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しまくんのはなし


しまくんは、私たち四年生で稀代のワルだった。

授業中は、前の席の気弱な石川くんに消しゴムを投げつける。体育では、ワル仲間の東堂くんや吉田くんと一緒にはしゃぎまわる。家庭科の調理実習では担当の野菜の皮むきをせずに班から離れて遊んでいる。放課後は、校則で禁止されていたパチンコとBB鉄砲を持って、隣の校区へ出かけていく。

女子に対してとても怖くて、学級委員の女の子が掃除をサボっているのを注意するとツバを掛けんばかりに大声を出し、殴るふりをして、女の子を泣かせていた。

お母さんにしまくんの話をすると、どの家のお母さんもああ、しまくんね、と言って少し眉をひそめるような、しまくんはそういう男子だった。

それに、しまくんの仲間には兄が多く、その兄軍団も決まってワルだったので、しまくんはなんとなくアンタッチャブルな雰囲気を、齢10にして既にかもし出していた。しまくんと私は同じクラスだったが、特に何かを話した思い出もなかった。しまくんは、用事もないやつに気を遣って話しかけるタイプでもなかった。

そんな私達のクラスに、「教育実習生」がやってきた。
その先生は、「まりこ先生」と言った。まりこ先生は、週に一回ある総合の時間を担当するらしい。先生は綺麗な字で黒板に名前を大きく書き(苗字は忘れてしまった)、「よろしくお願いします」と大きな声で挨拶していた。
まりこ先生は、これまでに見たことがない人だった。
第一、 こんなに若い大人が先生だ、といわれてもあまりピンとこなかった。
まりこ先生は母よりも断然若く、友達のお姉ちゃんよりも断然年上だった。
つまり、まりこ先生は、我々小学四年生が人生で初めて出会う「おねえさん」だった。

新人種・「おねえさん」に出会ってしまった我々は、たいへんに混乱した。
女の先生は丈の長いスカートか肌色のズボンを穿いて歳を取っており口うるさく我々の一足一挙動をとがめるものだという概念は、まりこ先生によってベルリンの壁の如く打ち砕かれた。

まりこ先生は、とても優しかった。授業中に消しゴムを投げ合っていた男子にはヒステリックにならずに、「消しゴムが他の人に当たると危ないよ」と柔らかく注意した。
掃除をさぼる男子には、「先生も一緒にやるから」、と言って率先してほうきを持った。もちろん女子にだって、休み時間は一緒におしゃべりしてくれて、女子にはワルはいなかったので怒られることもなく、みんなまりこ先生のことを好きになった。

まりこ先生は、休み時間には他の先生に厳しい口調で何かを注意されており、その度にまりこ先生は頭をぺこぺこと下げていた。特に、女の先生はまりこ先生に厳しかった。普段私達に向けられる威圧的な厳しさというよりは、まりこ先生のすることなすことが気に入らないようで、まりこ先生が「改善」することは望んでおらず、むしろまりこ先生が失敗してほしいように見えた。
それを見た我々は、「まりこ先生には友達がいないのかもしれない」という可能性に行き当たった。まりこ先生を一人にしてはならぬ、という義憤にかられた我々四年生軍団のまりこ先生へのアタックは、より勢いを増していった。

しまくんもまりこ先生のことを好きになる、ということはなかった。
しまくんは変わらずワルで、相変わらず授業は聞かず、掃除はサボり、放課後は他の小学校のテリトリーへ襲撃していた。まりこ先生はもちろんしまくんを優しく注意し、しまくんはいつものように言う事を聞かないのだが、他の先生に言う「うっせーブス」というきめ台詞は、まりこ先生の前では出てこなかった。その代わりに、いつも視線を逸らし、床を睨みつけて先生の脇をすり抜けるのだった。


