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目からビーム!31 祖父・曾祖父の冤罪と差別

「南京大虐殺はなかったと思う」というと、「お前は、ナチスのホロコーストもないというのか!?」とトンチンカンなことを言って絡んでくる人がいる。それって「袴田さんは無実だ」と主張する人に「お前は、麻原彰晃は無実だというのか!?」と聞き返すのと同じことだ。南京大虐殺とホロコーストはまったく無関係な事案であり、意図的な混同には悪意を感じる。
「袴田さん」とは、1966年、静岡県清水市で起きた強盗殺人放火事件の犯人として死刑が確定している袴田巌元被告のことである。彼は終始、無実を主張し続け、2014年、死刑及び拘置の執行停止を勝ち取り現在は釈放されているが、法的な扱いは「死刑囚」のままだ。なによりも彼にとって失われた40年はあまりにも重い。
 いわゆるリベラル左派の人たちは「冤罪」という言葉に敏感だ。被疑者が、あるいは受刑者が「冤罪」を叫べば、たちどころに人権弁護士を中心として支援の輪は広がり、それを伝えるマスコミは、警察権力、司法の「横暴」をこことばかり叩いてみせるのである。むろん、それを非難するつもりは毛頭ないが、彼らが持ち合わせる「人権」意識の欠片でもいいから旧日本軍にも向けてほしいものだと思う。われわれの祖父・曾祖父ではないか。

南京入城する皇軍と南京市民

 いわゆる南京大虐殺も慰安婦強制連行も、そして集団自決軍命令も、日本軍に着せられた「冤罪」であると僕は信じる。何よりも「罪」を証明する物的証拠がない。証拠がない以上、現時点では「無罪」である。あるのは、怪しげな「証言」ばかりだが、それを裏付けるものも何も出てこない。南京大虐を行ったと「証言」する元将兵もいるが、多くは中共の捕虜となり思想教育を受けてきた者たちなので、信用度は低い。拷問によって強要された自白(袴田事件でもこれが争点のひとつになった)が無効なら、洗脳によって作り出された自白も無効のはずである。いや、洗脳も立派な拷問だ。しかし、ことリベラル派にかかれば、「疑わしきは罰せず」の原則さえ、旧日本軍には適用されないらしい。
「あいつは××人だから犯罪者に決まっている」などといえば、とたんに差別者の烙印を押されてしまうだろう。同じく「日本軍だから悪いことをやっていたに違いない」という前提で歴史を語るのは、差別以外の何ものでもない。

(追記)
袴田氏の再審が決まったというニュースが入ってきた。まずは朗報といっていいだろう。裁判の成り行きを見守りたいものである。
しかし、戦後80年経とうとしているのに、旧軍に関する多くの冤罪ははらされぬままである。中には百人斬り冤罪の向井・野田両少尉のように戦犯の汚名を着せられて、帰らぬ命となった人も多い。日頃、死刑廃止を訴える人権屋弁護士が、彼らの処刑の不当性についてなんらの言及をしてこなかったのはなぜか。

「百人斬り」報道は日日新聞による購読者増やしのための戦争講談にすぎない。

それどころか、この福岡弁護士会HPの記述には唖然とさせられる。「靖国神社のご神体が刀」だとかのっけからツッコミどころ満載だが。本当に、彼らはプロの弁護士なのだろうか。
 日本兵の冤罪処刑は中国大陸だけで行わていたわけではない。フィリピンのミンテンルパ刑務所に、無辜の戦犯が数多く収監され死を待つばかりだった。その命を救ったのが、この歌である。

『あゝモンテンルパの夜は更けて』のサイドストーリーについては、こちらをご参照ください。


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