和洋折衷と、和でも洋でもない文化
ある漫画を読んでいて、群馬県伊香保温泉を訪れる主人公たちが竹久夢二記念館を訪れるお話に深い感慨を感じました。
寡聞にして、夢二と伊香保温泉の深いつながりを知らなかったのですが、夢二は伊香保の温泉街を大変気に入って生涯に何度も足を運び、現在では夢二を記念する大正ロマンのイメージそのもので再現された洋館が建てられているのだそうです。
夢二は彼の地に山荘を建てて暮らしたかったのだとか。
次回帰国する折には是非とも伊香保温泉と夢二記念館を訪れたいですね。
和洋折衷な文明文化の国日本
さて今回、このエピソードで特に心を留めたのは「和洋折衷」という言葉。
和風な着物の女性に西洋的な文物やデザインが溶け込んだ世界を描いた画家竹久夢二は典型的な和洋折衷なアーティストでした。
明治大正の文明開花からの近代日本の合言葉でもあった概念なのですが、わたしはまさに和洋折衷な人間。
西洋に憧れて外国に留学してそのまま海外に永住してしまった自分です。
西洋文明の恩恵を深く受けた、元英国植民地のニュージーランドに住んでいるという物理的な要因から、わたしが和 (日本) と洋 (西洋文化) の折衷的な人間というわけではなく、そういう西洋を志向した性癖をそもそも日本という和洋折衷な国で暮らしていた頃から持っていたからこそ、西洋に憧れたのでした。
おそらく明治以降の日本人は誰もが和洋折衷。純粋な和だけの人は現代日本人にはほぼいないはず。
和の要素は現代的な生活からはかなり失われていますが、日本人は白米を主食として味噌汁を愛しつつも、洋風な食事が大好きです。畳の部屋よりも洋風の絨毯敷の部屋の方が今では一般的でさえある。
和のテイストをあしらったアートはいまでも大人気。洋服を普段は着て、和服をめったに着ることのない、われわれの生活はいろいろ和洋折衷。
西洋文明式の生活はグローバル化ゆえに世界中の至る所でも見られるのですが、日本文化の場合は和魂洋才という言葉もあるように、どんなに西洋的な文物を取り入れても、必ず和の要素を残して日本風に変容させてアレンジをする。取り込んでそれから二つに割るみたいな。
外国文化の多くでは変化させないで、そのまま採用、または原型をとどめないほどに改良または改悪して自分たちの文化の一部にしてしまう。
日本式は行き過ぎるといわゆるガラパゴス化してしまうのですが、外国のように異文化をそのまま取り入れるではなく、いったん日本風に改良して取り入れているのが麗しい。
そこが中国などの自己主張の強い国の文化と大きく違う。華人は決して折衷しないで、利用はしても自己のオリジナリティは絶対に変えようとはしない。
こういう意味で本当に日本人はユニーク。
海外に住んでも現地に同化するのが日本人。中国人などは自分たちのコミュニティを作って多文化主義を標榜する。どちらにも一長一短はあるのだけれども。
わたしは西洋文化に憧れて海外に出たけれども、中国人やインド人は西欧などには憧れず、異国に良い社会的インフラがあるから移住するだけ。彼らはほとんど文化にはあまり興味を持ってはいないと言えるでしょう。
憧れというものは大正ロマンのようにロマンチックなものです。外国への憧憬は日本人の本質なのかも。
憧れとは
もう二昔も前に読んだ小説で感銘を受けた部分を古い日記に書いていたのを見つけたのですが、それはこんなフレーズでした。
わたしはこんな文章に心から共感する人間です。
わたしはこんな人間で、遠いどこかが大好きで、自分の西洋文化好きの原点はこんな思いにある。
日本人の西洋文化崇拝はもう百年以上も続いている伝統とも呼べるのですが、それ以前の先人たちも奈良平安時代には海外の文化を大陸から取り入れて憧れたものでした。
でも魂を外国に売り飛ばすようなことをせず、自分たちに不必要な文化は輸入しなかったし、もはや学ぶべきものがないとなれば交流さえもやめてしまいました。
