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長編小説「平壌へ至る道」(68)

 ソヨンの部屋に入る。彼女はベッドに座っていた。
 相慶は自分をここまで連れてきたバックボーンについて五分で話し終え、女に尋ねた。
「俺に協力するなら、まず本名を教えてくれ。断るならここでお別れだ」
「平壌で仕事を終えたら、中国への脱出方法があると言ったわね」
 女の言葉に、男は頷いた。
「それは確実な手段なの?」
「お嬢さんもよく御存知のはずだが、この国に確実な手段などない。百パーセントの安心は保証できない」
 ソヨンは溜息をついた。
「反革命分子の娘にされ、売春婦に身を落とした私が、この国で五年後も生きていられる確率と、どちらが高いと思う?」
 相慶は即答した。「脱出を勧める」
 ソヨンは一旦下を向き、その時間が永遠に続くかと思われた頃、下唇を噛みながら顔を上げた。
「私の本名は、チャンスクよ」
 
 チャンスクはまず、相慶の軍服を脱がせた。
「客が置いていった服がある。それに着替えて」
 元山市民の平均的な服装で身を包んだ相慶は、荷物の袋からサンドペーパーを取り出し、髪を擦っていく。
 髪はぼさぼさになり、しかし白く染まった部分の多くは黒色を取り戻した。議長のアドバイスを信じるしかない。
「単純に髪型を変えただけの変装が、最も警察に見破られない」
 軍靴を脱ぎ、農民市場で買っていた、薄汚れたズック靴に履き替える。
「どうだ?」
「元山の男を十人足して、十で割ったような見てくれだね」
 その答えに相慶は感心した。かつて平壌で高い教育を受けていただけあって、頭の回転は速そうだ。
「チャンスク、この部屋は隣からのあえぎ声は聞こえてくる?」
「この壁を見なよ。たぶんソウルにまで届いている」
 相慶は笑いながら、財布から十ドル札を取り出し、彼女に渡した。
「昨日言っていた裏道を教えてくれ。監視のガキどもを捲きたいんでね。そしてこれから三十分ほど、真っ最中の声を出しておいてくれないか。できる限り大きな声で。ただし嘘くさくならないよう、時には抑制もしてくれ」
 チャンスクは床の板を剥がした。二メートルほどの穴がそこにあった。
「下水道よ。権力者どもの庇護を裏で受けてはいるけれど、奴らの面子や意見がいつ変わるかは誰にも予測できないし、用心に越したことはない。マッチかライターは?」
「ある」
「二十メートル間隔で膝の位置に矢印を彫ってある。その通りに進めば十分程度で元山駅に着く。午後三時頃に合流するわ」
 
 真っ暗な地下道では距離と方向の感覚は簡単に失われる。随分と歩いたような気がしたが、実際にはせいぜい数分、二百メートルほど進んだだけ、といったところだろう。
 それでもこの現代のカオスにおける二百メートルの移動は、アラスカにおける百キロに匹敵する距離感だった。
 相慶は荷物の中から身分証明用写真を取り出した。日本で撮影済の、十五種類のサイズ別、それぞれ八枚ずつ揃えていた。
 出発前、写真に醤油を塗り、脇に挟んで眠った。人間の汗は書類を古く見せる最も有効な液体の一つだ。
 それらの写真からサイズが最適なものを選び出し、糊を取り出し、ライターの灯を頼りに慎重に貼っていく。刻印の文字が浮かび上がる措置は施していないため、写真の裏から針で一部を押し上げ、それらしく見せるようにした。完璧ではないが次善策にはなる。
 やがてジャンマダンで老婆から買い求めた五枚の身分証は、全て名実ともに潜入工作員のものとなった。
 上向きの矢印の箇所に出てきた。
 見上げると地上に向かう穴と、錆びた把手が続いている。
 慎重に上り、蓋をゆっくり押し上げ、地上に出る。
 そこはかつて鎮守の森だったのだろうか、切り株が無数にあった。木は燃料用としてか、全て切り倒されている。腰ほどの高さにある草を掻き分けて進むと、視界が開けた。向こうからは草が遮断する形で、しかしこちらからは大きな通りが眺められた。
 金時計が示す時刻はちょうど午後一時になるところだった。相変わらず人通りは少ない。日中、二十八歳の男がぶらぶらと町を歩くのは目立ち過ぎる。しかしいつまでも林の中に待機するのも良策ではない。もし女が裏切れば、三十分後には白特務上士が下の穴から出てくるはずだ。彼だけならどうにでもなるが、二人の相手は厄介だ。相慶はひとまず通りの端に出て、左右を窺った。
 右手、五十メートルほど向こうに、更に太い大通りが走っている。
 その向こうに半円形の、いかにも共産主義者が好みそうな前衛的で、どこかしら要塞を連想させる三階建のコンクリート建築が見えた。空港の管制塔に似た、高さ二十メートル程度の塔を従えている。
 元山駅だろう。
 相慶は森跡に戻り、周囲を歩いた。細い通りを見つけ、駅の方角へと進み始めた。通りの右手に並ぶ家屋は、お互いに寄り添うことで何とか崩壊を免れているように見える。外国人旅行者に見せることのない、市井の人々の家だ。日本の敗戦に伴う朝鮮半島の解放後、金日成が凱旋帰国を果たし、今もロシア、日本と対峙する軍港のある中核都市の、駅前一等地。居住を許されているのは出身成分の上位者たちだろう。それでも、こんなガラクタを資材とした家なのだ。断熱材など望むべくもない、錆びたトタンと朽ちかけた木材でできた、どれか一軒が崩壊すればドミノのように全てが倒れそうな、そんな住宅街だ。
 相慶は足早に歩き、やがて太い通りに出た。
 アジアハイウェイ六号線。
 韓国の釜山に端を発し、日本海沿岸を北上、軍事境界線である三十八度線に接した江原道を経由、三十八度線を抜けると今度は北朝鮮側の江原道、高城郡を走り、ここ元山、そして引き続き日本海沿岸を北上し咸鏡南道の咸興市、更には羅津、先鋒経済特区を通り抜けロシアに至り、更には西に眠る巨人、中国を目指す、アジアの幹線道路のひとつだ。
 もちろん、他の多くのアジアハイウェイと同様、当該国間の良好な関係を前提とした、理念ばかりが先走った幹線道路でもある。そもそも三十八度線は鉄壁で遮断されており、このハイウェイを通るトラックが物資を満載し釜山から元山へ抜け、ロシアまで走り続けるという図は絵に描いた餅に過ぎない。それでも北朝鮮にとってこの六号線は、外国資本の流入を当て込み、国の存続を賭けて開発を進めている北東部経済特区へと続く大動脈であり、国家にとっての命綱でもあった。
 中国語が車体にラッピングされた観光バスが、閑散とした通りを通り過ぎた。その道路の整備状況は明らかに他の道とは一線を画しており、緩やかなカーブを描いて堅く馴らされたアスファルトの端には、雨が流れ落ちる側溝まであり、沿道にはポプラが植えられ、詩的な道路風景を演出している。中国人やロシア人の観光客の目がバスの車窓を通して常時光っているこの通りで、外面を何よりも重んずるこの国が、権力の手先を利用して民衆をいじめることはしないはずだ。
 相慶は通りを渡った。予想通りここでは保衛部や安全部の連中は近づいてこなかった。
 駅前の広場には、ほとんど人がいなかった。北朝鮮東岸最大の都市にあるターミナル駅がこれでは、国内の物流手段はほとんど死に絶えているものと考えざるを得ない、と思いながら駅構内に入る。
 風景が一変した。

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