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石松チ明さんについて。(2,556文字)

石松チ明さんについて、話そうと思う。Twitterで言葉足らずのツイートをしてしまったので、詳しく話そうと思う。

youtuber。

出会い。

中学生くらいか、高校生くらいのころ、youtuberの瀬戸弘司さんの動画をずっと見ていた。そこで、劇団スカッシュを知った。

劇団スカッシュと同時に、ちあちゃんも知った。ちあちゃんは、劇団スカッシュのファンだった。

ちあちゃんというイメージが僕の中にあるから、ちあちゃんと呼ばせていただく。


別れ。

僕がyoutubeから離れていた時期、劇団スカッシュのことを追っていなかったので、自然と、ちあちゃんとも離れていた。
正直、劇団スカッシュとの関わり以外で、ちあちゃんのことを追っていなかったので、もう何しているのか知らなかった。


再会。

去年になって、Twitterを再開することになって、だれかのリツイートかなんかで、ちあちゃんのTwitterのツイートが流れてきた。

そのときに、感動したのを覚えている。
『ちあちゃん!生きてた!!!』
単に、活動を知らなかっただけである。

画家さんになっていた。Twitterをフォローした。


絵。

Twitter。

ちあちゃんのTwitterをフォローしてから、流れてくるちあちゃんの絵を見ていた。

誰の絵を見ても僕はわからないと思っていた。今も思っている。ゴッホとかラッセンとかわからない。

何が凄いとか、きれいとか分からない。

だから、ちあちゃんの絵もわからなかった。Twitterで見ているからわからないのかなとも思っていた。

そんな時に、個展をやるっていうツイートを見つけた。

このツイートを見て、個展を見に行こうと思った。実際に見てみたら、感想が変わるかもしれない。
そして、あわよくば、ちあちゃんと直接会えるかもしれない。そう思っていた。


そしたら、運よく、本人が直接解説してくれる日があるというツイートが流れてきた。この日に絶対に行こうと思った。



個展に行った。

個展に行って、上のツイートをした。これが言葉足らずだったと思う。


解説を聞く前に、まず、自分で作品を見ようと思った。実際に作品を見たら感想が変わるかもしれない。そう思ったから、まず作品を見た。

それぞれの絵に細かい模様がたくさん書いてあったり、紙に跡がつくほど強く書いてあるのが印象的だった。


それ以前に事前情報として、ちあちゃんのTwitterをフォローしていたから、ちあちゃんのツイートが頭に入っている。

ちあちゃんのツイートを見ていると、希死念慮とかメンタルの不調とかのツイートがよくある。

僕自身も、双極性障害Ⅱ型を持病として持つ人間からすると、同じような状況に陥ることはある。

同じ気持ちかとそういうわけではないし、希死念慮に行くまでのプロセスが違うと思うので、一緒の気持ちになったことがあるとは言えない。

僕もメンタルの不調を感じる時がある。

僕自身は治療中なので、最近はずっと安定している。


解説を聞く前に見た絵だけでも、なにか僕自身の暗い部分を封じ込めたドアのノブを撫でられているように思えた。



解説を受けて。

正直、あまり思い出したくはない。

解説を聞きながら、絵を見ていた。
ちあちゃん本人を見た時は、感動をした。

解説の中で、ちあちゃんは、『性と死』というものをよく言葉にしていた。希死念慮だったり、ネガティブに近い単語がかなり出てきていた。

それらの解説を聞きながら、絵を見ると、やはり解説を聞く前の印象と違った。


ここからは僕の想像だ。

ちあちゃんの絵は、力強く描かれているし、小さい模様を同じようにたくさん描いてあることがある。

僕が勝手に呼んでいるものだが、これはきっと過集中と呼ばれるものだと思う。ゾーンに入るともいうのだろうか。

ゾーンに入って、一度始めてしまった作業は、自分の意思では止められなくなる。

トイレを行かなくても、水分を摂らなくても、ご飯を食べなくても、寝なくても、作業を続けることができる。

きっと、そうやって描かれたんじゃないかって僕は勝手に想像した。

僕も治療をする前は、ゾーンによく入れたことがある。


そして、『性と死』についての話を聞きながら絵を見ると、確実に僕の心の奥底にある暗い部分を封じ込めたドアのノブを掴まれて、「ガチャッ」って音がするのを感じた。

そこから、違う絵を解説を聞きながら、見ていると、どんどん深いところにハマっていくのを感じた。


僕自身の課題である、承認欲求やら愛着欲求と関連付けて、性をとらえると、悲しくなるし、虚しくなる作品もあった。
そこから、ちあちゃんのTwitterのツイートにある希死念慮と関連付けて、死をとらえると、辛く、苦しくなる作品もあった。

とにかく、この場から逃げたいと思った。


後日談。

帰り道。

帰り道、ちあちゃんと一緒に写真を撮りたい!と思ったが、できなかった。とにかくいち早くこの場から出たいと思ってしまったからだ。

そして、個展に来る前には画集を買って応援しようと思ったが、買えなかった。あの作品たちを家に持ち込んで、見てしまったら、また僕の暗い部分が出てきてしまって、制御できなくなるからだ。


帰り道、ちあちゃんのTwitterはもう見ないようにしようと思った。引き込まれてしまう。僕は自分自身のメンタルを制御できなくなってしまうと思った。


数日間。

個展を見終わってからの数日間、テレワークの僕は普段のコンディションで仕事が出来ず、パフォーマンスが落ちていた。

それは、見終わってから三日間くらい続いた。

正直、ちあちゃんに何があったのかわからない。わかろうとも思えない。上手く言語化できないが、引き込まれる何かがあって、そのまま飲まれてしまいそうになる。

僕は個展でそれらを感じた。


でも、やっぱり絵がわからない。

この感じ方が、正しいとか正しくないとか分からない。的外れな感想なのかもしれない。

ゴッホやラッセンの絵がすごいとかきれいとかもわからないのと同じように、ちあちゃんの絵も何が凄いとか綺麗とか分からなかった。

だからあのツイートをした。分からなかったと。

絵に対して、しっかりと言語化した感想を持てないでいる。
そして、それはいけないことなんじゃないかとずっと思っている。

僕にとって絵はよくわからない。ただ、僕は死にたくなった。

それが一番、心に感じたものだ。

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