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第2話 レミングス

 五限が休講になった事で随分早く暇になってしまった。
 授業が無い。それは私にとって大学が無用の場所に変わるのと同義。
 クラスメイトや同回生に友達が居ないという訳では無いのだけれど、私は元々一人でじっとしているのが好きな人間なのだ。何をしていても用が済めば真っ先に家へ帰りたくなるのは、最早習性のようなものと言って良い。

 無駄に凝ったデザインのせいで迷路のように入り組んだ大学構内を抜け、駅まで一番近い正面玄関にまでやってきたところで、私の足は止まる事になった。
 エントランスには大勢の学生が立ち止まり、皆外を訝しげに眺めている。私も彼らに習って同じように外を眺めると、案の定雨が降っていた。

 夕立。

 雨が降っていたのは知っていたけれど、屋内で感じていたものよりもずっと強く激しい。生徒達が立ち往生するのも無理は無いと思った。鞄に折り畳み傘は入っているけれど、この雨量の中を、頼りない小さな傘一本で寮まで歩く勇気は出ない。

 別段急いでいるわけでもない。私は壁際に設置されたベンチに腰かけ、ぼんやりとそれらが過ぎ去るのを待つ事にした。
 それに、自室で一人になれるとも限らない。地縛霊のように同じ場所に張り付いて離れないあの怨霊の事を考えると、やはり頭が痛い。

 どうでもいいが、あの人は一体いつ大学へ行っているのだろうか。留年をしている身とはとても思えない。まさかとは思うが、来年もまたダブるのだろうか。うちの大学は三回まではダブリが許されると以前クラスメイトから聞いた。先輩は前にダブリは一回目だと言っていたので、今年も留年したとて、まあそれは大丈夫なのだろう。いや、学生としては全く間違っているが、それは私の知った事では無い。しかし寮生でいられるかどうかは、また別の問題らしいのだ。不真面目な生徒は寮から追い出されると私も入寮の際に忠告された。確か、そちらで許されるのはダブリ一回だけ。つまり次に先輩がダブれば、あの人は寮から追い出されてしまう。

 ぼんやりとそんな事を考えながら、私ははっとする。
 ―別に、良いじゃないか。厄介な人が居なくなるだけだ。
 夕立は依然勢いを増し、立ち往生していた生徒達もまばらになり始めた。外へ飛び出す者も居れば、校舎内へ引き返す者も居る。雨は嫌いだけれど、こうして屋内で感じる雨は昔から好きだった。音や水が、外界のすべてを綺麗に洗い流してくれるみたいで。

 携帯電話を取り出そうとリュックサックを開ける。すると底の方でちらりと、あるスーパーファミコンのゲームカセットが覗いているのに気が付いた。
 そういえば、嶋先輩に見つかると面倒だと抜いてきたのだった。
 実家から荷物が届くことは稀だが、その手の梱包は我が妹が取り計らっているらしい。あの変態レトロゲーマーは、他の必要な荷物の中に、度々こういったゲームカセットを忍ばせて寄越す。害獣に餌を与えかねない危険行為なのでよして欲しいのだけれど。一度言った方が良いだろうか。
 とはいえ手に取ったそれをしげしげと眺めながら、私自身もまた郷愁に耽ってしまった。ゲームをやらない人から見れば、私も立派なゲーマーなのだろうか。

 世界的にヒットした大人気パズルゲーム、「レミングス」。私も子供の頃にとてもハマったので分かるが、この手のゲームは一度やり始めると終わりどころが分からなくなる。ステージの量はさることながら、難易度設定が非常に絶妙で、ギリギリ理解できるか出来ないか、発想力の限界を試されている気分になってムキになってしまうのだ。こんなゲームを先輩に渡したらどんな事態を招くのか。そんな事は火を見るよりも明らかだ。

 手に持ったレミングスをぼんやりと眺めながら、子供の頃は楽しみながらも同時に、得体の知れない恐怖を感じたものだと思い返す。
 ゲームが始まると、小さなレミングという生き物が数十体、一斉にステージへ落ちてくる。そのレミングをゴールにまで導いてあげるのがプレイヤーの使命だ。プレイヤーが何も操作をしなければ、レミングはただ前へ歩き続けるだけの存在である。
 愚直に命令を待つレミングは、崖があったとしても立ち止まらない。勿論崖から落ちたレミングは助からない。
 では如何にして崖からレミング達を守るのか。プレイヤーはレミング一体一体に様々な役割を与える事が出来るのだが、その一つに「ブロッカー」というものがある。一体のレミングにブロッカーの役割を与えると、命令を受けたレミングはその場で立ち止まり、両手を広げて通行止めを始めるのである。
 後続のレミング達はブロッカーを壁と認識し、Uターンし引き返してゆく。これがレミングスの基本中の基本、ブロッカーで崖からレミングを守る流れだ。他にも橋を掛けたり、階段を作ったり、穴を掘ったり、様々な役割をレミングに与えながらゴールを目指す。

