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第87話・2008年 『北京へ、アジア再予選も世界最終予選も届かず…』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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前年の2007年、北京オリンピック・アジア予選が異例のやり直しとなることが決定(第86話参照)。

そして、2008年1月10日。日本協会事務局に国際ハンドボール連盟(IHF)事務局長、ハラ・ヘルミーから電子メールが届いた。

複数の日本協会関係者によれば「IHF執行部会は北京オリンピック・アジア予選の『やり直し』をIHF管理のもとに行なうが、日本協会にその予選会の開催を要請したい」というものだった。

1月29、30日に会場は東京・代々木第一体育館で、アジア予選に参加していた国のみに参加資格が与えられたが、男子・中東勢と女子・カザフスタンは参加を拒否し、男女ともに日本と韓国の直接対決となった。

オリンピック予選のやり直しという世界的にも異例の事態とあって、ハンドボール界のみならず世間一般の大きな注目を集めた再予選は、両日合わせて1万人をはるかに超える観客が詰めかけた。史上最高の人気ハンドボーラーとして、ハンドボール界外にも高い知名度を誇った宮﨑大輔(現アースフレンズBM監督兼選手)の存在も、その熱気に拍車をかけた。

日本男子はアジア予選が終了したあと、イヴィツァ・リマニッチ氏と契約満了となっていたため、急きょ新監督として酒巻清治(トヨタ車体監督、当時)を起用することになる。

29日の女子は出だしでつまずき21-34、翌30日の男子は接戦を繰り広げるものの、韓国の前に25-28とともに敗戦。

男女ともアジア予選2位で北京大会からスタートしたオリンピック世界最終予選(OQT)に出場し、そこに最後の望みをかけることとなった。

さらにこのあと、アジア・ハンドボール連盟(AHF、第1原告)、カザフスタン(第2原告)の訴えからスポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定がくだり、女子のみ、前年秋の予選で出場権を勝ち取ったカザフスタンのオリンピック出場が認められ、韓国女子も最終予選(日本とは別組)に出場することになるなど、一連の騒ぎはまさしく世界のスポーツ史においても前代未聞の事態だった。

OQTでの女子は3月にルーマニアでルーマニア、ハンガリー、ポーランドと対戦し、ポーランドには勝利したものの、ルーマニア、ハンガリーに敗れて3位。2位までに与えられる出場権はつかめなかった。

男子は5月にクロアチアでクロアチア、ロシア、アルジェリアと同組になり、アルジェリアからは白星を手にしたが、ヨーロッパ上位勢の壁は破れず、北京オリンピックへの道はここで絶たれた。8月の北京オリンピックは、男子・フランス、女子・ノルウェーが優勝。

再予選後すぐの2月、イランで行なわれた第13回アジア男子選手権は10ヵ国がエントリー、日本は7位に終わり、翌年2月の世界選手権(クロアチア)への出場権を逃した。

第88回は10月19日公開です。


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