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#19 コロナとプロスポーツ

2020年9月現在、新型コロナの猛威はまだまだ続いています。
ここまでに多くのプロスポーツイベントが延期・中止に追い込まれ、
無観客や人数制限での再開をよぎなくされています。

新型コロナがプロスポーツ界にあたえた影響の大きさは
言うまでもありません。
しかし日本のプロスポーツは死んだのか。そんなはずはない。
各団体、各競技、各チーム、各選手。
それぞれの立場で、それぞれが出来る事をここまでやってきたと思います。
とはいっても相手は目には見えないウィルスです。
今後、どんな事が待ち受けているのか、それは誰にもわからないのです。

そんな難しい時代において、プロスポーツはどうやって生き残るのか。
プロスポーツの未来について考えてみたいと思います。



無観客試合とは何だったのか

まずなによりも、競技における選手たちのモチベーションや、
コンディション管理。
この状況下で、本当に難しく大変だったのではと察します。
それらを乗り越え、現在もプレーし続ける選手たちにはスポーツを愛するものとして、リスペクトの念しかありません。

そんな中、まず最初の段階として再開された「無観客試合」。
Jリーグでは「リモートマッチ」と銘打って行われた観客無しの試合。
わたしもテレビでJリーグ中継を観戦しましたが、あの日の事は忘れないでしょう。

誰もいないスタンド。
鳴り響く選手たちの声。体がぶつかる音。

一言で言えば、「感動」しました。涙が出そうでした。

もちろん、現地にいけない悔しさ、もどかしさはありました。
でも、それを超えるほど、この日までの日々がつらすぎた。
待ちにに待った、というのとは少し違う、何とも不思議な気持ち。
あえて言うなれば、
「よくここまで来たなぁ」という感慨深さでしょうか。
試合が開催されることの尊さ。それを感じた試合でした。



そして人数制限&応援禁止へ

しかし。

その後、プロ野球、Jリーグと人数制限を設けて観客を入れるようになってから、わたしの中でも違和感が生まれ始めます。

人数制限に加えて応援は禁止。(それぞれに細かいルールがありましたが、簡単に言えば応援禁止ですね)
拍手はオッケーという条件つき。

これをはじめてテレビで見た時の違和感。
これは凄かったですね。
無観客の時は、ある種の割り切りがあったと思います。この状況だし、
仕方のないこと。むしろ開催できる事に意義があると。

でも、やはりチームの収入を考えた時、お客さんは少しでも入れたい。
感染状況とにらめっこを繰り返し、出した答えが人数制限と応援禁止。
これも理解できます。

ただ、正直違和感がありました。

そこで改めて気がついたのは、「プロスポーツにおいてのファンとは
完全に舞台装置の一つである」
ということ。

例えば、演劇でも音楽ライブでも、
実際はあるべき演出が無かったら、おそらく違和感を感じるはずです。

どうもそれに近いものをテレビ越しから感じてしまいました。
もっと率直に言えば、「なんか練習試合みたい」と。

ファンの歓声や応援こそが、プロスポーツをプロスポーツたらしめていたのだと、強烈にわかってしまった感じです。
もちろんプロはプレーの質でも勝負できます。
ただし、エンターテイメントとしては、完全に片方の翼をもがれた姿にみえて少し痛々しかったのです。

それでも拍手を通じて観客の熱は伝わり、
それも新しい応援のスタイル、という事になっていましたが、
やっぱり、物足りないというのが本当に正直な気持ちでした。

もっと言ってしまえば、「ヤジ」も舞台装置の一つだったわけです。

歓声とヤジ。天国と地獄。あの混沌とした雰囲気。
プロスポーツのリアルは、決してお行儀の良いものだけではないのです。



経営難

そして今もなおプロスポーツに影をおとしているチームの経営難。

観客を入れることが出来たとしても人数制限がある状態では、
経営にあたえる打撃は大きい。
スポンサー企業が継続するという決断を下してくれてもやはり厳しい状況に追い込まれるチームは多かったと思います。

そこで、チーム独自のクラウドファンディングを立ち上げるなど、
それぞれが出来る施策を行い、この難局を乗り越えようとしていました。

それでも現状、海外でも破産するチームなども出てきています。
プロはあくまでもプロです。収入が継続のエンジンです。
いくら夢をかたってもそこが断たれれば、終わりです。
もしかして、今シーズンは成績よりも経営が大事になっているチームがあるかもしれません。でもそれは仕方ないことですし、大切なことです。



