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(単行本未収録)スキゾ・コリア歴史編 (前)~歴史認識は「歴史」にあらず

封印された「征伐」の二文字

 韓国の政治家も学者もマスコミも歴史認識という言葉が大好きなようです。そしてことあるごとに日本に対して「正しい歴史認識」を求めてきます。しかし、ここで留意しておかなければいけないのは、歴史認識とは必ずしも客観的な歴史を意味していないということです。
 ナポレオンはフランスの英雄ですが、周辺国にとっては侵略者に他なりません。チンギス・ハーンはモンゴルの英雄ですが、立場を変われば、やはり残忍な侵略者です。ジュリアス・シーザーしかりアレキサンダー大王しかりでしょう。このように歴史認識というのは、それぞれの立場、民族、国家、宗教などによって変わるものなのであって、いわば主観の産物ということになります。
 韓国のいう「正しい歴史認識」は、言い換えるならば、韓国の歴史認識であり、日本は黙ってそれを受け入れるべきだというのが、彼らの主張です。
 日本と韓国(朝鮮)、実は歴史認識を共有する時代がありました。いうまでもなく日韓併合の35年間です。
 現在では完全に死語となりましたが、秀吉の朝鮮出兵を「朝鮮征伐」と呼ぶ年配の人が、私の子供時代にはまだおりました。「征伐」を辞書で引くと「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと」とあります。その人は単に慣習的にその言葉を使っていただけで他意はなかったようですが、文禄・慶長の役は明らかに日本側の一方的な侵略行為であり、これを「征伐」と表現するのは確かに、不適切かと思われます。
「朝鮮征伐」なる語が改められたのは、戦後、つまり日韓併合の解消後、それらの反省を踏まえ、あるいは韓国からの抗議を受けて自粛した結果だと私はずっと思っておりましたし、読者の多くもそう思われているかもしれません。ところが、事実は違っていたのです。この語が改められたのは、何を隠そう、その日韓併合がきっかけだったそうです。
 併合によって朝鮮人も同じ日本国民となったのだから、「征伐」ではまずかろうという理由からだそうで、その代わり、「朝鮮出兵」あるいは現在も教科書で使われている「文禄・慶長の役」という名称が広く用いられるようになったというのです。ということは、日本と朝鮮が歴史認識を共有したことにより、「征伐」の二文字が封印されたということになります。よくいわれるように併合下、朝鮮人を隷属的にあつかおうとしていたのなら、「征伐」という言葉を残し、積極的に統治に利用していたことでしょう。

韓国では壬辰倭乱を題材にした映像作品は多数つくられてきた。中でも85~86年にMBCで放映された大河ドラマ『壬辰倭乱』はそれまで悲劇としてしか描かれなかった倭乱を李舜臣水軍の活躍を中心に描いた初めての作品とあって大ヒット。ちなみに海戦の大特撮を手掛けたのは東映戦隊モノや宇宙刑事シリーズで知られる矢島信男。抗日ドラマぐらい、全部自前で作ってほしいものだ。

韓国人の「秀吉」観

 韓国の歴史信仰にもうひとつ大きな特徴があります。それは、古代に対する妄想とも取れる肥大的な憧憬です。
 日本=絶対悪は、韓国の歴史観の根幹をなすものといっていいでしょう。彼らの歴史における日本の悪行の中でも、特筆すべき2つの大きなインパクトがあります。まずファースト・インパクトは先ほども触れた豊臣秀吉による朝鮮出兵、セカンド・インパクトはいうまでもなく日韓併合です。韓国人の知識人は500年も前の朝鮮出兵の恨み言をまるで昨日の出来事のような口調で語り、日本批判の種にしてきました。
 過去日本では、映画テレビで太閤記モノは数え切れないほど映像化されており、NHK大河ドラマだけでも3度取り上げられています。日本人は立身出世の象徴ともいえるこの男の物語が潜在的に好きなのです。いうならば、秀吉こそジャパン・ドリームの体現者といえます。♪どんどん増える星の数~と歌われ、戦前の小国民のアイドルだった『のらくろ』、現代サラリーマンの必読マンガ『島耕作』シリーズもベースは、この太閤記にあります。
 一方、韓国でもこれまで無数の秀吉映画やドラマが作られてきました。当然ながら、ここで描かれる秀吉像は日本の映画に登場するそれとはまったく違い、残忍で狡猾、さらに色好みの俗物といったイメージです。実在の秀吉にそれらの要素が皆無だったとはいいませんが、ことさら負のイメージばかりが強調増幅されています。
 むろん、韓国は秀吉の侵略を受けた方ですから彼を悪の権化の如く描くのも理解できますが、どうやらそれだけではないようです。両班文化を根本とし、武よりも文を尊ぶ韓国社会の価値観からすれば、日本では好意的に受け止められる「百姓の身から天下人へ」という出世物語が、出自の卑しい男の血生臭い成り上がりの物語にしか見えないのです。彼らからしてみれば、秀吉の朝鮮出兵とは、禽獣にも等しい倭人の中でもひときわ卑しい猿人の類に、深窓の令嬢である自分の身が汚されたという感覚なのでしょう。彼らの秀吉に対する憎しみの深さ複雑さはそこにあります。

