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#18 オリンピック延期

スポーツのあらゆる可能性を考え、スポーツがこの国の文化になるためにはどうすればいいのかを考えてきた当コラム、「スポーツを考える人」。
第18回の今回は久々の投稿にして、特別編です。

今回のテーマを先に書いてしまいます。

「オリンピック延期」

昨日発表されたこの決断は、「残念」と「やっぱりな」が交差した結果でした。
未だに具体的なスケジュールは発表されていませんが、2021年開催ということは決まったようです。
ただし、この2021年も楽観視できません。その頃、世界がどんな状況にあるのかは誰にもわからないからです。そのころも、まだまだウィルスとの闘いが続いてるという予測もあります。そうなると、またしてもオリンピックどころではない、という可能性だってあります。
それでも予定通り開催するよりはリスクは低いのでしょう(そうと願うばかりです)。

さて、決まってしまった事はしょうがない。
とはいえ、みなさん思うところはあると思います。
この大会には数え切れない人たちが関わっています。
デザイン業として携わるわたしに関しても、少なからずな影響はありました。もちろんネガティヴな影響です。
オリンピックは強大になりすぎました。
アスリートのアスリートによるアスリートのための大会では、もはや無いのです。
もちろん、アスリートありき、アスリート・ファーストであるべきです。
しかし現実はもう少し複雑です。
プロスポーツ興行がもつ影響力を遥かに超えた、壮大な影響力をもった大会になってしまいました。
その影響力はスポーツ、文化交流に加え、ビジネス面でのものが非常に大きい。それに加えて政治もからんでくる。
ここまでくるともう、アスリート・ファーストとだけ言ってはいられないのが本音でしょう。

それでもオリンピックはやはり、オリンピックです。
他の大会よりも、アスリート・ファーストな精神、もっというとブランドをもった大会です。
まずは選手のみなさんのお気持ちを察しなければならない。ここまでの道のりやモチベーションを考えた時、延期になった事実を簡単には受け入れられないでしょう。それでも前を向き、あゆみをとめない選手たちの姿勢・言葉を見ると、さすがアスリート、という気持ちになり、改めてスポーツが培うメンタルの重要性に気付かされます。

そして、もう一つ。
絶対に目を背けられないのがこの延期によってもたらされるであろう損害です。
先にも書いたように、この大会には数え切れない人たちが関わり、そこになんらかのビジネスが生まれています。
今回の延期によって膨大な損害が予想されます。
日本のスポーツイベントによる損害としては、最高レベルです。

今回の損害の全てをカバーする施策を考えるのは難しい。
でもせめて自分の業界における損害を少しでもカバーできる施策はないか、と考えていました。

わたしがいる業界。プロモーションや広告。

リアルに予想できるのは、これまでに創ったものが無駄になったり変更されること。
「2020」とうたってしまっているものが、意味をなさなくなること。
大会のネーミング自体は「TOKYO2020」のママらしいので、ロゴの差し替えなどはないのでしょうが、
キャンペーンなどで大会チケットが当たる!とか、キャッチコピーの中に、「2020年」と文章として入っているものなどは、差し替えや、撮り直し、刷り直しを要求される可能性があります。
クリエイターとしては、お金としての損害ももちろんですが、自分が創ったものが差し替えによって、なんだか違うものになってしまうのも残念な気分です。

そこで、どうしても差し替えにならざるを得ないものは別として、
今、創ったものが、そのままの体裁を保てるようなモノはないかと思いました。

考えるのは「オリンピック延期を伝えるプロモーション」

そこで一つ思ったのは、全く別のキャンペーンを展開し、
既存の広告と併用することで、双方が違和感なく存在できるものはないか、という事でした。

このキャンペーンの大事にする点としては、

●2020から2021に開催年度が変更になったことを匂わせるもの
●それがネカティヴな雰囲気ではなくポジティヴな雰囲気を醸成させるもの

この2点です。

CMなどではよく補完するために
「この商品は●●年現在は使用していません」とかいうテロップを画面下に表示したりしますが、
今回で言えば、
「TOKYO2020の開催年度は2021年に変更されています」とかいう文言になるのでしょうか。

いってみれば役割は一緒なんですが、
それをもう少しキャンペーンとして展開できないか、というものです。



何かを生み出す。TOKYOはゼロからイチへ


メインコピーはTOKYOはゼロからイチへ

ゼロからイチとは、数字で言えば0から1。
何かを生み出す、という意味を込めています。

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リセットされた2020から、何かをうみだす2021

ゼロは「何もない状態」とも言えます。当然、スタジアムや制作物など、もともと準備してきたものもあるわけで、今回の延期で何もかも失った、というのは少々言い過ぎかもしれません。
でも精神的にはそれくらいのインパクトがあったんじゃないかと思っています。または、リセットされた感が大きいのかなとも思います。
でもそれは2020年の話。
ここからまた新たな何かを、それぞれがそれぞれの立場で生み出していこう。
これからはそれを考え実行する期間だよ、そして2021年、さらに素晴らしいオリンピックにしよう。
という想いを込めています。

20から21へ

また0が1になる、というのは、文字通り、2020がカウントされて2021に進むということも表現し、
開催年度の変更をアナウンスする役割も担っています。

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statement:
闘う場所も、熱狂する瞬間も、
自分の限界に挑むことも、
それを見て感動することも、
世界との繋がりも、そして世界の平和も、全てが消えた2020。
失ったものは、取り戻すことはできない。
でも、新しい何かを生み出すことはできる。
そして、より高めていくことはできる。
ゼロからイチにする。
今は、そのために何ができるのかを考える時。
そしてゼロからイチになったときこそ、
私たちの力が試される時。

例えば、CMだったら本編は修正せず、最後に共通ビジュアルを差し込むことで開催年度変更を知らせたり、

スクリーンショット 2020-03-26 18.33.27

ポスターやノボリなど制作済みなものは、隣に掲示したりして、
既存のビジュアルと融合して展開したりすることで、
「2020だけど2021年開催」ということを補完できないかな、と。

言ってみれば全国民が「2020年大会は2021年に延期」という事実を知っている状態なわけで、
あえて部分的に修正したりするよりも、プラスアルファなもので補完するほうが違和感がないのではと思いました。

発注者側も、少しの変更で刷り直しや作り直しを要請するより、活かせるところは活かしたママでの修正発注になり、作り手も少しは納得のいく修正作業になるのかな、と。

もちろん、金額としての損害を完璧に補填するような施策ではないです。

さらには、先にも書いたように、2021年が保証された年であるわけでもない。

ただ、みんなの気持ちが前に向くといいなと思うし、それを制作の力でもできないか、と思ったのです。
そして今回の延期によるダメージを視点をかえてポジティヴなものにひっくり返せないものか、と。
単純な年号修正ではなく、どうせ修正するなら新しいことをしよう。と。

もしかしたら、そこに新しい価値が生まれ、
スポンサーシップにも良い影響を与えられるとしたら、
ビジネス的な観点でも少しはプラスになるのかなとも思っています。

今、オリンピックは「損害のもと」としての存在がクローズアップされています。
実害は当然あります。
でも、スポーツには世界に発信する力があります。
その力があることを沢山のアスリートたちが証明してくれています。

繰り返しですが、決まってしまったことはしょうがない。

ここから先、スポーツに関わる人たちが、それぞれの立場で、
新しい何かができないか、それぞれが考え、行動にうつせれば、
きっと何かが見えてくると信じています。

これからの約1年。
ビジネスとしても、文化としても、
スポーツにどんなことが出来るのかが試される期間になるように思います。




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