明治以来の和洋折衷は、平安以前の漢文明の場合とは異なりますが、日本人が好きな外国とは、いまでも欧米文化の世界なのでは。
言語は英語でなくとも、スペイン語だったり、ドイツ語だったり、オランダ語だったりすると素敵だと感じてしまう。
多くの日本人がいまもなお舶来文化が大好き。
きっと先祖代々受け継いできた日本人の本質が和洋折衷だから。
わたしの海外志向の原点は就学前の子供の頃に見たアニメ。
アニメ世界名作劇場の刷り込み
昭和の終わりに小さな子どもだった頃に日本のテレビアニメを見て育った自分がもっとも影響を受けたアニメは世界各国の児童文学を日本風に改変して放映していた世界名作劇場というシリーズでした。
毎年一つのタイトルが選ばれて、延べ二十六年ほどにわたり、息生き長く作られた作品群でした。
わたしは全二十六作中の二十四作まで見たものでした。残るあと二作はまたそのうちに。
それ以来、スイスやドイツやカナダを勝手に素敵な国だと思うようになったのでした。
アメリカには名作劇場の南北戦争アニメのためか、あまり良い印象は持たなかったのですが。
オーストラリアを素敵な国だと決して思わなかったのは、世界名作劇場の中のオーストラリアを舞台とした作品「南の虹のルーシー」がオーストラリア移民悲惨物語だったからでしょうか笑。
家族は農場を求めて英国から地球の反対側の南オーストラリアのアデレードに着くも、移民前の約束とは異なり、誰でも土地を得ることができるわけではなく、異邦の地にて苦難の生活を強いられるお話です。
スイス人家族の「不思議の島のフローネ」もオーストラリアには行きつけずにニューギニアのどこかの島に遭難してしまう話だったし。
結局は行きやすかった英語の国で小英国とも呼びたくなるほどに英国的な南半球の島国を選んだのですが、それはニュージーランドの西洋文明化された部分ゆえ。
英国系の国民が大部分を占めて、彼らの多くは朝ごはんにイングリッシュティーを飲む英語の国なのだけれども、最近はこの国の事情もかなり変わってきました。
さてようやくここから本論です。
ニュージーランドは誰の国なのか?
つい先ごろ、オーストラリア・ニュージーランド合同開催の女子サッカーワールドカップでニュージーランドは日本の人たちの耳目を集めましたね。
わたしの住んでいる街に「なでしこジャパン」はやってきました。
ニュージーランドといえば、ラグビーの強豪オールブラックスが恒例としている試合開始前の踊りハカがよく知られています。
十二世紀から十三世紀ごろ、つまり日本の平安時代後半の頃から鎌倉時代に、ニュージーランドに最初に太平洋のどこかからカヌーに乗ってやってきて住み着き、原住民となったマオリ人たちの儀礼的舞踏がハカなのでした。
戦闘前に腹の底から出す大声で叫んで戦意を高めることは大変に意味深いのですが (スポーツの試合の前に円陣を組んで気合を入れるアレと全く同じ発想です)、わたしはああいう文化は好きではない。まあわたしは日本の武道も好きではないけれども。
数百年に亘って、無人の地であったニュージーランドに一番最初に住み着いていたのはマオリでした。
New Zealand = 新しいジーランド (オランダ) という西洋式の名前が正式名称なのは、ニュージーランドを最初に目視した西洋人がオランダ人タスマンだったから。彼は上陸を試みようとしましたが、異国人を敵として拒否するマオリたちに部下を数人殺されて彼自身の上陸は断念したのでした。
最近は国名をマオリ式のアオテアロアに改めよという風潮が世を支配していて、コロナ感染症のために鎖国を選んで以来、トランプ大統領時代のアメリカ同様に、ニュージーランドファーストという風潮がますます強くなり、ニュージーランドの独自文化路線が強調されてしまったのです。
もともとニュージーランドはマオリ人とイギリス政府との間で1840年に結ばれたワイタンギ条約という両者の平等を謳った取り決めより生まれた英国植民地でした。
