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「不特定多数の幸せ」と「身近な人の幸せ」と

 芸能人の不倫ゴシップでメディアが騒がしい。
 
世に放たれた断片的な情報を分析して結論を出す評論家があふれているが、当事者と日常を共にしてない人が誰かを断罪すべきではない。「けしからん!」と言いたい人は、そのエネルギーで桐島洋子の昔の自伝なんかを読んだらいいと思う。
 
がしかし、雑誌で記事を読んで、胸の中に澱のように胸に残る1言があった。
 
それは、
 
大きなところの人を幸せにするとなると、身近なところが一番最後になっちゃう
 
という渦中のシェフの言葉だ。

こういう言葉に、仕事でもポツポツと遭遇する。社会的成功者や過去の偉人に薫陶を受けたような人から発せられることもある。
 
本来「大きなところ」と「身近なところ」の優先順位や序列をつけること自体、ナンセンスである。

しかし、それはキレイごとで、実際には、身近な「助けて」「手伝って」より、たくさんの人の「うれしい」「幸せ」を増やすことを選ぶべき時期、選びたい時期だってある。

そして、たくさんの称賛と感動に触れられる場所を持っている人にとって、しばしば「家庭」というパーソナルな空間は、達成感とは対極の退屈な空間となることがある。その退屈な空間では、「達成感を伴わない仕事」におぼれている人がいることもある。

大きい、小さい、近い、遠い、安い、高い。

それらの仕事にどうやって序列をつけ、誰のために何のためにやるのか。

勝者がもてはやされる社会において、「家庭」という、無償の仕事が発生し続ける場所を維持するうえでの難題だと思う。


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