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僕が語っておきたい下北沢⑩北沢川緑道の春

 かすかだけど春の予感を風が運んできた。寒の戻りでもう一回、東京に雪が積もれば、あとは一雨ごとに暖かくなっていくはずである。そういえば、ここ数日コートには袖を通していないし、そろそろセーターともお別れかもしれない。
 空気が頬に気持ちよく、テラスの紅茶が美味い。こういう陽気だとなぜかセーターでなくスウェーターと書きたくなる。むろん森茉莉語である。茉莉のエッセイにもしばしば「スウェーター」(スウェータアとも)の話題が出てくる。
《私は食いしん坊のせいか、スウェーターの色なぞも、胡椒色、ココア色、丹羽栗の色、フランボワアズのアイスクリーム色なぞが好きで、又似合うのである。すべて味も色も甘く柔らかいのがすきで、「渋い甘み」というのが、好みである。》といった感じに。セーターを語りながら、お菓子の好みを語っているかのようだ。自分で自分のことを「似合うのである」と断言してしまうのもこの人らしい。
《この冬、オークル・ジョオヌのボヤボヤした、灰色っぽい丸い貝釦のスウェーターを、下北沢の洋品屋で見つけ、三枚買った。形もいいし、気に入ったのはなかなか無いので、私は気に入ると三枚買う。それを着ると、昔を想い出すので、頬紅や口紅をつけたくなる。十八の時巴里に着いて初めて着たスウェーターの色でもある。》
 オークル・ジョオヌ(ocre jaune)は黄土色。ターメリックのあの色といえばイメージがしやすいかもしれない。セーターとしては結構目立つ色で、なるほどおしゃれな感じがする。
 男のセーター姿にもうるさい。ジェームス・ディーンの腰に巻いたスウェータアやアンソニィ・パアキンスの黒のとっくりスウェータア、はてにはテレビで見たタモリの橄欖(オリーブ)色のスウェーターを「貸してもらいたいような色」とほめている。どんな色かといえば、「伊太利(イタリア)の運河」だそうだ。

 そんな茉莉だから、さぞやセーター、もといスウェーターを大切に着続けるのかと思えば、虫食いにまかせ、穴が開けば繕うことができず、夜中にこっそり近所の川に捨てにいくのだという。何のことはない、違法投棄である。オークル・ジョオヌのスウェーターもその運命をたどったのだろうか。
《魔利のアパルトマンの近くにある川の中には、上等のスウェータア類の穴のあいたのが、相当量沈んでいる。テムズの底に沈んでいるという髑髏の眼窩に嵌った、女王の宝石、とまではいかないはが、ものはいいから、バタ屋の人々は年に一回くらい浚ってみる位の価値はあるだろう。》(『贅沢貧乏』)とはいい気なものだ。

 その川はすぐに特定できる。北沢と代沢を仕切る北沢川のことで、なるほど茉莉の住んでいた代沢ハウスとは目と鼻の先である。この近くには、旧萩原朔太郎邸もあって、茉莉の親友の萩原葉子も長く住んでいた。ふたりはご近所さんでもあったのだ。

「北沢川の水源は旧上北沢村あたり(松沢病院の構内)で、湧水を集めて赤堤、松原をとおり、池尻、池沢、三宿の三村境で烏山川と合流し、目黒川と名を変えます。」と世田谷区のHPにある。
 意外かもしれないが、世田谷は小川や湧き水の宝庫なのだった。僕が今住んでいる祖師谷砧方面でも、気をつけてみると散歩の道々きれいな湧き水に出会う。小さな感動である。
 もっとも僕が下北沢の居住したころは、すでに北沢川はコンクリートでフタをされた暗渠の状態で、北沢川緑地と名を変えいて、いくつかの橋の欄干がかろうじて、川だったことを偲ばせていた。それでも、散歩コースとしてはとてもいい場所で、僕のお気に入りでもあった。緑道沿いにある「中島」と表札のかかっている白亜の邸宅が中島みゆきの家である。
 緑道の両脇にはずらりと桜の木が4月ともなれば、シモキタ有数の花見の名所となる。僕も何度か、ここで仲間と夜桜を楽しんだものだ。近くに森茉莉も通ったという代沢湯があって、ひと風呂浴びたあと、桜の花びらの舞う下で飲むビールはまた格別だった。ただし、季節の変わり目ゆえ、湯冷めには気をつけたい。そういうときは薄手のセーターかカーディガンが恋しくなる。となれば、まだセーターをしまうのは早急か。
 花見のとき難儀なのはトイレだ。美味しいビールも飲めば必ず膀胱に溜まる。当時は、長い緑道で簡易トイレが2、3個しかなくて、男女の区別なくそこで用を足すものだからいつも長蛇の列だった。あるとき、トイレに急いでいたら、どこかで見たおじさんが若者たちと鍋を囲んでワイワイ盛り上がっている姿にぶつかった。俳優の多々良純氏だった。僕の好きな役者さんだ。彼も近所に住んでいるようだ。若い衆は演劇仲間らしかった。
 下北沢に住んでいると、思わぬところで思わぬ有名人を見かけるが、誰も目配せしたり、「今の〇〇よ」とか耳打ちしたりなど野暮なことはしない。エライ作家先生もロック歌手も俳優も街の風景として溶け込んでしまうのが下北沢だった。風呂屋の前で夕涼みをする短パン姿の色黒のおじさんがカメラマンの浅井慎平氏だと気が付いたのは、家に着いたあとである。そういえば、テレビで銭湯が好きでよく行くと語っていたっけ。

まさに春の小川。北沢川緑地

 先日、北沢川緑道を訪れたら、暗渠の一部は剥がされ、少しだけかつての川の姿が蘇っていた。水は驚くほど透き通ってきれいで、薄い薄いガラスが一枚貼られているかのようだ。もし間違えて足を踏み入れたら、放射線状の細かいひび割れがしそうである。コンクリートを剥がしたあと、はたして川底からオークル・ジョオヌのスウェーターは出てきただろうか。
 緑道もそれに合わせて整備が加えられ、前述の朔太郎の他、横光利一や坂口安吾、三好達治、古関裕而といった、やはり下北沢ゆかりの文化人の文学碑、音楽碑が建てられていた。
 今年の春は、久しぶりに北沢川緑道で花見をしてみようかな。 

安吾の文学碑。代用教員だったとは知らなかった。ちなみに、下北沢時代の僕の部屋は安吾並みである。

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