文明力 (武器) に優れた英国側は原住民側を圧倒して、点在する部族が国土を統一していなかったマオリは侵略者に対してなかなか組織的に行動できず、文化的にも政治的にも劣勢となり、祖先が神聖とみなした土地の多くを奪われる羽目に陥りました。
両者のいがみ合いはついに武力闘争となります。
ですがマオリ土地戦争 (1868-1869) では完全敗北。ちょうど明治維新の頃。
挙句にはマオリの土地は英国政府が没収しても良いという滅茶苦茶な法律まで作られたりもしました。
西洋文化への同化を迫られ、二十世紀の初頭には文化的には滅亡寸前な二流市民扱いされるまで堕ちてしまったマオリ。
ですが無差別殺戮で数を減らされたオーストラリアのアボリジニやアメリカのインディアン(ネイティブアメリカン)とは異なり、敗北しても善戦したマオリの場合は大量虐殺には至らずに、英国植民地政府はマオリとの共存を選びます。
そうして第二次対戦後の植民地主義撤廃の空気の中でマオリ文化は復権して復興の道を歩み始めて現在に至ります。
マオリ文化の国策による復興
公用語マオリ語の使用と、多文化主義ではないマオリと非マオリによる二文化主義が政府関係機関や国立大学公立学校では徹底され、その傾向はコロナ後にますます助長されて、小英国に憧れてこの地に住み着いたわたしはなんとも複雑な思いでこの地で暮らしているのです。
英語は至る所で聞かれて、絶対的な公用語なのだけれども、マオリ語のカラキア (集会などの前に述べたてる決まりの言葉)は義務化され、政治的な圧力であると感じるほどに至る所でマオリ語が浸透している始末。
確かにニュージーランドはマオリの国なので、こうしたマオリ文化尊重は本来あるべき姿がようやく社会に根を張り始めたのだと言えることでしょう。
そして社会的なマイノリティで経済的に弱いマオリを教育において立て直すという国策は国家百年の計においては非常に正しい。
彼らはいつまでも保護されているままだと福祉国家のお荷物でしかない。マオリの教育レヴェルが向上すれば保護される側から社会貢献する側に移れるのですから。
マオリの貧困ならびに教育の欠如は国民すべてにとっての問題なのです。
ポスト植民地主義の最終形は、被植民文化の称揚と植民地主義に関連する文化の貶めに差別化。復権とはこういうことでしょうか。
わたしにはなんだか有色人種の人権が保護されて、権利が強固に確立され過ぎたことで、白人逆差別が生じた時のような様相なのではとさえ思えてしまいます。
高度に体系的に発達した西洋音楽とそうではなかった民族音楽
西洋音楽を世界中のありとあらゆる音楽の中で最も高度に発達した音楽だと確信しているわたしは、発展途上な世界中の民族音楽とバッハやベートーヴェンの音楽を対等だとは決して思わない。
文化にはいろいろな形があり、それぞれに意味深いけれども、やはり高度に発達したそれと、そうでないものがあると思います。
たとえば日本の縄文文化には大地に根ざした素晴らしい思想と世界観と自然への深い畏敬が込められているけれども、それを持って、縄文土器とドイツのマイセン焼きや中国宋の青磁や日本近代の柿右衛門など、高度に発達した芸術的工芸品は同一には語れないと思われないでしょうか。
人類学的には独自に発展した各々の人類の文化には優劣はないとされます。
すべての文化が同一の発展を遂げるわけではないことは確か。
しかしどれが好きかは個人の嗜好の問題で、和洋折衷な文化で自分人格が形成されてしまったわたしには、ポスト植民地主義の土地において、マオリ・アートとゴーギャンのような近代絵画が同等に扱われるような風潮になんとも居心地の良くない思いを払拭できないでいるのです。
少ない音しか奏でられない民族楽器と高度な文明力の粋である金属製フルートでは出てくる音楽の複雑さが全く違う。民族楽器には独特の音楽的味わいがあることは確かだけれども、表現の幅は限られたものです。
