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この1年、スピカでいられたことに感謝

「3周年の記事、あんまりよくなかったかなあ」と思っていたら、そのしばらくあとになって読み返した本づくりについての記事にまんま同じエピソードが扱われていてなんだこれ! となったスピカです。

こんばんは。みなさんいかがお過ごしですか。同じ話何回もするとか本気でやばいなと思ったんですが、きっと今年一年はこのことばかり考えていたんでしょうね……。2023年のnoteといえば、となってしまう。


そう、この繰り返し語られたエピソード。

繰り返されること実に3回、やってしまっていました。それくらいに自分の人生における大きな出来事であったエッセイ集の出版。もうやめようかなと思っていたときの絶望が深かったからこその大きな転機になりました。

前回の年末年始に書いた記事を読み返そうと思って遡っていたら、元旦に書いたものが下書き状態で出てきました。中身を見てみたらその絶望に至る悲喜こもごもが入っていて、辛気くさかったのはまあ100歩以上譲っていいとしても、正直これっておめでたいはずのお正月にひとに見せるものじゃありません。だから下書き。納得です。

内容については割愛するのですが、最後に書いてあったことばがありました。それは2023年の抱負は「スピカとしてここにいる」とされていたことです。私はこのことを全く覚えていませんでした。

けれども、エッセイ集を作るとして戻ってきたことで、図らずもその大切な自身の言葉を守るということに繋がっていました。自分思ったより頑張っていたんだなあと気付いてびっくりしました。


居場所を守ることってけっこう大変なことだと思うのです。ずっと同じようにいられるとは限らないですし、誰かに奪われるかもしれない。少しいない間に忘れられてしまう可能性もある。よくいなくなるということで嫌われてしまうことだってある。私はさながら、どんどん学校に来なくなっていく生徒のようなものだったのかもしれません。

それでも、ここの読者の方たちは私のことを覚えていて下さった。それだけでなく暖かく声をかけて下さったり、以前と変わらず読みに来て下さいました。それはnoteにはまだ私の席が残されているという証でした。

席がなくなってしまったら私は戻ってきてもそのまま帰るしかなくなります。席を残してもらえているのは戻ってくるかもしれないと思う方がいて下さるからで、つまりは待っていて下さる方がいるということ。


「いなくなる」と「元に戻ってくる」――人によって程度は違えども、どちらの行動に対しても自分勝手な印象を抱かれることがあります。そういった行動は無責任だ、としばしば思われてしまいます。

けれども、私が「エッセイ集を作る」と戻ってきたとき、あんな無鉄砲な発案記事をたくさんの方が見に来て下さったからこそ、今日まで頑張り続けることができました。

おかげさまで「スピカとしてここにいる」という自分との約束を、無事守り通すことができました。本当にありがとうございます。私がまだスピカでいられているのは、今もこうして読んで下さっているみなさんのおかげです。


2023年最後の夜を暖かくしてお過ごし下さい。
よいお年をお迎えくださいませ。



ここまで読んで下さってありがとうございました。




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