ジャン=クロード・ロマンが家族の殺害による26年間の投獄から釈放

【以下は仏「ル・モンド」紙の記事に基づく翻訳です。元記事のURL:https://www.lemonde.fr/societe/article/2019/04/25/jean-claude-romand-obtient-sa-liberation-conditionnelle-en-appel_5454789_3224.html 】

現在64歳の彼は複数の請求の後、条件付きで解放された。彼は理論上は2015年から解放可能であった。

ジャン=クロード・ロマンは、彼の請求を棄却したシャトールー裁判所の決定に2月に控訴した後、4月25日(木)に条件付きで解放された。彼は1996年に3年前の家族5人の殺害に対して終身刑を宣告され、22年の禁錮刑に服し、(また合計で26年の勾留期間を過ごした)後、2015年から理論上は解放可能になっている。
ブールジュの検事総長のプレスリリースによると、6月28日までに決定は実行される、ということである。ジャン=クロード・ロマンは、保護観察期間の後、「司法当局により許可された場所に」居住し、犠牲者および原告に連絡することを差し控え、イル=ド=フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域に行くことを禁止される、とプレスリリースで報じられた。
シャトールーの刑罰執行裁判所は、2月の請求を棄却したときに、「十分な刑罰の執行の経過にもかかわらず、示された計画の要素と彼の人格により、現状のままでは、社会の利益と犠牲者の権利と受刑者の社会復帰の間で適切なバランスを保証することができない」と考えた。la République de Châteaurouxの検事のStéphanie Aouineは、公式発表でそう説明した。

偽医者ロマン
現在64歳の男は、周囲の人たちに嘘をつき、医師免許を所有しており、ジュネーブの世界保健機関(WHO)に勤務していると主張していた。実際は、彼は車やカフェや図書館で日々を過ごし、スイスに貯金があると主張し、親や友人を騙して、家族を養っていた。
彼は、正体が暴かれるまで追い詰められ、1993年1月9日に妻と7歳と5歳の2人の子どもとに加え、両親を殺害した。彼は、2日後に、バルビツール酸系薬剤を摂取して、家に放火して、自殺を試みるが、生きた状態で発見される。Emmanuel Carrèreは、偽医者ロマンの常軌を逸したストーリーから小説「敵対者(L’Adversaire)」を着想し、2002年にNicole Garciaにより映画化された。

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