自分らしくあろうとすればするほど、長年住み続けてきたのだけれども、非西洋化してゆくニュージーランドはますます異国だと感じられるのです。
地理的には当然ながら日本とは全く違う異国なのだけれども、住めば都なので、この土地はわたしの第二の故郷なのだけれども、マオリ原住民にとっての祖国が彼らの祖国らしくなってゆくことは、わたしにとっての心の故郷の喪失で、もはやこの土地にしがみついている必要はないと思わざるを得ない。
これからニュージーランドに来られる人、たとえばワーホリなどはやはりこの国は南太平洋の国であるという認識を持つべきでしょう。
マオリ文化の全国民への文化的促進
英語はこれからも使われてゆくことに疑いありませんが、国策なのでマオリ語語彙はこれからますますニュージーランド英語の中に取り入れられてゆくことだろうし、この国は欧米とは違う独自のアイデンティティをますます強めてゆくことでしょう。
植民地時代に建てられた、壮麗なバッハの音楽を奏でていたパイプオルガンのある洋式教会堂は失われてゆき、ヨーロッパ風の石造りの建造物も植民地主義の名残として保全されることもなく朽ちてゆこうとしています。
代わりに建てられるのはマオリの伝統工芸をふんだんに装飾に使ったマオリデザインな非ヨーロッパ風なシンプルな講堂などか。
世界中を一緒くたにしようとしたグローバル化の試みののちに訪れるのは、自国ファーストな世界中がバラバラに存在してゆく世界。
コミュニケーション網はインターネットによって張り巡らされても、世界統一国家のようなものではなく、世界中の国々が自国らしさを全面に打ち出してお互いを差別化してゆくことなのでしょうか。
そろそろ別の土地へ移るときが来たのかもしれない。
西洋文化を求めてニュージーランドのような南太平洋の最果ての国に暮らしているのがそもそもの間違いなのかもしれないけれども、ニュージーランドは文化文明的に先進国であり、住み心地の良い移民の国なのです。
豊かな海産物に温泉文化は日本人には親近感を抱かせるには十分です。ヨーロッパでは味わえないグルメがあり、この点に関しては非常に満足している。
本来の原住民であるマオリ人は13%ほどだと統計においては数字が出ています。そしてヨーロッパ系移民が国民の大部分を占めている。アジア系などまだまだ数パーセントにしかならない。
ヨーロッパから受け継がれた文化は脈々と息づいている。
公用語はもちろんイギリス英語。
少しばかりニュージーランド風に変容しているけれども、オーストラリアほどには酷くない。オーストラリアは経済的弱者の街のロンドン下町の特徴的なコックニーが言語の主体で、ニュージーランドはそうではなかったのでした。
しばしばクイーンズイングリッシュ、いまではキングスイングリッシュと言われるように、教養人の英語はBBC放送の標準英語を基準にしている。
ニュージーランド交響楽団は世界水準の音楽を定期的に聴かせてくれる。他にも世界水準に比しても最高レヴェルの高い室内楽が聴けるし、たまにはオペラだってかなり安価に鑑賞できる(わたしの住んでる街は小さな街なので、機会が少ない)。
でも最近は管弦楽団もマオリにちなんだ音楽ばかり取り上げていますが、コンサートホールでマオリやパシフィックな人に出会うことはほとんどない。彼らには西洋楽器で奏でられる音楽は非マオリな文化で外国文化なのでしょう。
でも至る所でマオリのために文化活動が変容している。テレビではリポーターは必ずマオリ語のフレーズを喋る。マオリ語を耳にしない日はないほどです。
もう政治的圧力と言えるくらいに、ニュージーランドは文化的に変貌しようとしている。
わたしのように音楽文化的生活を愛してニュージーランドにあえて暮らしている人間はほとんど皆無かもしれないけれども、美術にしても文芸においても、今では全てマオリ優先。
あらゆる活動と創作などにマオリ的な何かを打ち出すと政府の補助金が出る。
