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「羊と猿」

10月9日、父のように慕っていた方の1周忌追悼ライブに行き、感じたことを残したいと思い、書くことにしました。
思い出話にも、しばしお付き合い頂けましたら幸いです。

1年前の10月下旬、5年間疎遠だったその人の訃報を知りました。
知らせに来て繋げてくれたみたいな、不思議なタイミングでした。

お父ちゃんは、30年位前から東京でハードロックバンドを組んでいて
ライブハウスの経営もやっていたので今回はそこでの追悼ライブ。
ひとりででも行く気満々でしたが、お父ちゃんが大好きだった友人と真の息子さん2人と繋がることができ、くっ付いて行かせていただくことに。

ライブ前に居酒屋で献杯、思い出話をしていると普通に自分の世界だけで生活していたら絶対に交わることのないタイプの人たちに混じってお酒を飲んでる…             意外と緊張してない…自然だ…
ジャンルや世代が違っても、共通しているものが記憶に残っていると人は自然に打ち解けるんだな…

なんだかそのことが妙に美しく思えて、今までの「見た目で人を判断して壁を作る」自分を恥ずかしく思いました。

ライブハウスでは、あの強烈なエネルギーに魅せられた人間たちが集い、その人が好きだった音楽をかき鳴してました、最高に楽しそうに。 

わたしは見た目が全然ロックじゃないので
明らかに場違いな感じでしたが
お父ちゃんが愛した場所なら大丈夫、と引け目を感じずに居ることができたと思います。

とはいえ、ほとんどの時間
お父ちゃんの友人と外のお店で呑みながらお話してたのだけど....(良い時間だった)


思い起こせば私達の出会いも、不思議そのもの。 


10年前にやっていたヒッチハイク旅の    最終目的地、鹿児島
天文館アーケードにて路上写真展をやっていたらひとりの酔っ払いおじいさんに声をかけられ、ついて行ったのが始まり。(陶芸家のおじいさん、お店の常連のようでした)

マンション2階の1室、           表札には「food na bar」
出迎えてくれたのはハンチング帽にアゴ髭を生やした渋めな男性(お父ちゃん)と小柄でちゃきちゃきした女性(鹿児島の小林聡美)

幼馴染のふたりが鹿児島で再会してオープンさせたばかりのそのお店は
出会ったその日から私の憧れであり、安心する家のようであり
お酒が飲めないわたしが唯一ここではグラスビールを1杯は飲む、というふうに決めていたお店でもあります。

旅人だった私を1週間お店の座敷で寝泊りさせてくれて
たくさんの個性的なお客さんとお話しする機会を作ってくれて
店内で写真展をさせてもらったり・・・

旅が終わってからも鹿児島行く度に遊びに行きました。
3人で女性のお家にお泊りしたこと
二日酔いなのにとんかつランチに顔出してくれたこと
「ゆうちゃんは天使」と褒めてくれたこと
「君たちは最高のソウルメイト」と言ってくれたこと 

思い出が、たくさん。

お酒が深まってくるとヒートアップするふたりの言い合いを眺めていることがなぜか好きで、愛おしくて、名物でもありました。

ふたりの関係は、「母と息子」のようでたまに「娘と父親」のようであったといいます。

わたしから見ても、ふたりは男と女を超えた特別な関係のように見えました。

残念ながらふたりのお店は2018年に閉めることになり、お父ちゃんは東京へ戻り、今回の流れとなったようでした。

*                    *

人間として生きていく中で、
かけがえのない人と出逢い、離れたとしてもまた再会し、そんな最高のふたりでお店をやれたこと、多くの人を繋げたこと、みんなの憩いの場を作ったこと、たくさん喧嘩したけど、常に一緒にいれたこと

そういう営みが人生でできて
お父ちゃんはきっとすごく幸せだったよね、と率直に感じました。

陳腐な言い方だけど
ほんとにほんとに、美しいことだったよね、と思うのです。
お父ちゃんが感じたであろう嬉しかった気持ちが、時を越えてわたしの心にじーーんと響き渡ったような気がします。

ライブハウスの人たちからも
彼のことが大好きだという気持ちがよく伝わってきて、わたしまで嬉しかったです。
素敵な仲間に囲まれて幸せだね、と。

人の人生を変える、影響力のある人
技術も知恵も行動力もある人
こんなにも人の心に残る人

謎多きその人を
周りにいる人から教えてもらいました。


人間の営み
生きてるといろんなことが起こりますが
背中で教えてもらったことを忘れずに
もらった優しさ、かけてくれた言葉を頼りに
全力でわたしを生きよう。


お父ちゃんありがとう。
また逢いましょう^^

訪問有難うございます(^ω^)ハグ