なぜかないことにされた三韓征伐

 さて、ここからが面白いところです。秀吉の朝鮮出兵や倭寇を日本人の侵略といい、人類史に刻まなければならない蛮行と非難するのなら、さらに歴史をさかのぼって、日本書紀に記されている神功皇后の新羅出兵や三韓征伐、4世紀から6世紀半ばまで朝鮮半島南部に存在していたとされる倭の事実上のコロニーである任那日本府についても言及し、「こんな古代から日本はわれわれの領土を蹂躙していた」「日本の先天性侵略的野心は古代から続いている」と日本叩きの材料にしなければおかしいと思うのですが、韓国の学者先生もマスコミも、三韓征伐や任那日本府を「ありえないこと」「捏造」と一笑に付すことが、なんとも解せない限りといえます。日ごろ、自国の悪行に関してはあることないこと嬉しそうに語りたがる日本の左系教授たちもなぜか、この件に関しては韓国の言い分に同調するのです。
 三韓征伐や任那日本府を虚構とする根拠というのが、「当時、倭は未開で脆弱な民族であり、そんな未開人が、優秀な文化を誇る朝鮮民族(当時は三韓)を攻め落とせるわけがない」ということらしいですが、それは単なる希望的推測に過ぎません。

明治時代の十円札に描かれた神功皇后。日本のお札に登場した最初の女性だ。

 韓国の古代史研究者は、日本書記から都合のいいところをつまみ食いし、日本に仏教を伝えた王仁博士は百済人だったとか、勝手な解釈で自分たちの正史に組み入れているのです。同じ日本書記の記述から王仁博士の存在は認め、三韓征伐、任那日本府は否定する――これではご都合主義、ダブルスタンダードといわれても仕方がありません。
 ちなみに支那の歴史書『隋書』には「新羅と百済は倭国を大国として敬い仰いでいる」という記述があり、朝鮮の最古の歴史書である『三国史記』にも倭がたびたび朝鮮半島に出兵し、そのため新羅の奈勿王(なもつおう)は王子を倭に人質として差し出したとあります。日本書紀は8世紀、『三国史記』は12世紀の編纂です。こうした記述に関して、韓国の学者は無視を決め込んで今日まできています。

古代に遡るほどSK度が増加

 また、今上天皇(現上皇陛下)のいわゆる“ゆかり発言”「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」に出てくる武寧王は、百済王族の人質の子孫として日本に生まれています。また武寧王から桓武天皇の生母・高野新笠まで10代、200年の隔たりがあり、しかも6代前に帰化していますから、ほぼ日本人と呼んでもさしつかえありません。そうした事実を一切隠し、韓国のマスコミの多くは「日本の天皇が自ら渡来人系であることを認めた」とはしゃぎ、ひどいものになると「武寧王の孫娘が(初代天皇である)神武天皇を生んだ」などという明らかな捏造記事を発信していました。
 韓国の歴史信仰からいえば、奈良、飛鳥と、古代にさかのぼるほど、日本の朝鮮半島への文化的隷属度が高まり、倭は三韓を「兄」と慕っていたということにならなくてはなりません。すべてそこから彼らの歴史のつじつまを合わせがなされます。一方、中世に入ると、倭寇、秀吉の朝鮮出兵など日本は急激に強くなり腕力で朝鮮を脅かすのです。この豹変の謎をどう合理化するのかといえば、「われわれの祖先が未開だった日本に文化を与えたが、もともと野蛮な資質をもつ日本は身につけた文化を武器に変え、自分が強くなったと思い上がり、兄である朝鮮に攻め入った」となります。
 つまり、日本が急に強くなったのは、われわれが文化を教えたからであり、日本はその恩を仇で返しにきた、という解釈です。野良犬に手を噛まれるよりも飼い犬に噛まれる方が、憎しみ数倍というわけでしょうか、韓国の歴史信仰では、どの回路を通しても日本への憎悪が増幅されるシステムになっています。