ヨーロッパ伝統的なアートを愛してこの地に暮らしている人は昨今の文化的変化をどう思われているのだろう。
きっと本音は公言できない。そういう空気が今のこの国にはある。
ニュージーランドの魅力はアウトドア
ニュージーランドが好きで住み着く日本人は、たいていはスポーツ大好き人間かアウトドア大好き人間でしょう。
平日でもたとえ雨が降っていようが、いつだってランニングをしている人が通りにはいて、街中の筋トレできるジムは大盛況。
ロードバイクも大流行り。
スポーツカーストの国であると言われるほどに国民のほとんどがスポーツが大好きで、スポーツする環境には最高。スポーツ出来れば決して社交に困ることはない。
カヤックするには最高の湖に河川や浜辺があり、オリンピックメダリストを常に排出し、ラグビーを愛することにかけては間違いなく世界一。女子だって雄叫びをあげてラグビーする。女らしさなんて言葉は差別語なのです。
アウトドアが好きならばどこにでもすぐに山歩きできて歩けば絶景に割と簡単に出会えるし、世界一の風景と呼べるような映画ロケ地に何度も選ばれたような土地が至る所にある。キャンプが好きで魚釣りが好きならば天国のようなところかも。
スキー場は非常に充実していて前回の北京オリンピックのスノーボード女子の金メダリストはキウィの女の子だったけれども、北半球と真逆の気候でスキーをいくらでも堪能できる。
サーフィンビーチは世界一とも呼ばれる名所がたくさんあり、サーファー天国なのだけれども、わたしは滅多にしない。
スポーツにほとんど縁のないわたしでもサーフィンは夏が来れば普通に楽しむし、波乗りは単純に楽しい。
ビーチが人で埋まるようなことはない。いくらでも素敵なビーチがあるのだから。
自家用ボートも珍しくなくお手軽で、夏休みでも探せば人のいない緑色に澄んだ海水のビーチはすぐそこにあり、年がら年中バーベキューをしている人たちがいる。
でもこうしたニュージーランド人が当たり前のように楽しむ場所は、今ではマオリ語の表示がないと政治的によろしくないとされるようになりました。
ニュージーランドがこれから先、ヨーロッパ文化を移転したような元英国植民地としてよりも、太平洋の入れ墨民族のマオリ族の国であると認識されることは政治的に正しい。
アメリカ合衆国は今後とも、日本人に似たアジア系の顔つきのネイティブアメリカンの国とは認識されることはないだろうけれども 、ニュージーランドはそうではない国になろうと いま産みの苦しみを味わっている世界最初の国なのかもしれません。
参政権を世界で最初に女性に与えたように先進的なことを世界に先駆けて実験的に行うことが好きな国民性なのですから。
おそらく、世界最初に原住民の文化をポスト植民地主義の結果として花咲かせたい国がニュージーランド。
でもわたしは、残念ながら元植民地の英国文化が好きでこの国に来たのでした。ニュージー ランドに英語を勉強しにくる人の多くはわたしと同類に大別されるはず。
マオリ文化目当てでここにくるようなのは人類学の研究者か言語学者くらいなものでしょうか。または極度のラグビーオタク。
日本が外国人にとってのゲイシャ・アキハバラ・フジヤマ・アニメの国ならば、 ニュージーランドはラグビー・ホビット・南十字星、キングスイングリッシュの国。
マオリ文化は外国人には異国のエキゾチシズムでしかないのが現状です。
でもマオリ文化が社会的インフラのスタンダードの中に完全に取り込まれると、純粋な西洋文化への憧れを抱いてこの国を訪れる人は激減することでしょう。
ニュージーランドがマオリ第一の国になれば、将来的には観光客の客層も変わる。
移民する人たちの文化層も変わることでしょう。
わたしはニュージーランドのスポーツにもマオリにもあまり興味はない。
西洋文化へと憧れと四季の花鳥風月を愛でる和を尊ぶわたしには、 太平洋文化はあまりに異質なのです。
マオリの国家アオテアロア
