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深海のカタチ

人間というのは二項対立の間に生きている。その二項対立は誰の中にも、あるいはあらゆるものの中にも存在している。

人間というのは、普通と言う名の狂気と、変態性と言う名の普通の中で生きていると、僕は思う。変態こそ自然であると言った方がいいかもしれない。電車の中で50代のサラリーマンが通勤ラッシュにもかかわらず、アダルトビデオを見ていたとする。これが絶対的に変態なのかどうか、今ひとつ僕にはよくわからないけれど、僕の言う変態性に関して言えば、そこにはほんの少し含まれていたとしても本質は変態性ではないということになる。僕の言う変態性とは、ある日カンボジアの知る人ぞ知るビーチを散歩していて突然もう何十年もその存在を思い出すことのなかった可愛いくまとうさぎが表紙になっている自由帳のことが気になり始め、はて、なぜくまとうさぎがあのように仲良く二足歩行できるのだろうかと、ふと考え込んでしまうような、そういった類のことである。
頭の中の小宇宙では、毎日色々な物事が衝突を起こす。それにもかかわらず我々は、その衝突の事をまるで無かったかのように扱う。ビーチとは泳いだり、あるいはつば広の帽子とサングラスを持ってモデル気分を味わう場所なのであって、子供用のノートのデザインについて真剣に考え込む場所ではない。

文化祭というものが嫌いだ。普段まるで学校に追従しないような人達まで、文化祭だって学校側が用意しているものにかかわらず、主体性という名の下にやたらに感受性を豊かにする。だからホームルームの時間にクラスの出し物の話が始まった時、毎年候補に上がる演劇にも、とりあえず出るお化け屋敷にも、結局衛生面の問題でノーが出る食販にも、そしてそのような自由であるようでいて決まりきっている議論にも、すでに嫌気がさしていた。そんな時は教室の片隅で(正確には隅ではないのだけれど)、本を読む。好きな作家があるわけでもない。狂気にかられ、いつのまにか感動すら押し付けられるような日々よりは、虚構でも普通が広がる小説の方がよっぽど居心地が良かった。しかしそうすると、話を進めているクラス委員に目をつけられる。バレー部に所属しているが、そんなに背は高くなく(せいぜい170というところだろう)、髪には弱いクセがあって、よく見れば格別整っているわけではないが、清潔感のある顔立ちをしている。小説では、友人と自分の恋人の浮気に、主人公が悩んでいるところだった。ふいに彼が、しかし他のクラスメイトの注意をひかないように、声をかけてきた。
「今手あげた?劇とお化け屋敷と食販。全員分票数えないと意味ないだろ。」
世の中の多くの歌手が〈自分らしく生きろ、人の目など気にするな〉と歌い上げる中、現実ではその他人の目が完全悪とは言い切れないところに腹が立った。どうせなら、黒い全身タイツにガイコツ模様を描いて、キーキー鳴いていて欲しい。
それが後々教師からノーと告げられるのをわかっていて、「食販」と答えた。自分は冷たすぎて、彼は熱すぎた。その押し付けがましい熱さがうっとおしかった。

ホームルームが終わるなり、静かに、けれど素早く教室を出て駐輪場へ向かった。そうしてそのままどこかへ行きたくなった。そうかと言って、現実に遠くへ行くのも面倒だった。
わざと道を左へ曲がった。所詮、狂気に対して抱ける変態性はその程度なのかもしれない。10分ほどそうして道を曲がり続けた。車1.5台分ほどの幅員の道路と、粘土を型に押し付けて生まれたような量産型の住居が両側に並んでいた。そして、植物園があった。そんなものはこの辺りにあっただろうか。苺狩りでよく見るような大きさのビニールハウスがそこにはあった。
自転車を止めた。ビニールハウスの入り口横に、長方形の板ではなく、幹の丸みを保った形状の木片がかかっていて、ただ〈植物園〉とだけ書かれていた。ビニールの暖簾をくぐって中に入った。ビニールハウスの中には、木でできた小さな小屋があった。それ以外には植物はおろか何もなかった。小屋の中に入った。特に何も無かった。窓すらも無かった。湿り気のあるひんやりとした空気に逆らって、小屋の奥へ歩いた。その時突然背後のドアが閉まった。一瞬真っ暗闇の中に立ちすくんだ。そうして、そのドアはもう開かないであろうことを悟った。そもそもドアを閉めたのは、紛れもなく「僕」なのだろうと直感した。

小屋の中は暗かった。自分の手すら見えなかった。それはまるで深海のようだった。〈静寂の音〉が耳を刺した。何も見えなくとも、そこには空間の広がりが感じられた。何か得体の知れない「もの」が潜んでいるのかもしれなかった。恐怖を感じながら、それと同じくらい、自分が何者でもなくなる心地良さを感じた。誰かにカタチを与えられるのはゴメンだった。もしも「僕」にカタチを与えるものがあるとすれば、それは「僕」の中に抑圧されて閉じ込められた変態性だけであった。それは自由帳のうさぎだ。山奥の古民家で止まったままの時計だ。人の身体が創り出す幻想のやわらかさだ。そうして「僕」は自分本来のカタチを暗闇の中で再形成しようとする。ただしそのカタチは、所々あやふやで、所々境界がない。不完全にして完全。不定形にして定形。
「僕」は身長170弱のバレー部で、弱めのクセっ毛で、特に顔に特徴のないクラス委員だった。叫びたかった。でも叫べなかった。深海の中で、あちらの空間から異形の「もの」がこちらをじろりと見ているかもしれないという恐怖に対して、僕は静かに抗った。海水と一つになれない寂しさに心をふるわせた。遠くに幽かな灯が見えた。それはほとんど見えない灯だった。深海の中ではそれが何メートル先のものなのかもわからなかった。幻覚かもしれなかった。僕はその灯の方へ、定形と不定形の間を、泳いでいくしかなかった。



#小説 #ショートストーリー #くるくる

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