『新しい貧困』ジグムント・バウマン著

いわゆる下層階級についての考察である。歴史をさかのぼり、労働倫理がそうした階級の人たちにとってどのように機能したかを論じたりしている。特に興味深かったのは、後半の現代について論じている個所である。そこで「人間廃棄物」という刺激的なタームが出てくる。これはもはや恒久的に職に就ける見込みがない人のことを指す。かつてキリスト教の文脈では貧しい人に聖性が見出された。そのため、豊かな人は貧しい人に敬意を抱き、積極的に支援していたという。ところが、信仰の薄れた現代では貧しい人たちはもはや救済の対象ではなく、排除の対象となっている。これは現代の日本でも日常的に目にする光景である。ベンチを仕切る置き石などホームレスを寄せ付けない工夫が街中でなされている。このようなアーキテクチャによる排除は、ホームレスに対する社会の不寛容を具現化したものである。

生活保護は、建前上は職に就くためのつなぎの給付金だが、実際にいかなる職にも就けない人が大勢いると見なすべきである。このますます複雑化している社会では、誰もが職に就ける水準の能力を獲得できるわけではない。しかしながら、現状は、職に就けない、すなわち所得獲得能力を持たない者への風当たりはますます強くなっているように思える。

バウマンは、所得獲得能力と所得資格を分けて考えることを提唱している。要するにそれと明言してないが、BI(ベーシックインカム)を支持しているのだ。BIはいつも財源の問題で頓挫するが、実現不可能という先入観を捨てるべきだ。今、豊かさのパラダイム・シフトが起こっており、以前のような所有による豊かさは、貧しい豊かさになっている。今や豊かさは、所有という関係様式からの脱却を志向している。所有とは結局、関係を無視した自己充足的なものでしかありえない。所有している者のみが所有物から恩恵を享受できる。そして、このような恩恵に基づく豊かさは決して他者と分かち合えるものではない。そこに貧しさの根源がある。今や人々はその貧しさに気づいている。そこでいわゆる〈共〉へと開かれ、物の共有による豊かさ、非所有の豊かさ(関係の豊かさ)へとシフトしていけば、BIが受け入れられる下地ができるだろう。

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