこういった組織に頼らざるを得ない。

問題の本質はこの国の無関心

この男が実刑を受けても、需要がある限り、供給が止まることはなく、不透明であればあるほどアンダーグランド化する。

問題の本質は、我々の無関心にある、日本のドナー数は世界で63位、人口あたりではアメリカ、スペインの67分の1、お隣韓国と比べても14分の1である。

ドナーになることを勧めているのではない、それは個人の自由だ。しかし無関心であることの罪は重い。それはある意味で逮捕された男よりも重いことではないだろうか。

ドナーについた考える、それは自分の命と向き合う機会でもある。関心を持ってみよう。


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