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遅咲きのススメ!我が家の庭に種を蒔こう!

「50年生きた人には、50年分の人生の土壌がある」哲学者の東浩紀さんが、どこかのインタビューでそんなふうなことを話されていた。この言葉に感銘を受けた。

そこに植えて収穫できる果実には、きっと他の畑で獲れるものとは違ってくると思えるからだ。

^30年前に戻れたなら!そんなことを、ときどき想像をすることがあるけど、それだと今の自分はいない。

大切にしているものも存在しないことになる。

例えば、伴侶は別の人かもしれないし、子供のいる人は、その子は存在しないことになる。今まで積み上げたものや、幸せだと思うことも、全てが違うものになる。もはやそれは、自分の人生でなく、他人の人生ってことだよな!いつも結論はそこに行き着く。

でだ、そんな幸せはひとつもないと思う自分であったなら、違う人生であったとしても、やはりそんな風に生きて、大切なものがひとつもない違ったバージョンがあるだけになってってしまうのだろう。辿った道は違っても、30年後にはきっと同じ空想をしているのなら、それは悲しい!

隣の芝生は青く見えて、そこを手入れしてもだ、その庭は自分のものにはならない。猫の額くらいの庭であっても、殺風景に見える庭であっても、我が家の庭を手入れして、咲く花を想う方が建設的だ。

その花は隣の庭に咲く花では感じることのできない美しさがあるだろうし、愛でることもできる。

60歳の僕が、20年かけてつくる庭は、20歳の僕が60年かけてつくる庭とは違う風景になるだろう。荒れ果てた大地を体力勝負で耕すことはできなくても、知恵と揃えた道具で、味のある庭をつくる。

ただし、その知恵は若い人から学ぶ謙虚さと、新しい道具をうまく取り入れる賢さも備えておきたい

ともかく、自分の庭に種を蒔き、新しい花を咲かせよう。

インタビューを聴いていて感じたのはそんなことです。


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