今こそ自分たちのファン心理を考える

おそらく今後、人数制限も軽減されるでしょうし、応援も段階的に解禁されるでしょう。それでもやはり、未来は誰にもわかりません。
ひょっとしたら、無観客に逆戻りする可能性だってゼロではないわけです。

だからこそ、最悪のケースも想定しなければいけません。

そうなった時、精神的にも経済的にも力になるのがファンの存在です。
それをある種、うまく使えた団体・競技・チームとそうでない団体・競技・チームでは、大きな差が生まれるような気がします。

さらには、一言にファンといっても、
コア層とライト層でも提供するコンテンツや対応は決定的に違ってきます。

たとえば、クラウドファンディングひとつとっても、
コア層はチームを救いたい一心で高額な支援をする人もいるでしょう。
その人にリターンとして用意するものは「選手のサインいりユニフォーム」ではないと思うのです。
自分の支援がよりチームを救う事に直結してほしい、直結しているという実感をもちたい、というのがコア層です。

例えば、スタジアムの開いている席に感謝と共に名前入りの看板を掲示するとか、
選手から「●●さん、ありがとう!」というメッセージ入り動画が届くとか、
そんな事のほうが響くような気がします。

逆にライト層は「選手のサインいりユニフォーム」が欲しい。
それがきっかけでファンになってくれればいいわけです。

コア層には実感、ライト層にはきっかけ。

こんな状況下であっても、いかに自分たちのファン心理をわかっているか。
そこにピンポイントのプロモーションを投下できるか。
そこに生き残るポイントが隠れているような気がします。



今は耐えて待つ

こうした苦境にたたされているのは、スポーツ界だけではありません。
音楽、芸術など全てのエンタメが打撃をうけています。
そこで問題なのは、そもそもが日本という国の文化にたいする軽薄さだと思うのですが、そこは今回は置いておくとして。

ことスポーツにおいては、わたしはやはり今は耐える時期だと思っています。色々な事がありました。そして色々なアイデアで乗り越えようともがいています。

しかし、一つはっきりしたのは、
「これはやはり、代替えでしかない」というコンテンツだけが生み出されているという現実です。

おまえは何様だ!というような意見ですが、、、
でも、これが本当に本当に正直な今の気持ちなのです。
無観客からはじまり、人数制限、応援禁止。
テレビ観戦という習慣にも正直慣れてきました。

でもやはり、本質的には、「コロナに関係なく今後も残る新しいコンテンツ」というものは、あまり見かけない。

唯一、選手たちがsnsでファンと交流する、という施策は、
たとえコロナが関係なくなっても残るコンテンツかなと思いますが、
こと試合運営という点では、どうしても、「今はしょうがないからやってる」という施策しか見当たらないのです。

でもある種、それこそ仕方の無いこと。
スポーツだからこその状況だと思っています。

なぜか。

それは、あのスタジアムの雰囲気こそがプロスポーツだから。

人々が叫び、抱き合い、泣き、怒鳴り、熱狂する。

それがプロスポーツだからです。

色々な方面で、「新しい生活様式」がうまれ、
新しい楽しみ方、新しい考え方を導入する風潮にあります。感染拡大を防ぐ、これからのウィズコロナ時代には必要なことかもしれません。

しかし。どうしても替えのきかないものもあるのです。

ここまでのプロスポーツを見ていて、それを強烈に感じます。

だからこそ、必要なのは、正直に「今は仕方ないのだ」という意識を持つ事なんじゃないかなと思います。

しかしそれは、諦める、という感情とは決定的に違います。

スポーツの価値の本質をわかったうえで、今を耐えしのぐ施策を考えるということです。

むやみやたらと、「ほら、新しい楽しみ方!」なんて言われるほうが、
よっぽど違和感を感じてしまいます。

これは今だけの話ではなく、
今後もスポーツが文化となりえるために、大事なことだと思うのです。

変わるものと、変えちゃいけないもの。
それがなんなのかをしっかり見定めてからの変革が大事です。

そして団体やチームは、
その場しのぎではなく、ファンの心理をうまく掴み、
文字通り「ワンチーム」になれる施策
を考えてほしい。
正しい支援こそ、大きな支援になります。

そしてそれは、「いつも」に戻ったあとに必ず返ってきます。

そしてわたしたちファンは、現状を理解し、
自分たちの出来ることでチームを守りましょう。

みんなで前向きに耐え、
その先に、あの熱狂したスタジアムが戻ってきますように。






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