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味の店の味

屋号に味の店と出せる気持ちが理解できない。飲食店を経営しようと思い立った人は味の良さなどは大前提で商売を始めるものではないのだろうか。いやそうではないのである。人間の性質上、なんもかも行き当たりばったりが正しいので大半の飲食店はなし崩し的に商いをしているに過ぎないのである。食べログの評価が所詮は金銭のやり取りでどうにでもなることがニュースになったことがあるが、どちらにせよ他人の味覚や知能を当てにしても助けにはならない。戦場では他人を当てにする奴から怯えて逃げるというのはカール・フォン・クラウゼヴィッツも口を酸っぱくして殴り書いているではないか。

先日散歩をしていたら、近所に隣り合って建っているいかにもな町中華といかにもな蕎麦屋を見つけた。私は最近昔ながらのタンメンが食べたい欲求があって、店の佇まいからしてもこんなに古い店がまだ続いている以上は最低限の料理は出してくれるだろう感に溢れており、旨ければめっけもんだという気分で町中華へ入店に至った。昼メシ時の最初の客がはけた時間帯だったが狭い店内に客は7人。カウンターがなくて全て4人がけの席しかないので、特に何も書いていないが混雑時は相席を強制されるらしい。私の中の昭和がハウリング音を鳴らす。老婆の注文聞きが震える手でタンメンと半チャーハンのセットとボールペンでメモ書きに書いている。客層の平均年齢は50歳を超えていて、年老いた母と息子、区役所の出張所に勤める窓際族のおじさん4人、熊のようにでかい土方のおじさんが昭和の中華を待っていた。店内に黄色い短冊に書かれた呪文のようなメニューがダダダっと貼ってあって、それがとても懐かしい気分にさせてくれて、ここは昭和なのだからそこそこ不味くても我慢せず食べようというと思わずにはいられない。タンメンと半チャーハンを待つ間に、よせばいいのに私はGoogle mapを起動して店の口コミを読んだ。評価は散々だった。70件の口コミの殆どが近所に他にないから行くけど不味い、だった。その中に気になる口コミがひとつあった。ぽろっと一言だけ、弟が継いだ実家です、とだけある。確かに中華屋の屋号の「味の店ペケペケ」のペケペケの部分の苗字が同じである。実家なんだ。しかもお父さんが亡くなったか引退されて弟が継いだ店なんだ。厨房を見る。確かに若いおじさんが鍋を振っていた。あれが弟なのだな。口コミの評価は当てにならないことが多いけど、こういう舞台裏が知ることができる書き込みがあるからバカにはできない。そうこうするうちにタンメンの野郎がおいでなすった。見た目も味も昭和だ。麺の弾力や喉越しがよくない(細めの蕎麦に近い)。最近のラーメンが進化したせいであるが、昔の麺はこういうものだった。新しいラーメンがいかに旨いかが理解できてこれはこれで勉強になった。問題は、お次にやってきた半チャーハンだった。口コミには、他に無いから行く、の次に多かった文言としてチャーハンは少しマシ、だった。チャーハンなどは市販のチャーハンの素で作れば素人でもプロっぽい味になる時代である。そんな飲食業界受難の時代において少しマシであることがいかにむずかしいことか。私は弟のチャーハンを口に入れる。思わず吐き出すところだった。米はべちゃっと炊いたものを強引に強火でゴシゴシしたのだろう。お焦げのように硬い部分とべちゃ米の部分がミックスになっている。そして具材のチャーシューを煮る際に放り込まれた八角が薄味チャーハンのアクセントどころか主役を喰う快演をしており「ベチョ硬八角ごはん」に名前を替えた方が納得できる。このベチョ硬八角ごはんに添えられた紅生姜も強烈で、実際問題これは松屋のテイクアウト用の絞り出して使う紅生姜に近く、しかもやや乾燥している。タンメンもチャーハンも全部残して金を叩きつけてやりたい欲求と戦いながらの食事である。味の店を謳ったのは弟でも口コミを投稿した兄でもなく、親父のその親父の親父なのだろうが、味自慢の店に名店なしというのは私が経験上間違えずそうなので、そもそものこのこ入店した私の全責任なのだ。私は心の中で泣きながら近所に他にないから行く店の不味いチャーハンを残さずに食べた。横の土方のおじさんは旨そうに巨大な中華丼ぶりに入った中華風ナポリタンの大盛りを啜って喰っていた。惨敗である。