古代妄想教という民族宗教

 古代へ行けば行くほど朝鮮民族の優秀性が見えてくる――韓国人のゆるぎない信仰です。要するに歴史におけるSK願望です。私はこれを誇大妄想狂ならぬ「古代妄想教」と呼んでいます。一方、秀吉の朝鮮出兵や日韓併合はCKということになります。韓国では歴史観もまた、SKとCKに分裂しているのです。
(但馬註※SK=ストロングコリア=「文化的、武力的に日本より優れている強い韓国」というイメージ。CK=チキンコリア=「日本にいじめられ常に屈辱を受けてきた弱い韓国」というイメージ。共に但馬の造語。韓国人の対日本意識の中に、SK、CKのふたつの「韓国」が混在する。)
 ソウルにある梨花女子大学といえば、日本でいうところの御茶の水女子大にあたる女子の名門校ですが、同大学の慎鏞廈(シン・ヨンハ)名誉教授の学説(?)によれば、朝鮮の歴史は紀元前30世紀から24世紀に栄えた古代朝鮮に始まり、これこそが東アジア最古の古代文明なのだそうです。あまりに大胆な学説に、一瞬声を失いましたが、これで驚くのは早かった。培材大学の孫成泰(ソン・ソンテ)教授にかかれば、アステカ文明もインカ文明もその基礎を作ったのは古代朝鮮人なのだとか。孫教授、専門がスペイン語・中南米学というのだから二度驚きでした。まあ、インカも李氏朝鮮も車輪の文化がなかったということは共通しますが。

学校教育の場でこのような地図が。

 むろん、これら古代朝鮮は彼らの頭の中にだけ存在する幻の文明であり、古代妄想の産物に他なりません。大学教授からして邪教の信者なのです。
 現在はどうか知りませんが、10数年前の韓国の中学の歴史教科書に載っていた古代の地図ではユーラシア大陸の東半分を統一新羅の版図に色分けされていました。また、林均澤元大田大学哲学科教授の著書『韓国史』に記された地図では、世界は、朝鮮半島北部、満州、中国北部、モンゴル、シベリア東部、日本北部から、カムチャツカ半島、アラスカにまで広がる高句麗帝国と、朝鮮半島西南部、日本西部、山東省・江蘇省を中心とする中国東部を占めている百済によって二分されています。
 韓国人のインテリはよく、われわれ民族は古来より平和を愛し他国を侵略したことはむろん、不遜な領土的野心を抱いたことさえ一度もないと胸を張ります。日本人からすれば、元寇は侵略ではないのか、と言いたいところですが、それは置いておくとしても、正しくは他国の領土を征服したくてもその力がなかった、できなかったというべきでしょう。せいぜい、どさくさにまぎれて竹島を奪ったのが関の山です。
 そして、これら、古代妄想地図を見るにつけ、韓国人の心の内側にあるすさまじい領土的願望、征服欲の表れをそこに感じずにはいられません。もし、彼らに充分な武力と実力がそなわっていたとしたら、必ずや国境を越え周辺国に攻め入っていたでことでしょう。そして、元寇やベトナム戦争の際の所業から判断して、筆舌に尽くしがたい残酷無比な仕打ちを他民族の婦女子にほどこしていたに違いありません。
 元寇もベトナムも傭兵としての参加だったというのも興味深いところです。モンゴルやアメリカといった、その時代の強力な軍事力の後ろ盾があって初めて、彼ら本来の獣性がいかんなく発揮させるのです。そういえば、日本の敗戦時、満州引揚者の日本女性を襲い陵辱の限りを尽くしたのは、ソ連兵とその威を借りた現地朝鮮人でした。また、内地にいた朝鮮人の一部は、戦勝国民を自称し、GHQに主権を奪われた日本良民に暴虐の限りをつくしました。(続く)

▲大河ドラマ『壬辰倭乱』。特撮・矢島信男

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