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小説「ヘブンズトリップ」_25話 完

 翌日の放課後、帰りのホームルームが終わったらすぐに二階へ降りて、史彦のクラスへ向かった。楠木と川田が職員用のトイレに必ず来るとは限らないので一度、確認する必要がある。
 実際にタバコを吸っている生徒なんてもっとたくさんいる。学校の中でも吸うというのも一つのステータスなのだろう。最初は何のことかわからなかったが、ヤニなんて読んでるやつも知っている。まあ、知っていても暗黙のルールというやつでうまい具合に教師の耳に入らないようになっている。仮に教師にばれてしまっても停学くらいで済むはずだから問題ないと思っていた。
 「あれ、でも受験に影響するかな?」という感情がよぎった。喫煙という二文字が内申書に書かれたこたら、あいつらの人生に影響してしまうのかな。
 なんでこんなこと揺らいだ感情が出てきたのだろう? 俺は裏切られたのに、俺は自身は裏切りたくないなんて思ってるんだろうか。自分自身で困惑してると気づきながら史彦の背中を追う。
 外廊下を抜けて中庭に入り、中央の花壇から東側に職員用のトイレの窓が見える。
 「ちょっとしか見えないな」
 その窓は俺らの身長よりもやや高い位置にあり、背伸びしても見えるか、見えないか、難しそうな具合であった。窓は一人が余裕で抜け出せそうな大きさではあったが、果たしてそんなにうまくいくものだろうか。そう思った。
 「後はあいつらがタバコ吸ってるところを押さえるだけだな」
 ニヒヒと笑っている史彦は楽しそうだった。
  
 ある日、俺は放課後の教室から出られない状況にいた。
 数週間前に渡された進路希望調査票を提出期限で、志望する大学の名前を第三希望まで書きこんでから、職員室にいる担任に届けないと帰宅してはいけない。
 そのルールで俺は教室に閉じこめられていた。
 教卓に用意された分厚い大学ガイドの本を適当にめくって、空欄を埋めるてこの場を切り抜けることならたやすくできる。
 でも、そんなささいな妥協すらめんどうに思えるくらい俺はこのことを真剣にとらえていなかったので、空欄の用紙を眺めたり、まどろみに襲われて何度もまぶたを閉じることを繰り返していた。
 俺の他にも男子が二人、女子が一人。同じ理由で自由を奪われているクラスメイトがいる。彼らもまた、用紙の空欄を産めることができないで教室に閉じこめられている。
 廊下に一番近い席の俺は、誰かが教室に入ってきたのに一番早く気がついた。
 振り返る隙もなく、肩を掴まれて、立ち上がっておどろいた。
 後ろに立っていたのは史彦だった。
 「おまえはいつも突然現れやがって」
 「そんなにおどろくと思わなかった」
 史彦は何か慌てているように見えた。
 「そんなことより早く、こっち」
 教室を出て、廊下を走り出した史彦の姿を俺は追いかけた。まだ下校しないで廊下でおしゃべりしている生徒たちは何事かという目でこちらをみていた。蔑むような目で見てくるやつもいあたが、俺にとっては痛くも痒くもなかった。
 中庭に続く渡り廊下に出た時に、なんとなくわかった。
 「ほら、あそこ」 
 職員用トイレの窓、大便用のトイレの上から見える、モクモクした煙。
 「間違いないって。やるなら今がチャンスだよ」
 「・・・・」
 俺は返事もじなかかったし、首を縦にも振らなかった。
 「行こう、俺は他のトイレからバケツ持ってくる」
 史彦はまた走り出した。
 
 「史彦、もういいよ」
 俺は中庭に響き渡るくらい大きな声で史彦を呼び止めた。
 すっかりその気の史彦に、どうしても伝えたいことがあった。
 「もう、いいや」
 「なんだよ、それ」
 納得いかない彼にうまく伝えることはできないかもしれないが、俺は自分の気持ちを精一杯吐き出した。
 「これやっちゃったら、なんか失っちゃうような気がした」
 「そうか・・・」
 全然、うまく説明できなかったけど、史彦は息をもらしながら、納得してくれた。
 あいつらのことも悪く言いたくないし、なんかどうでもよくなったっていうのが、本音だ。
 中庭にある古臭い自販機から炭酸飲料を史彦の分も買ってやった。
 「お前、進路決まったのか?」
 「ああ、大学には行くことにしたよ」
 「医者になるのか?」
 「ああ、医者にはなるよ」
 ふてくされながら、素直にそう言った。
 なんだが、やっぱり嬉しかった。

 「俺はこのまま病院に行くけど」
 「俺も後から行くよ」
 教室に戻る間、史彦は俺に進路のことなんて一切、聞いてこなかった。
 きっとこいつには俺がどこの大学にいくかなんて興味ないんだろう。
 
 「太一のやつ、もうすぐ病室が変わる。そしたら前みたいに頻繁に面会できなくなる。今のうちにうんと遊んでやらないと」
 別れ際に言った史彦の言葉を思い出しながら、自分の教室に戻って、やっぱりあいつは医者に向いてると思った。

               完

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