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アニュアルレポート | 2022年現在のキャリア観あるいは人生観 (1/3)

社会人一年目は悩みと熟考と発見の年であった。
初めて大企業という枠組みの中で自分の大半を時間を使ったわけだが、自由度高く複数の団体やプロジェクトで活動してきたそれまでの経験に比べるとギャップが大きく、強く違和感を感じた。それは、四月の研修から始まり、その後アサインされたプロジェクトの中でも継続した。ただ現在は、課題意識を持つ精神は忘れずにいようという心持ちの半面、新たな見方により今の環境を肯定できるようになっている。ここに、どういった課題を感じ、それがどういった風に自分の考え方を変え、あるいは曖昧だった考えを固め、将来への展望に結びついているかを三記事に分けて記す。

※この記事は特定の人や組織への非難・否定を意図しておらず、自分が感じたことを記したまでである。異なる考えを持つ人がいることは承知しており、それも尊重する意思がある。

①何が違和感であったか?

1. 窮屈さ

昨年感じていた違和感を分けると、大きく三つあると考えている。
一つは、自分が何をしたいか?という思いだけで動けない窮屈さ。ある程度の歴史を持ち、グローバルでも確立した企業では、社内カルチャーや考え方のベースが固まっている。そこに入社すればそれを学ぶのは当たり前ではあるし、社員に学ばせることが自社の強みを維持する企業戦略でもある。しかし、特定の考えの下で行動することを求められたことがあまりなく、かつ自らの価値観を比較的はっきり持っている身としては、自分の考えが崩されてしまうのではないか、と恐れを抱いてしまった。また、企業として顧客が存在する以上、そこから外れた取組ができないのにもフラストレーションを感じた。特に、自分がこれだけ多くの時間を割いているにもかかわらず、それによって成し遂げられるものが自分が世の中に起こしたい変化と異なる場合はなおさらだった。

2. 多様性への理解の齟齬

二つ目は多様性への理解の薄さ。私の価値観・人生観の中で「多様性」というのは間違いなく最も大切なものであり、多様な経験をし、多様な人を知り、多様な世界を学ぶことは自分が心から求めることだ。しかし、企業という一つのコミュニティである以上仕方ないとは言え、かなり似たバックグランドの人を集めていること、社外で少し異なる人と過ごしただけで「私は多様な人がいることを知り、その人と協働することを学んだ」と言われてしまうこと、そして異なる考え方があることは認めつつ、自分たちの考え方が一番であると言い切られてしまうこと、これに私は激しいショックを受けた。私は多様性を基本的に価値の源泉と考えていたが、「多様性自体が価値である」ということが腑に落ちないという人もいることを学んだ。言われてみれば、私ほど多様性の価値を純粋に信じられるほうが珍しいのかもしれない(断っておくが、多様性を大切にしたいと思いながらも、私はまだ未熟なので、他者への配慮が欠けていることもあるだろうと思う。ただ、今後ずっと学び続けることでそういった理解の欠けを補い、人間として成長していきたいと強く願っている)。

3. キャリア観の違い

三つめは直線的なキャリアを求めることへの違和感。私が学生の頃、学外を含め幅広い活動をしていた理由の一つは「自分が考えるあるべき世界の姿」があったからだった。また、周りもそういったビジョンを持って活動している人ばかりであった。そのため、入社後も同じ前提で会話を進めたのだが、それが当たり前ではないことを知った。私はそれぞれの人がどのようなビジョンを持って仕事に臨んでいるのか、またどういった世界を作ることをモチベーションに人生を送っているのかを議論することが好きであるので、すべての人とそのような議論ができるわけではないことを悲しく思った。そして、因果関係は仮説的であるものの、その結果比較的直線的なキャリアを求める姿勢になっているように見えた。私は自分のビジョンを目指すにあたり、企業内での王道パスや社会慣習に沿ったキャリアはむしろ可能性を狭めるものだと考えているので、この前提が異なる人と話すと居心地の悪さを感じざるを得なかった。

②結果としてどんな考えに至ったか?

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③今後の展望として何を考えているか?

こちらのページに続く


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多様性を考える

海外生活経験や、自然に関する研究等を通して培ってきた私なりの視点で、ほっと一息つけるような楽しいエッセイを書いていきたいと思っています。支援いただけましたら、ぜひ活動の幅を広げるために最大限使わせていただきます。