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優しくしようとして優しくされていた

人に求められる全てを満たすことは可能なのでしょうか。大抵の人はそうではないのではないかと思います。もし本当に100%できる人がいるとしたら、その人はきっと人の気持ちがよくわかって頭が良くて優しい人なのでしょう。

自分がそういう人ではないんだと思い知らされることが最近ありました。到底なりえないのだと思って落ち込みました。

その人を助けたいという気持ちはあったとしても、それがどんなに強かったとしても、限られた情報の中で求められていることを全て理解することは難しいです。

必要なことは話をよく聞いて何が言いたいのか、その人が何で立ち止まっているかに気付くだけの賢さなのだろうと思います。かといって、核心を正直に突いてしまっても相手が傷つくという可能性もあります。

ここでさらにどう伝えるか考えるということがプラスされてしまいます。相当のコミュニケーション能力が必要とされるからです。だからカウンセリング技術を学びたいという人がいますし、それだけ難しいということです。


うまく渡せなかった優しさ

私はいつだったか、友達に死にたいと思うくらいに落ち込んでいるという話を聞いたことがありました。そのときにどんな言葉を掛けたらいいのかわかりませんでした。

こういうときには「相手に寄り添うこと」「話を最後まで聞くこと」「味方でい続けること」などが必要だとされます。けれども、無知だった私にはそういうことができませんでした。

何故なら私にとってその友達はどうしても死んでほしくないくらいに大切な人だったからです。失ってしまうのではないかと思うととても怖かったのです。そのため、私が話を聞いたうえで言ったことはこんなことでした。

辛いんだね。けど私はあなたがいてくれて毎日が嬉しいよ。

友達はものすごく驚いた様子でした。そしてそのあとに口にした言葉は「私はあなたに受け入れてもらえていないとは思っていない」ということで、苦笑していました。


きっとこのとき、私はこの友達にとって100%の答えを与えることができていなかったと思います。話してくれた内容についてのアドバイスをできたわけでもありませんでした。

最低限、話を聞くことと味方でいることはできたかもしれません。けれども寄り添うことというのは、できたかどうかわからないのです。死にたいと思っている人に対して「死なないで欲しい」と言うのは、良かったのか悪かったのかわかりません。


歌われている優しさ

こういうときに思い出すのはBUMP OF CHICKENの「真っ赤な空を見ただろうか」という曲のこの部分の歌詞です。

あいつの痛みはあいつのもの 分けて貰う手段が解らない
だけど 力になりたがる こいつの痛みは こいつのもの

そして、「Stage of the ground」という曲のこの部分です。

優しくなりたいと願う 君は誰よりも優しい人

話を聞いても全く役に立てなかったとき、本当にこれで良かったんだろうかと思ってしまいます。力になろうとしただけではだめだったんだと思います。それなのに本当は優しい人だという事実が成り立つわけがないとどうしても感じてしまうのです。

こうして私には「自分は優しくはなれない人」という認識が生まれました。求められている優しさというものを、全く持っていなかったのではないかと。もしかしたら単なる押しつけだったのではないかと思ってしまうのです。


受け取ろうとしてくれる優しさ

それでも、その友達は今日も生きてくれています。

私は思うのです。本当はあの友達のほうが優しい人だったのではないかと。私の拙い励ましに対して本質的なものを見てくれたことで、あれだけずれた優しさでもちゃんと受け取ってくれたのではないでしょうか。

受け取る側にも何か必要なものがあるんじゃないかと感じます。それはおそらくお互いがどんな人かを知っているということや、二人の間に信頼関係があるかどうかが関係あるのではないでしょうか。

思えば私は今までその友達にたくさんの優しさをもらってきました。あんなに追い詰められたときですら、友達は私の求めていることを読み取ってそれに応えてくれていたのです。

そう思うと少し泣きそうになってしまいます。友達は普段から、どれくらい相手の気持ちを読み取って生きてきたのでしょう。きっとどんなに心に余裕がなくても、求められている言葉をずっと探してきたのだろうと考えてしまうのです。


私が救われている優しさ

そして最近、私はまたそのことで失敗しました。何とか絞り出した言葉は相手に届きもせずにただ空振りしてしまいました。やっぱり私は優しくはなれないんだと思って今も落ち込んでいます。

そんなことを思っていたら、またBUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲で優しさについての考え方に出会いました。

人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ

きっと私がしたことはこれに近いのでしょう。もしかしたら、友達に渡した言葉ですらも優しさなんて表現したらいけないことだったのかもしれません。けれどもこの曲の歌詞に、少し救われたような気がしました。

私のしたことも優しさの一つだと肯定してもらえた気がしました。つまりこの歌自体が私の求めている言葉をくれる優しい歌だったということです。私はまた誰かの優しさに救われてしまいました。


思いやり。優しさ。私はその言葉にコンプレックスがあります。

求められていることに気付くことができません。気付いたとしても、満たすような言葉を掛けることができません。人の気持ちの全てはわかりません。頭がいいわけでもありません。難しいことなんだと思います。

それでも不器用に伸ばした手を取ってもらえること。優しさのつもりでしている言動に気付いてもらえること。いろんな方に私のほうが優しくされているし、救われてきたのだと思います。


ここまで読んで下さってありがとうございました。



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