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目からビーム!20 ジェンダーは先人の知恵?

 いきなり東京ローカルな話題で恐縮だが、歌手の美輪明宏氏が名誉都民に選ばれたというニュースが飛び込んできたところだ。「神武以来の美少年」は今年で83歳である。
 美輪氏といえば、日本の過去の戦争や軍部に対しへの痛烈な批判で知られ、その流れか憲法改正を目指す安倍政権に関しても一環として批判的で、そのためか一部保守層の間では左翼論客と見られているようであるが、それは一面的な見方に過ぎると思う。
 一般に左翼はその史観から戦前=暗黒時代として語りたがるが、彼は違う。
「戦前の日本には美しいものが生活にあふれていた」といい、戦後それらが失われていったと惜しむのである。彼が厭うのは戦前の軍国主義だけなのだ。

 ご皇室への敬慕の念も隠さない。とりわけ皇后陛下(現・上皇后陛下)については、「これほど美しい魂を持った方はいない。全日本女性がお手本とすべき方。まさに国母という言葉がふさわしい」
とまで言っている。彼がその思いを強くしたのは、今上陛下(現・上皇陛下)が皇太子時代、沖縄を訪問され例のひめゆりの塔事件に遭遇されたときのことだという。陛下の面前で過激派の投げた火炎瓶が発火。そのとき皇后陛下(現・上皇后陛下)は咄嗟に陛下のお顔の前に手を差し伸べられ火炎から守られた。美輪氏はこのとき、陛下と国民を思う皇后陛下の無償の愛の姿を見たという。
 また、美輪氏には「私は、強い男と弱い女を見たことがありません」という持論がある。
「世間でいう“男らしさ”とは、男は本来もろくて崩れやすいものだから、少しでも強く見せるように心がけなさいということ。“女らしさ”とは、女は本来、強くて現実的な生き物だから、少しはおしとやかに見せなさいということ」だそうだ。
 ジェンダーを超えた存在だからこその鋭い視点である。面白いのは、フェミニズムの学者先生が目の仇にする「ジェンダー」(社会的に作られた性差)を、美輪氏は先人の知恵として、肯定的にとらえていることだ。これなども目から鱗の話ではないか。
 昨今、LGBTなる言葉が独り歩きし、どこか政治運動的な色合いを増しつつあるが、僕の知るところ、美輪明宏氏が一連のこの騒ぎに言及した様子はない。天晴である。
賢者はお見通しなのだろう。ゲイの味方のふりをして利用しようとするヤツらのことを。

初出・八重山日報

(追記)美輪氏はまた、「一部の偽善者のおかげで、パリはもうパリでなくなった」と、安易な移民受け入れに対しても苦言を呈している。こういう声にももっと耳を傾けるべきだろう。
 LGBTを保護するべき法律を作れなどと主張する者がいるが、これこそまさに偽善者か、差別利権を狙っている活動家ではないか。そもそも歴史的に見て、日本ほど同性愛に寛容な文化をもった国はないのだ。牛若丸と弁慶、一休宗純、織田信長と森蘭丸、などいちいち例を持ち出すまでもない。西郷隆盛は下級武士の出といわれるが、その西郷家は代々、島津の殿様に仕えたお小姓衆だった。特に薩摩藩は女性忌避、男色をたしなみとする気風で知られていた。大正時代の旧制高校の生徒の間では、お稚児さんを連れて歩くことが流行ったという。里見弴の初恋の人は兄(有島生馬)の親友・志賀直哉だったというのは有名な話。BLややおいといった文化も日本独特のものだろう。
 イギリスでは、同性愛者ということでオスカー・ワイルドは投獄されているし、ナチスドイツも同性愛者をユダヤ人、ロマ、障碍者と同様、ホロコーストの対象とした。日本にはむろん、そのような黒歴史はない。
「男らしさ」「女らしさ」、「先生らしさ」「学生らしさ」、~らしさ を否定する者がよりどころにするのが、「自分らしさ」とやらである。

 本稿の記載で、僕(美輪氏ではなく)の記憶間違いがあった。件の事件はひめゆりの塔事件ではなく、山形県べにばな国体での発煙筒事件が正解である。さすがに、ひめゆりでの事件では陛下の足元で火炎瓶が破裂しており、警護官の指示で退避されている(動画で確認)。しかし、両陛下はそんなことにひるむこともなく、翌日も公務(海洋博開会式)をこなされている。それについては拙稿「北方領土まで泳いだ男・網走五郎インタビュー」をご参照のことを。両陛下の沖縄に対する想いも伝わってきます。


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