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L.V. ベートーベン:交響曲 第3番 変ホ長調『英雄』作品55

Ludwig van Beethoven
交響曲 第3番 変ホ長調『英雄』作品55
指揮: イヴァン・フィッシャー (  Iván Fischer )
演奏:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
収録:2020年 5月 17日  At : アムステルダム・コンセルトヘボウ
第1楽章: Allegro con brio
第2楽章: Marcia funebre. Adagio assai
第3楽章: Scherzo (Allegro vivace)
第4楽章: Finale (Allegro molto)   演奏時間:57分07秒

ベートーベンは1770年にドイツに生まれ、1827年にウィーンにて生涯を
閉じました。世紀をまたいで活躍した偉大なる芸術家でした。

世紀が切り替わる時を、キリスト教では「ミレニアム(千年紀)」と呼びます。不思議にどのミレニアムに於いても、その前後に歴史を揺り動かす、大きな変化が起こります。
ベートーベンが通過したミレニアムは、「中世から近代」への転換点でした。

この時代、世界はヨーロッパを中心に新しい時代の生みの苦しみの真っ只中にあり、暗雲垂れ込める波乱の時代でした。

中世から続くの王朝支配が破綻し始め、民衆による民衆のための国家や体制が産み出されようとしていました。

アメリカ独立戦争、フランス革命・ナポレオン戦争・クリミア戦争と続き、東洋ではアヘン戦争・日本の幕末動乱・清朝崩壊・・・と続く、稀有なる
大動乱期です。
「列強」という言葉が生まれ、産業革命の真っ只中で、人間と社会との関わり方が 大変革を遂げていく時代でした。

ベートーベンはこの時代に生き、人類全体の安寧と幸福を願い、殺戮や圧政のない和平に満ちた世界の到来を願った人であり、その想いが彼の芸術活動の源泉にあるのだと思います。

人はすべからく皆、現世にて幸せを授かることを期待して生れ出ずるもの。自らの個人的な幸福を願い、社会の平和と、世界に慈愛が満ち溢れることを期待します。

残念ながら、世の中は、そう上手くはいきません。
特にこの時代、圧制が続き、侵略と抗争はいつ果てるともなく続きました。どうにも解決しようのない世の中の不条理や、突き崩せない障壁を前に、
なす術もなく、理想との落差を感じざるを得ない時代でした。

人の能力の小ささと自分の無力さを自嘲し、幸福を与えることのできない
ことに悲しみ、望みを失い、倒れていった朋友を思い、悲嘆にくれる日々が続いたことでしょう。

しかし、嘆き悲しむ事だけではなく、神に祈ることだけではなく、世界の
美しさや人間の愛の力により哀しみを回復し、力を矯め、民衆が力を合わせ新しい世界を創り上げようという「理想の火」が燃え始めていた時代でも
ありました。

ベートーベンは、人類の上に永遠の平穏と愛が満ちることを希い、
その到来を確信し、その思いを、精魂を込めた「九つの交響曲」によって
表現したのではないか、と私は思うのです。

表現は適当ではないかもしれません。が、ベートーベンの九つの交響曲は、別々の理由によって書かれたものではなく、一連の連続した「思索」と
「理想」の結晶だと思うのです。

高らかな希望 ⇒ 挫折と悲嘆 ⇒ 愛の力への信頼と確信の回復 
⇒ 人類賛歌と祝祭
   
という、キーワードが大きなスキーム(枠組み)を構成し、九つの交響曲は
全体で一セットの曲の思えるのです。そして同時に、個別の交響曲の中も、同様のキーワードとフレームによって構成されていると思えます。

言い換えれば、大きなリングが、4楽章x9曲=36個のリングによって
組上げられている壮大な「思索体系」だと考えています。

ここに選んだ、交響曲 第3番 「英雄」 を例に取れば、
ナポレオンという英雄の出現によって高められた「理想世界への期待」、
ナポレオンの皇帝への即位という裏切りへの「怒りと深い挫折」、
それに立ち向かう「民衆の力による回復」、
来るべき素晴らしき人類愛に満ちた「理想郷への賛歌」へと続く、という
感覚なのです。

特に奇数番号の交響曲においては、この構造はほぼ同一です。

特に、各曲の最終第4楽章で謳われる「賛歌」のメロディは、心躍らされる非常に素晴らしいものです。


現代最高のオーケストラと評価の高い、ロイヤル・コンセルトヘボウの
演奏を選んでおります。
普通は舞台右端に配置される、コントラバスが舞台中央の最上段に配され、
客席を揺るがす低音が天井から落下してくる感覚に囚われる演奏です。

低音の美しい、良いスピーカーにてお聴き頂ければと心より願っております。

では、

⇒ L.V. ベートーベン: 交響曲 第5番 へ まいりましょう。


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