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Ivan Hašek~サンフレッチェ広島を築き上げたGM・今西和男がチェコ人ストライカーに託した思いに迫る⚽️+チョコっとチェコ語講座⑧

広島市民球場跡地群とその北側に幾棟も聳える公営基町アパートの狭間には、長い間、野放しにされた様なダダっ広い公園が漠然と横たわっていた。本通りからアストラムラインに乗って郊外の広島ビッグアーチまで、サンフレッチェの応援に通う度に、私の目には市民の憩いの場に成れている様には映らない、空き地にも見えるあの一等地に、ワシらのサカスタを作ってくれれば、飛躍的に集客が伸びるじゃろーに、と何度も溜息を吐いたものだ。

コロナ禍をそっくりチェコで暮らした後、思いがけず広島市に戻って来た。すると、正にその場所に新しいサンフレの箱が建設中ではないか。そして、この冬、ワシらのピカピカの聖地は竣功した。それは、JSL2部に沈んでいたマツダサッカークラブ時代からコツコツと小都市・広島のピッチで世界基準のフットボールを展開させるべく、緑の芝を育くみ続けた今西和男総監督の夢が、2015年FIFAクラブワールドカップ3位の快挙に続いて、また一つ結実した瞬間でもあったろう。

MAZDAのクルマが世界の街を疾走するが如く、今西はサンフレッチェ広島を世界の強豪と渡り合えるクラブに育てたいと夢見たのではなかろうか。まだJリーグ発足以前のマツダSC時代から、今西は潤沢とは言えぬ地方クラブの懐事情を抱え、その経済的なプレッシャーとも対峙しながら、ウィークポイントへのピンポイントな外国人補強と、その助っ人の力を拝借しながらチームを最大限レベルアップさせ、近未来、世界に冠たるクラブに育て上げるべく、石橋を叩いて投資を重ねた。

マツダ時代の1984年には、ヤマハからオランダ人のハンス・オフトをコーチに招聘し、三年後には監督に昇格させた。未だ個のテクニックでは世界に通用しなかった日本サッカー界のピッチに、オランダのトータルフットボールに似て非なるニッポン特有の華麗な和の芝を蒔こうと画策し始めたわけである。

86年、オフトはオランダから守護神、ディド・ハーフナーをコーチ兼任で呼び寄せる。ディドは、広島のゴールマウスを託されたのみならず、ピッチサイドのオフトと共有する立場で、ピッチ内最後方からフィールドに然るべく化学変化を醸成させていったのである。

88年の元旦、天皇杯決勝まで勝ち上がったマツダSCを私は初めてTVで応援した。敗れはしたが、水車の如くデカデカと立ちはだかるディドの壁と横っ跳びは驚異的で、人間はこんなに長く空中を泳げるのか?と、こども心に衝撃を受けたのを憶えている。試合は、王者・讀賣クラブとの力の差を見せつけられ0-2の苦杯を喫したものの、今西にとっては、プロ化を見据えた建設途上の順調な通過点として、元旦決戦に駒を進めた自陣の現在地に確信を抱いた敗戦であったと推察する。その溝は六年半後の94年、ファーストステージの戴冠を以って、完璧に埋められることになる。

オフトは、その後、日本代表や古巣とも呼べるジュビロ磐田の指揮を任され、ディドは名古屋グランパスエイトの守護神としてJリーグ草創期を支えた。引退後は、日本代表などのGKコーチとしても我が国のサッカー界の発展に、惜しみない献身を捧げ続けてきた。元日本代表などで活躍した長男のハーフナー・マイクは、1987年に広島市で生まれている。

ブラジルからはサッカー界の顔、ジーコやカレカ、アルゼンチンからは82年W杯でマラドーナとの2トップを形成した超絶テクニシャン、ラモン・ディアス、ヨーロッパからはリトバルスキーやストイコビッチなどなど、世界のトップに君臨してきたスーパースター達が群雄割拠する中、今西は讀賣(ヴェルディ)や日産(マリノス)ほどの資金やタレントに恵まれない環境で、彼らビッグネームを擁するクラブを凌駕する為の組織の構築を至上命題に、広島の地から懸命に奔走した。

その今西がJリーグのピッチに放った3本の助太刀こそ、韓国人の盧廷潤(ノ・ジュンユン)であり、チェコ人のパヴェル・チェルニー(Pavel Černý)とイヴァン・ハシェック(Ivan Hašek)であった。欧州スタイルのサッカーに日本人の国民性やストロングポイントである敏捷性を絶妙にブレンドさせた和フュージョナルなチームに仕上げた英国紳士、スチュアート・バクスター監督のタクトも、一手一手ディープにハマっていった。寒い日には、のほほんとアフタヌーンティーを啜りながら執る指揮官の手腕を、マスコミはパープルマジックなどと称えた。

Sports Graphic Number343号にハシェックのインタビュー記事が掲載されている。そこに語ったハシェックの言葉に、今西和男の助っ人陣に期待した思いと、ハシェック獲得に踏み切った思惑を汲み取れる気がするのだ。

Q. あなたの動きは非常にスピーディーですが。
「動きの速さでは私より日本人選手が勝るだろう。
ただ私の方が、考えるスピードがちょっと速いだけだ」

その一ミリの大河に流れる思考スピードのギャップを、今西は先ず、ハシェックやチェルニーを以て、サンフレッチェの内部にも、対外的にも見せつけたのかもしれない。広島市を流れる太田川が、チェコのブルタヴァ河に流れ着き、その水流の激しさや速さ、流麗さにぎゃふんと一泡吹かされたようなインパクト、渦、うねりが、サンフレの中にもJリーグのピッチ内にも生まれた、と云うことかもしれない。

広島カープのいぶし銀遊撃手だった三村敏之さんの言葉を借りるなら、前述のジーコやラモン・ディアスが、誰しも認める超一流のアスリートであるのに対し、ハシェックやチェルニーは《超二流》のアスリートと云うことになろうか。そのフェーズには近未来、日本人のポテンシャルを以ってしても辿り着ける高みだ、と今西が踏んたからこそ、チェコスロバキア代表の至宝だった二人のボヘミアンに、白羽の矢を立てたのでないか。

その時代、ハシェックの語る《考えるスピード》にベルマーレ平塚の若き司令塔、中田英寿は既に到達していたからこそ、その後、ペルージャに渡ってセリエAを席巻して魅せることが出来た、と云うことであろう。

今西和男の築き上げたスマートに小よく大を制す組織運営は、現在、負傷者を多く抱え純国産のフォーメーションを強いられる苦境の中でも、Jリーグ他者を蹴散らして頂点を窺い得る昨今のフェーズへと着実に高められ、堅固に踏み固められ、頂きに向かって放たれし三本の矢を支えている。

オマケのチョコっとチェコ語は、ぷちサッカー(fotbal)用語集です。
FW=útočník(ウートチュニーク:攻撃する人)
MF=záložník(ザーロシュニーク:バックアップする人)
GK=brankář (ブランカーシュ:門番)
監督=trenér (トレネール:英米語のトレーナー)
W杯=mistrství světa(ミストルストヴィースヴィエタ:世界の選手権)
代表チーム=národní reprezentace(ナーロドニーレプレゼンタツェ:国の代表)

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