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チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲 交響曲第五番 作品 64
指揮 セミヨン・ビシュコフ
演奏 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音 2020年6月19日(金)

演奏案内   0:00 ドミニク・セルディスさん 第一コントラバス奏者 at RCO
第一楽章   2:38 Andante
第二楽章 18:34 Andante cantabile
第三楽章 32:29 Valse: Allegro moderato
第四楽章 39:11 Finale: Andante maestoso

チャイコフスキーは1840年にロシア・ウラル地方のヴォトキンスクという炭鉱町で鉱山技師の次男として生まれました。
ヴォトキンスクの年間平均気温は(温暖化が進んだ現代でも)真夏の気温は、18~32℃ 真冬の気温:-18~-32℃。極北の街です。

両親に音楽家の道を歩ませる考えは全くなく、10歳にしてサンクト・ペテルブルクの法律学校に入学。19歳で卒業し法務省に文官として勤務。
ゴーゴリの描く様な、平凡な地方官吏の道を歩む筈でありました。

1961年 21歳、知人より音楽教育を行っている帝室ロシア音楽協会を知り、そのクラスに入学。アントン・ルビンシュタインによってロシア音楽協会がペテルブルク音楽院に改組されると、ようやくチャイコフスキーは本格的に音楽教育を施され、音楽にのめり込んでいきます。

1963年 23歳の年、法務省を辞して音楽活動に専念し、1866年 26歳の時、
モスクワへ転居し、ペテルブルク音楽院モスクワ支部で教鞭をとり、以後
12年間、38歳まで、音楽教師となります。

26歳で最初の交響曲第1番『冬の日の幻想』を完成。作曲家としての産声をあげます。市井に埋もれかけていた天才の、遅い誕生でありました。

残念ながら、作曲家としての生涯は短く、1893年 54歳にして急逝してしまいます。

作品数は、バッハやモーツアルトのように多くはありません。
帝政ロシア末期、ヨーロッパ全体を黒々とした暗雲が覆っていた時代です。悠然とワインを傾け、部屋に篭って一曲を書き上げるという悠長なことが
できる時代では既にありませんでした。

が、チャイコフスキーは、厳しい環境に生きる高山植物がそうであるように、大急ぎで、数多くの、薫り高い、珠玉のようなメロディを書き残して
くれました。

バレー音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」・・・
幻想序曲「ロメオとジュリエット」「ハムレット」、
劇付随音楽「ボリス・ゴドゥノフ」・・・
歌劇「スペードの女王」「エフゲニー・オネーギン」・・・
「ピアノ協奏曲 第1番変ロ短調・第2番ト長調」「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」「弦楽セレナーデ ハ長調」「序曲1812年」「弦楽四重奏曲」「スラヴ行進曲」・・・
そして、7つの 個性豊かな 交響曲。

ウィキペディアでは「叙情的でメランコリック。芳醇な和声。何よりも、美しいメロディの宝庫」と表現されています。(これだけでは、表現しつくしていない、と思いますが、それは後程。)

交響曲 第5番は 先に紹介した 交響曲 第4番(1876年作曲)から12年の歳月の後、1988年(48歳)にようやく完成した作品です。
私スピンは、勝手に「北のロマンティシズム」と呼んでおります。

極北の広大なロシアの大地を眼前に想像せざるを得ない音楽の中に、
大地に生きる人々の、逞しい生命力を、同時にチャイコフスキーその人の、不屈の復活の想いを込めたマーチです。

残酷なほど白い雪に覆われた大地の雄たけび。
吹きすさぶ強風・・・氷点下30度の世界。
すでに雪片はガラスのように顔を刺します。
しかし、それに怯むことなく、氷を割りながら、そりを牽き、
道を失いながらも、ウオッカを傾けて逞しく前進する民衆。

永遠に続くかのような、暗く、長い、凍てついた夜と闇。

そして、氷に閉ざされた世界に ついに春の兆しが射す時、
大地と生き物と民衆が、エネルギーを解き放つ。

そんな、雄渾で、踊るようなエネルギーの中に包まれてしまう、名曲です。

第2楽章の、ホルンによる「母なる大地の唄」は聴きモノです。
( この曲を、ローレンス・ウーデンバーグさんが吹くホルンの音で聴きたい
ばかりにコンセルトヘボウ管弦楽団を選んでしまう、私スピンであります。)

第4楽章の、草原を疾駆するトナカイの群れのような激しい大振動の中、
命の復活を謳い上げる 賛歌、躍動するオーケストラ・・・

感動のフィナーレです。


≪ 付記;ご参考までに ≫

① 新型コロナが猛威をふるい始めた2020年 6月19日に行われたご案内の
  演奏には、コロナ禍に立ち向かう音楽家たちの大いなる想いが詰め込ま
  れております。
  演奏会の会場コンセルトヘボーが建立されたのは1888年で、その同年、 
  チャイコフスキー自ら指揮を執った交響曲第5番が初演されました。
  コンセルトヘボ―とチャイコフスキー交響曲第5番は、同じ誕生年の
  同期生なのです。
  (尚、コンセルトヘボーとは”コンサート会場”という意味で、建物の
  名称です)

② コンセルトヘボウ大ホールにはお客様を入れず、謂わば 無観客演奏会
  とされました。
  そして、演奏する団員は舞台全体を使用して、各奏者間を通常の4倍
  以上に開け、舞台一杯に広がって、所謂ソーシャル・ディスタンスを
  取りました。

③ その結果、素晴らしい効果が実現しました。各パートの演奏が、いつも
  よりくっきりと聴こえるのです。
  管楽器も横方向にゆったりと広がり、指揮者の目線よりもかなり高い
  場所から 音が出るようになりました。

こうしてできあがったステージの大空間にて演奏された チャイコフスキーの交響曲は、誠にロシアの大平原の彼方から流れくるかのように聴こえます。

コロナ禍が故に生み出された新しい演奏様式。
Social Distanseを取った団員による、一音一音の美しさ、ピタリと息の合った見事なハーモニーにほれぼれします。
特に、第2楽章に活躍するホルンパート・プリンシパルのローレンス・ウーデンバーグさんのホルンの音は、将に聴きものです。

このような、最新の演奏を、しかも映像付きで、インターネット超しに聴くことができる時代を、本当にうれしく思う次第です。

⇒ チャイコフスキー:『聖 金口 イオアン 聖体礼儀 』作品41より第10曲
  『ケルビムへの賛歌』
 へまいります。


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