まりこ先生が担当する授業は、総合の授業だった。総合は、「総合的な情操教育」のためにあるコマで、毎週授業の内容は変わったが、大体他の強化の振り替えやテストや調べ者学習に使われていた。でも、まりこ先生の総合の授業は、「ジャム作り」だった。材料は、グミの実だ。
私達の小学校から歩いて20分ほどいったところに大きな川があり、その河川敷は小さなグランドがあり、その奥、川のほとりは森のようになっていた。そこにはグミの木が生えており、秋には赤い小さな実をつけるのだ。まだ熟しきっていない実はとても渋いのだが、触るとふるふると震えるほどに熟した実は、ほのかな酸味と甘みがあり、我々のおやつになっていた。
まりこ先生と小学生一同は、河川敷で採ったグミでジャムを作ることになったのだ。

これは、我々小学生軍団を興奮の坩堝に陥れた。
授業中に、学校の外に出る。
いつもは、下校までは決して学校の外に出ないよういい含められている。まあ、学校を出たところで田んぼしかないので出ることもないのだが、それでも、普段我々を取り囲む結界のような校門を越えるということは、かつてない非日常だった。

河川敷までの道を、二列横隊で歩く。住宅街の中を歩いていると、誰か男子が「ここ俺んち!」と自慢している。はしゃぎすぎて、田んぼに片足を突っ込んだやつがいる。女の子たちはおしゃべりをして、前の子と距離が開いてしまい慌てて走っている。てんやわんやで河川敷につき、グミの実をおのおの袋に詰め込み、また来た道を戻る。

いよいよ、家庭科室でジャム作りだ。
4人1班で、集めたグミを持ち寄りジャムを作る。実を潰し、砂糖を加えて煮詰める。出来上がったのは、苺ジャムに濃紺を少し垂らしたような、少し暗い赤のジャムだ。なめると、あまずっぱい味の中に、しぶみが顔を出し、やがて消えた。
まりこ先生も、クラッカーにジャムを小さなスプーンでのっけて、一口で食べた。「美味しいね」と言って笑って、私達のクラッカーにもジャムを乗っけてくれた。
いつも家庭科の授業は何もしないしまくんも、ジャムを食べていた。何も言わず食べて、まりこ先生がまたジャムをクラッカーにのせて、またそれを食べていた。
小さなビンに詰まったグミのジャムを、みんな持ち帰ることになった。
ジャムはランドセルの中でずしりと重く、それは過ぎる毎日の中で旗のように、今日が「特別な日」であったことを刺し留めていた。


まりこ先生がいなくなる日がきた。

最後の日、帰りの会で、まりこ先生は挨拶をした。
 「3週間、みんなと一緒に勉強できて楽しかったです」
勉強なんて全然していなかったまりこ先生は、そういって深くお辞儀した。
まりこ先生は、泣いていた。三週間の思い出を話しながら、掃除のこと、体育のこと、ジャム作りのこと、話しながらだんだんと目が赤くなり、やがて鼻をすする音が聞こえてきた。クラスメイトも泣いていた。女の子は机に突っ伏してしゃくりあげ、男子は俯いて黙っていた。
いつも帰りの会が長いと机を蹴っ飛ばすしまくんは、何も言わずに、まりこ先生のほうなんて見ずに窓の外を見ていた。

放課後、忘れ物をして教室に戻ると、廊下にクラスメイトが数人立っていた。私を見ると、口に指を立てて「しー」という。
見ると、教室の中に、まりこせんせいとしまくんがいた。

夕日が差し込んだ教室は、グミのジャムのような黒ざめた赤色になっていた。赤の中で、まりこ先生は机に少し腰をかけており、しまくんは、まりこ先生の前にじっと立っていた。
しまくんが、何かを言ったように見えた。俯いているので、声は聞こえなかった。でも、しまくんの荒い息が、ここまで聞こえてくるように思った。
しまくんの背中は、震えていた。しゃくりあげるというには弱いその震えを、まりこ先生は掌で拭い去るように撫でた。
それでも震えはやまず、やがて、はっきりとした嗚咽がしまくんの背中から漏れて来た。まりこ先生は、しまくんの背中を今後は両手でさすり、何かから守るように抱きしめていた。わたしたちの目かもしれなかった。
誰ともなしに「帰ろう」と言い出し、みんなで学校を出た。

しゃべりながら帰ったが、しまくんの話はだれもしなかった。


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