よせばいいのに、ということを私はよくしでかすのだが、あの半チャーハンの悪夢が日々の生活を圧迫しているような気分でいるのが嫌で、よせばいいのに町中華惨敗の3日後、私はリベンジすることにした。復讐だ!復讐といっても先の味の店に青龍刀を持って殴り込もうというわけではない。すぐ隣にあった口コミ評価のやけに高い老舗の蕎麦屋に入店したのである。ペケペケ庭園のバラ祭りの開催される時期に必ず夫婦で参上します、毎年変わらない味です、何とか混雑を避けて入店できました、気さくな店主と美人の女将がチャキチャキ切り盛りしています、などの温かい口コミが並んでいる。弟が嫌々継いだわけでもないだろうからやる気の面では安心だ。しかしながら私は空腹時に必ず判断を誤る。お腹が空くと急に黙って般若のように眉間に皺を寄せてしまう癖があるのだ。店内は薄暗く、美人女将の作ったパッチワークがいたるところに飾られていた。味の般若は、すぐに回れ右がしたい衝動に駆られるも、口コミ高評価という魔法が般若の判断速度を鈍らせるに至った。味の般若は突っ立って店内を見回す。若いサラリーマンが1人、ブリーチした髪の若そうな事務員の女が1人、某電気会社の作業着を着た作業員が2人、皆蕎麦を旨そうに手繰っている。奥の方では気さくな店主が俯いて蕎麦を茹でていて、いらっしゃいの一言もない。美人女将という名の痩せネズミの化身は私に気づいたのか気づかないのか実にはっきりしない態度でざる蕎麦を女性事務員に運んでいた。席は沢山あったので黙って適当に座っていると痩せネズミの化身が麦茶をドンと置いてご注文は?とマッハで聞いてくる。美人女将は終始落ち着きのない接客で、よほど暗がりの奥の目が光る麺茹で妖怪(気さくな店主)にモラハラでもされているのか、常にドタバタしている。私はカツ丼ともり蕎麦のセットにした。都内の老舗蕎麦とは思えない駅前の立ち食い蕎麦屋並の値段設定におののきつつも、黙って待つことにした。カツ丼なんて久しぶりに食べるな、ふふ。やってきたのは暗がりではあるものの見た目は合格、肉の薄い昭和のカツ丼だった。蕎麦も大盛りみたいな量だしお新香もお吸い物も良さそうだ。さすがに高評価なだけはある。美人女将や大将の見た目をネズミだの妖怪だの下着泥棒だのとなじった自分が情けない。般若モードから御仏モードにチェンジしてカツ丼を食べた。不味かった。いや不味いというよりも塩分が強過ぎて喉を通らないのである。セルフうどん屋に置いてある釜玉うどん用のだし醤油と砂糖でそのまま煮たような黒いカツ丼だった。奥の下着泥棒の様なモラハラ店主の目がこちらを凝視している。私は一口だけ食べて降参したカツ丼をどけて蕎麦にとりかかった。美人女将がこのタイミングで?というマッハな速度でスナップを効かせながら蕎麦湯をドンと置く。置き方!とも思ったが、私は御仏モードになっていたので黙って蕎麦を食べた。蕎麦つゆがカツ丼の1.5倍塩辛い。食べれる範囲を超えた醤油愛好家の下着泥棒がこちらを見ている。私は自然と御仏モードから阿修羅モードになっていた。美人女将が店内をガチャガチャ動き回るのももう限界だ。私は大半の食事を残してレジの前にマッハで立った。美人女将はお盆を全部ひっくり返し、乱れ髪で悲鳴をあげながらモリカツ800円です!と言った。私は無言でずいと千円札を渡して釣り銭をもらう。気さくな店主はいらっしゃいも言わなければありがとうございますも言わないつもりらしい。ご馳走様という返事が来るまでやるつもりなのか美人女将がキーキー声でありがとうございます又お待ちしています!と連呼していた。惨敗である。

この話のオチは何か。蕎麦屋のサイドにびっしりと貼られていたペケペケ党のポスターだとか持ち出してカルト宗教や口コミ高評価を支える組織票がいかに恐ろしいものかとか私がやるのでは?と賢明なる読者諸氏は予想されているのではなかろうか。もちろんポスターは貼られていたが、そんなものは全然問題ではない。私はカルト宗教を憎悪しているが、それぞれに事情があることにも理解があるつもりでいる。何より私は不味い味の店が好きだ。味の店、であって超絶激ウマ味の店とは謳っていない。嘘はついていないのである。私が問題視するのは冒頭にも書いたが、人間が何もかも場当たり的に判断する性質を持った生き物であることを人間自身が理解していないということに尽きる。大半は人間の形をした影だ。そうでなければこんな生まれたくもない世の中に呑気に生まれてくるはずがなかろう。生き方の精度を下げることでこの哀れなる毒ガスが充満する吸血惑星の中を生き抜いている。中世の暗黒時代よりもずっと薄暗い味の店で、今もあなたは食べたくもない料理を前に途方に暮れているのではありませんか。私はあなたに救いの手を出してみる。あなたは恐る恐る私の手を取る。私がその時どんなモードであなたを迎え入れるのか、その時になってみなければわからない。願くば私の空腹が美食によってほどよく満たされていますように。

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