 レミング達を巧みに指揮し障害物を乗り越え、彼らをゴールまで導いた後。小学生の頃、私が震撼したのはその後だった。ゴールにすべてのレミングが辿り着いたというのに、ゲームは終了しない。ステージに残るのは誰も居ない場所で両手を広げ続ける「ブロッカー」だけ。

 つまり、ゲーム側はステージ上に残ったブロッカーも生存中のレミングと認識していて、その為にゲームクリアにならないらしいのだ。こればかりはルールというか、ゲームシステム上仕方が無いというか、その辺りの理由は定かではないのだが。その上ブロッカー達は一度命令を下したら解除が出来ないのである。当然だが彼らはゴールへは辿り着けない。レミングスはすべてのレミングをゴールに運ぶゲームではない。ステージ毎に指定された数のレミングが生存しゴールへ辿り着けば、クリアなのだ。

 ゲーム側は残されたブロッカーを処理する手段として、唯一追加で下せる命令を用意している。それは、彼らに自害をさせるというもの。
「ボンバー」の命令を下すと、彼らはその場で爆散する。ブロッカーに限らず、レミングスでは役割を終えて邪魔になったレミングを、プレイヤーは幾度となく「ボンバー」によって処理しなければならない。

 まるで社会に対する皮肉的な暗喩だ。十を助けるために一が犠牲になる世界、そしてその命令は常にプレイヤーが担わなければならないというのがレミングスの恐ろしい側面なのだ。生き残るのはただ漫然と前へ進み続けていただけのレミングで、役割を持ち十分に働いたブロッカーは死ななければならない。子供ながらにもその残酷性が恐ろしかったのだろう。

 そして大学生になった今は、別の意味でそれが不気味で、より身近に感じる不安の形と似ていると私は思う。いつかは私も、全くなんの脈絡もドラマもなく、運命なんて言葉では片付けられないただの偶然により、ブロッカーになる日が来るのでは無いだろうかと考えてしまうのだ。所謂貧乏くじというやつ。何故か理不尽に先生から怒られ続ける生徒、喧嘩の仲裁をして怪我をした中学の同級生、たまたまそこに居たという理由で殺された人が居れば、当然そのお陰で生き残った人も居る。

 ふと、嶋先輩の締まりの無いにやりとした笑顔が脳裏で一瞬浮かび上がり、私は少し身震いした。
 私は正に今、正にブロッカーとして働いている最中なのではないだろうか。私の部屋の前任者は既にボンバーになり、寮を去ったのかもしれない。
 遂に堪えられなくなり、私はベンチで一人、静かに笑いを噛み殺した。
 一人で考えに耽ると、思考が突飛になっていけない。嶋先輩如きで私の学生生活は揺るがない。揺るがせて堪るものか。あんな締まりの無い笑顔などに。

 「あらーん。うらちゃんじゃないかあ」

 聞き馴染みのある声が、じっとりと濡れた昇降口に響き渡る。相変わらずぼやーんとして締まりが無いが、声量だけは人一倍あって恥ずかしい。
 声の方向へ被りを振ると、案の定嶋先輩が大手を振りながらこちらに歩いているところだった。先輩がこちらに辿り着くまでは半分無視してやり過ごす。出来れば他人の振りが出来ないかと意味の無いチャレンジを試みたが、結局それは失敗した。
 「先輩、大学に居るなんて珍しいですね」
 「君、私は大学生だよ。大学に居て珍しいとは失礼だね」

 さて、そういえばこの人もケツに火が点いている留年生であった。ボンバーなのは寧ろ私では無くこの人の可能性の方が高いと言っていい。
 順風満帆な大学生活の末、ステージクリアの卒業へ辿り着くのは、果たして私なのか、この人なのか。はたまた二人共クリアが出来るのか。
 それは誰にも分からない。ここはプレイヤーの存在しない現実世界なのだ。それこそ、神のみぞ知るといったところだろう。

 「うらちゃん!それ、レミングスじゃないかあ」
 さて、早速ドジを踏んだ私は、一歩ブロッカーに近付いたのだろうか。
 私からゲームソフトを奪い取ってくるくるまわる嶋先輩を尻目に、私は思わず苦笑が漏れた。


著/がるあん
挿絵/ヨツベ

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