ニュージーランドが太平洋国であることを第一義として今後発展してゆくならば、 わたしは全くここには場違いな人間となってしまう。いやもうすでになっているのかも。
口承文化のマオリにはシェイクスピアに匹敵する詩人がいた試しはないし、マオリの音楽には西洋宮廷音楽の高度な愉しさを見出すことなんてあり得ないのです。
アニミスティックな幽玄な音楽がマオリ的な芸術音楽として創作されたりしているけれども、それはわたしの好きな音楽の喜びではない。
自然を畏敬することは日本人相通じるような宗教観には深く共感するけれども、ここには日本的な特徴的な四季の移ろいはないし、やはり自分の知っている和にはつながらない。
残念なことなのだけれども、太平洋な生き方のマオリの世界はわたしの残りの人生を賭けて学びたいとも貢献したいとも思えないものです。
マオリ語は日本語のアイウエオと同じ母音とアカサタナハマヤラワの子音を持っていて、英語よりもずっと喋りや すくて親近感は抱くけれども、そのマオリ語で話したいことは自分には思いつかない。
わたしは西洋文明を忌避して、ヨーロッパを逃れて南太平洋のタヒチに没したポール・ゴーギャンの南太平洋アートには親近感を感じもしないのですから。
西洋文化にかぶれているわたしには、いまでも西洋文化をもっと学びたいと思っている。他にやりたいことがたくさんありすぎる。
ニュージーランドは住み良いところ、でも…
最近は事情が変わってきたけれども、ニュージーランドでは土地はたくさんあるので、 ある程度の資産があれば広々とした庭のある一戸建てを買えて、 同居人がいないのなら ば夜中にだってピアノを思い切り弾いていられました。
地元の人たちとの関わり合いを最小限にしていれば、 自分勝手に楽しく暮らしていられ たのだけれども。他人に干渉しない程よい個人主義がいい。
隣人との付き合いもこちらが望まない限り、必要不可欠なものでもない。つまり移民はローカル文化から程よい距離感を持って暮らしてこられたのです。
これからもそうかもしれないけれども、ことあるごとに小英国であることよりも南太平 洋国であることをこの国に今後とも住み続けると思い知らされることになりそうだ。
アニメ世界名作劇場が舞台にしたような十九世紀文化が大好きなわたしは、ポスト植民 地主義の二十一世紀に生きるのは難しい人間なのかも。
世界は変わり、時代は変わる。
あと、次の記事のドイツ人の発言、「日本は西洋の端っこ」という褒め言葉、含蓄が深いとおもいました。
ヨーロッパ人は野蛮なロシアはアジアの一部だと呼びけれども、東洋の国でどこよりも早くに西洋化して日露戦争でロシアに打ち勝った日本は名誉白人国とさえ呼ばれました。
もちろん西欧諸国の優越感と、潜在的に遅れてきた国々を見下す視点からゆえの言葉なのですが。
わたしは暇さえあれば究極の西洋楽器である日本のカワイシゲル製のピアノを弾いて、十六世紀英国のシェイクスピアや十九世紀のディケンズやルイス・キャロルを英語で愛読しています。
同時にオンラインで日本語の仲間と連歌をしたり、味噌汁を毎日欠かさず、日本の漬け物なんかも自分で漬けている。
和魂洋才で和洋折衷な、自分は竹久夢二のハイカラをチャーミングだと心から思う人間であることが自身のアイデンティティ。
だからどうしても、いまもなお日本を西洋の端っことみなすドイツ人の言葉、複雑な思いを思わずにはいられません。
間違いではないかもしれないけれども、完全に正しくもない。
日本人の親は子供に西洋楽器のヴァイオリンやピアノやギターを習わせても、箏や和笛や日本舞踊をあまり習わせたりはしない。われわれもまた、マオリのように欧米に文化的に侵略されてきたのでしょうか。
そうではないと否定したくもなるけど、自分にはできないのでいるのです。
マオリは夢二を西洋に媚びた文化だと眉顰めるのかもしれないけれども。
追記:
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。