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のぞみで100分。名古屋での10年のこと

初めて訪れた名古屋は、どんより曇っていて寒かった。空も道もすべてが灰色。2014年12月のことだ。
夫になる予定の人と、土地勘もなく訪れた新瑞橋という駅。読み方もわからないし、地下鉄2路線の接続駅なのに、何もない。人生の大半を東京で過ごした私には衝撃的で、これからの生活を憂いた。

2015年6月、いよいよ名古屋での生活が始まった。
夫の職場に近いという理由だけで決めた家の周囲には電車の駅もなく、先述の新瑞橋駅に出るにもバスに乗らなければならなかった。まだ車も持っていなかったので、なんとか徒歩と自転車で行ける範囲で買い物をし、生活をする。そこに転職活動も重なっていたから、新婚生活のウキウキ見たいな記憶は全然なくて、不安に包み込まれてよく泣いていたような気がする。
初めて訪れた時には寒かった名古屋は、夏になるととてつもなく暑い。照りつける太陽と広い空。今思えば、空が広いことは気持ちの良いことなのだが、当時の私には高層ビルに遮られない広い空は「何もない」ことの象徴のように感じられていた。
東京で友人や同僚と楽しく生活していた私にとって、名古屋は夫しか知り合いのいない場所で、何もかも置いてきた、そんな感覚で過ごしていた。

10年近くの時が過ぎ、私は東京に戻ってきた。
何もかも置いてきたという感覚はガラリと変わっていて、今の私を象るものの多くは名古屋での10年で手に入れたものだと思える。
結婚して子どもを持ったことも大きいし、仕事に関することもそうだ。
何もかも置いてきたわけではなくて、何も持っていなかったに近い私が色々と手にした10年。
節目として書いておく。

仕事に関すること

名古屋に来る前、私は東京で2度転職をし3社を経験した。いずれも「不満があったから辞める」転職だった。
名古屋での転職活動も、異業種・異職種を希望していたけれど、それは叶わず、新卒で勤めた業界に戻ることになった。正直、またその仕事をすることになるとは思ってもいなかった。それくらい良い思い出がなかった。
転職活動が長引きだし、焦りの中で決めた部分はあるが、結果として良かったと思う。当時30人程度の規模だった会社で、わりと何でもやらせてもらうことができた。過去の職歴で雇用形態も変わりながら大小様々な規模の会社で働いたけれど、私には少人数で何でもやらせてもらえるような環境が合っていたのだと思う(もちろん、専門性に対して悩みを抱えることもあるが)。

この職場での仕事で自分にとって収穫だったなと思うこを特筆するならば
記名で仕事ができたこと
書くことに携われるようになったこと
この2つだ。

転職を繰り返しながらモヤモヤした時期を長く過ごしていたけれど、この2つに気づけたことは大きな発見だった。(と言いつつ、この職場に入ってからもモヤモヤし続け、今この文章を書くために振り返っていて気づいたのだけど…。)
しかもこれはおそらく新卒で就活をしていた頃に思考が浅くて言語化できなかったことであって、多分「やりたいこと」みたいな意味では当時から持っていたものだと思う。もう40になっているので、気づくまでに随分時間がかかったものだ…。
とはいえ、気づけないよりずっといいので、この先もこの軸は大切にしていきたいと思う。東京に拠点を移して、さらに広がっていくことを願う。

人に関すること

子どもを持ったことで、人間関係がとても広がったと思う。名古屋で職場以外にコミュニティがなかったので、保育園のママ友や、ワーキングマザーのコミュニティはとても貴重で、とても支えられた。仕事にも繋がるが、学び直しの意欲が出たのも、この人たちからの刺激をもらえたことが大きい。エネルギッシュな人が多く圧倒されてしまうこともあったけれど、彼女たちとの対話の中で自分のことも見つめられたと思うし、定点観測的に「変わったね」と言ってもらえることも自信に繋がった。
二人の子どもを育てながら働いていく中で、しんどいことは何度もあった。そんな日々を支えてくれたのはママ友たち(とカフェの店主)なので、本当に感謝している。
名古屋を離れる当日、バタバタしながら処理しきれなかった引越の残骸を手助けしてくれたママ友たちの姿に、関係を築いてきて良かったなぁとしみじみ思った。
これは、子どもたち自身のことでも同様で、長男や次男との別れを惜しんでくれるクラスメイトや保育園の先生たちの姿を見て、彼らは彼ら自身でちゃんと周囲と関係性を築いてきたんだなぁと感じられた。

この人たちとの別れが、名古屋を離れる際に最も引っかかりになった。オンラインでいくらでもコミュニケーションを取れるし、繋がっていられる時代だから、途切れさせないようにしたい。


名古屋にいる約10年の間に、何度も東京と名古屋を新幹線のぞみで行き来した。その度に「東京に戻ったよ」「名古屋に帰ってきたよ」という自分のホームがどこなのかわからなくなり混乱した。
のぞみに乗って100分。距離だけではなく、時間すら越えるような感覚になることもあった。今の私であの頃の場所にいることの違和感。

この春、東京に本当に戻ってきた。これからはここがホームで、これからの私をつくっていく。10年この場所にいるかはわからないけれど、いつか振り返ったときに手にして手放して、それを繰り返していきながらも納得して生きていられるといいなと思う。

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